16話 からっぽ
仕事柄、怪我をすることが多かった。その日もクソみたいな男に何度も殴られて身体中痣だらけだ。
その日、偶然治療担当だった医者が言ったことを、今でも思い出す。
『命の価値は平等じゃない。天秤があって、自身の命の価値に応じて殺してもいい人間の数が決まっているんだ』
『医者なのにそんなこと言っていいの?』
『医者だからだよ。普段善人を相手しているのと同じように、裏で君たちみたいな悪人を治療していると、そこら辺の感覚を狂っちゃうんだよね』
命の天秤、そんなものがあるのなら、姉一人の命の重みには何人積んだとしてもつり合うことなんてないだろう。
『渕野先生も、いつか人を殺すの?』
『……いつかね』
それから数年が経った先日、渕野誠也は自身の妻を殺害して逮捕された。彼はきっと命の天秤を実践したのだ。
そして彼を捕まえたのは警察ではなく一人の少女、赤崎樹里だ。
樹里は私達のターゲット、正確には上司のターゲットだ。
私達はともかく、蓮華はその知らせを聞いて彼女に興味を持ってしまった。……そして、それに嫉妬してしまう自分がいた。
『明日、一二三さんと、それに樹里さんと本当に会えるんだよね?』
そう言って顔を赤らめる蓮華の姿を思い出すだけで虫唾が走る。
私達には、もう蓮華しかいない。彼岸花お姉ちゃんが死んでしまった今、互いの存在が全てだというのに……。
★
鳩飼家の三姉妹の仲の良さは、近所でも有名なほどだった。それは家族愛を超えているのではないかと噂する人間もいたが、私達はそんなこと微塵も気にしていなかった。
身体が弱いけど優しい母と、活発な性格の姉の彼岸花、いつもマイペースな双子の妹の蓮華。父は何年も前に死んでしまった。
それでも、そんな家族に囲まれ、鳩飼桔梗は幸せだった。……あの日までは。
ある日、無言で帰ってきた彼岸花お姉ちゃん。
ボサボサになった髪、痣だらけ顔、破れた制服。何をされたのかは一目瞭然だ。
……そしてそれから彼女はしばらくの間ひきこもり生活をした後、突然自殺した。
生活は一瞬で崩壊した。母は衰弱して倒れ、蓮華は毎晩のようにリストカットをするようになった。私達はそんな二人を、そして冷たくなった彼岸花の遺体をただ見ることしかできなかった。
……犯人はわかっている。彼岸花の同級生、芦田と宮代と百瀬、そして亀山祥子だ。
だが無能な警察は証拠がないと言って彼らを捕まえなかった。もし捕まったとしても彼らは中学生だ。ただの少年Aにしかならないだろう。
そして母も後を追うように病気で死んだ。
それからは親戚をたらい回しにされる日々だ。当然、親戚は善人だけではない。私達のことをサンドバッグのように扱う人の形をしたゴミもいた。
蓮華は自ら思考することをやめ、子供のように振舞うようになった。彼女の心は粉々に砕けてしまったのだ。
一方、私達は自身の才能に気付いてしまった。
……人殺しの才能だ。
初めて殺したのはもう何人目か忘れてしまった父親だ。いつものように蓮華を殴り、犯そうとしたところを後ろから包丁で刺した。
何度も、何度も……。気づけば私達の周りは血の海になっていた。
証拠は全て隠滅した。だが、あの人は私達にたどり着いた。刑事を名乗る彼は私達のことを捕まえず、逆に勧誘してきた。彼が裏で組織するグループに。
それからの私達は彼の駒の一つだ。バカな男に媚びて、隙を見せた瞬間に殺す。その繰り返し。
私達は平気だが、蓮華のボロボロの精神は更にすり減っていった。毎晩のように、彼女のことを慰める日々が続いた。……きっとこれが無限に終わらないことを覚悟していた。
『ねぇ、私達が男の子だったら……、こんなことしなくてよかったのかな……』
『変わらないよ。ただ殺す対象がバカな男から、バカな女に変わるだけ』
『そんな……』
『あと少しだよ。赤崎樹里の心を殺せば、私達はやっと一つになれる』
私達の目的。遠くの国へ二人で逃げて、一緒に暮らす。幼少期の暮らしにまた戻る。そのためならなんだって犠牲にできる……。そう蓮華には伝えていた。
『相変わらず夢見がちですねぇ』
ケラケラと笑いながら黒髪の女性が肉塊を袋に入れる。
『名無しの悪意』、そう呼ばれている純粋な殺人鬼だ。私達とは違う、ただ人を殺すだけの存在。
『そういえば次の仕事ですが、私も同行することになりました』
『貴女も……?』
監視役ということだろう。
……いや、逆に好都合だ。
犯行の大半はこいつにやらせ、私達は裏からをそれを操る。普段とは逆の立場だ。
そして私達はターゲットに招待状という名の脅迫文を送り、ホテルに呼び寄せた。最初の日の朝、鶴居祥子を殺し『名無しの悪意』に成り代わらせた。
祥子は最後まで罪を悔いることはなかった。それどころか死ぬ間際まで彼岸花お姉ちゃんへの呪いの言葉を吐き続けていた。
そして偽祥子は、鶴居伸二とは別の塔に行かせた。
本物とは中学卒業以降疎遠になっていた芦田と宮代がいるが、ただ名前が同じだけの別人だと思うだろう。
上手くいったのはここまで。
早くもアクシデントが起きてしまった。私達は塔に閉じ込められたのだ。
元々閉じ込めるのも計画の内だった。だが、私達が仕掛けをする前にそれは起きた。更に私達のカードキーでも扉は開かない。
つまり誰かが私達の計画を知った上でこれをしたことになる。
『名無しの悪意』にも知らせていない。ということは、もっと上の存在だ。
だからといって計画を修正するわけにはいかない。予定通り私達はエレベーターで蓮華を殺した。
『ききょっ…どう…して……』
蓮華は計画のことを知らない。後頭部を殴られた彼女が虚ろな瞳で私達のことを見る。
『ごめん、私達もすぐそっちに行くから』
そして蓮華の顔を潰した。万が一、一二三と樹里のどちらかが顔で私達の判別ができたら困るからだ。だが、一二三が蓮華のリストカット痕を見ていたことを、この時の私は知らなかった。
そして計画は次の段階へ。
『名無しの悪意』に百瀬を殺させ、その次に私達を殺させる。
蓮華の遺体を自室に運び、その近くに私達の遺体も現れる。これで遺体の瞬間移動トリックの完成だ。
恐らくこのトリックは樹里にすぐ気づかれるだろう。だが問題ない。
この塔の秘密に気づかない限り、彼女は真実にはたどり着けないのだから。
そして予想通り、いち早く真実にたどり着いた『名無しの悪意』が私達を襲った。
『あーあ、こっちもバレちゃったか』
肩をすくめる私たちのことを『名無しの悪意』が睨む。
『私をハメたんですね。殺しの責任は全部私に押し付けて逃げるつもりなんですか?』
『ま、そんなところかな』
……死にたくない。
覚悟をしていたはずなのに、死への恐怖が消えない。
『私達も貴女のことは絶対に言わない。だから殺すのは最後にしてくれない? お礼に貴女の望むことならなんでもしてあげるから。女の子相手は妹としか経験ないけど……』
『……黙れ』
そして私達は死んだ。
意識は暗い闇の底へ落ちていき、二度と浮上することはない。
これで私たちはやっと一つになれる……。そんな甘い期待を打ち砕くように、ただ何もない世界に一人取り残された。
「結局、私達の人生ってなんだったんだろう」
復讐に囚われ、中身なんて何もない、からっぽな人生。こんなことになるなら、もっと早く伝えておけばよかった。
「……蓮華、愛してる」
返事はない。
そんなの当然だ。許されないことを私はしてしまったのだ。
……死後の世界なんてない。
彼女が言っていたことを、最後に思い出した。