15話 『名無しの悪意』
「まずは自己紹介でもしましょうか。私はジェーン・ドウ、職業は……殺人鬼です」
鶴居祥子を騙っていた女性がニヤリと笑う。顔は変わっていないのに、目の前にいる女性の姿は完全に別人だ。
「ジェーン…ドウ……?」
「……ふざけるな」
「樹里ちゃん、どうかしたの?」
「ジェーン・ドウとはありきたりな名前、つまり誰でもあり、同時に誰でもない存在ということだ。日本でいうところの田中太郎、名無しの権兵衛みたいなものだな」
Jane Doeは女性の名称、男性はJohn Doeだ。つまり目の前にいる女は何も真実を語っていない。
「ってことは、これも偽名?」
「そうだ。未だにお前は嘘を吐き続けるつもりでいるんだ」
私が睨んでも嘲笑うような表情を崩さない。
「ふざけてませんよ? 嘘もついていません。私には本当に名前がありませんから。だから、ただのジェーンです。まあ、どうやら私は皆さんと同じ日本人のようですから、山田花子でも構いませんよ」
「名前がないなんて、そんなことあるわけ……」
本当にないと言い切れるだろうか。
だが仮に彼女の言っていることが本当だとしたら、確実に彼女はまともな生活を送っていない。そして殺人鬼になったのが、育ての親の望みだとしたら……。
そんなアニメの世界のようなことが……。
「樹里さんの想像通り、私は人を殺すためだけに育てられました。フフッ、日本にもいるんですよ? そういう中二病拗らせた感じの組織が」
そんなの、『名無しの悪意』としか言いようがない。
「あれ、どうかしたんですか? 御馳走を目の前にしてるのに、あまり楽しくなさそうですね?」
こんなの、私が求める謎、そして悪意ではない。
そしてジェーンがケラケラ笑いながら語る。自身の生い立ち、そして双子とその裏にいる存在のことを。
「私が最初に人を殺したのは十五の時、事故で家族を失った女性を殺しました。その人の子供の代わりとして何年か一緒に暮らしていました。その時の名前もあります。……でも、やっぱり違和感があって、気づいたら殺していました。まあ、それが元々の仕事だったんですけどね」
「今回も仕事だったのか?」
「はいっ!」
「……狂ってる」
一二三が呟いた言葉に頷く。
自身のことを異常者だと自虐していたが、そんなのただの驕りだった。本物の異常者を目の前にして、足がすくんでしまう。
「本当は鳩飼姉妹に与えられた仕事だったんですけどねぇ。彼女たちは余計な感情を持ちすぎでした。だから私が陰ながらサポートする予定でした」
「だが、状況が変わった。桔梗が蓮華のことを殺したんだな」
「ほんと、なんであんなことをしたんだか……。前々からおかしなこと言ってたんですよね。『一つになりたい』って。フフ、死後の世界なんてあるはずないのに」
普段なら彼女の言葉に同意していただろう。だが、今は信じるしかなかった。
遊戯世界、あそこにいた魔女こそ、死後一つになった双子の姿であることを。
「ま、それでも仕事なんで二人のお姉さんの復讐を手伝ってあげることにしました。事前に情報はもらえなかったけど、これくらいすぐに解りましたよ」
「それで百瀬を殺したのか⁉」
「宮代落ち着け。そりゃ僕だって許せないけど……」
「だって百瀬って人、殺されても仕方ない人ですよ? 彼岸花さんを襲った実行犯が彼だったわけですし。宮代はただ見ているだけ。芦田は頭がいいフリをして、実はただ自分が罪を犯したという責任を背負いたくないだけ。祥子はその司令塔、まぁ入れ替えに都合が良さそうなんで殺しちゃったんですけど」
「じゃあなんで、来ヶ谷さんを殺したんだ……」
芦田が身体を震わせながら言う。言葉にはどうしようもないほどの怒りと悲しみが込められていた。
来ヶ谷はただの芦田の同僚、双子のターゲットではなかった。殺す理由なんてない。
「あの人は裏でコソコソ嗅ぎまわっていて、もう少しで組織にたどり着きそうだったんですよね。だからついでに殺しちゃいました」
「ついで……」
芦田が弱々しい声を出し、そして倒れた。
そんな簡単な理由で、人は人を殺すことができるのだろうか。衝動的だろうが計画的だろうが関係なく、人が人を殺す時そこには殺意があるはずだ。だが、彼女にはそれを感じることができない。
「それにあの双子も。夢見がちで愚かで……。ほんと呆れた」
「……黙れ」
何はともあれ、チェックメイトだ。
「これで閉幕だ。……三流の謎だったな」
私は一二三の右手を握り、エレベーターにカードキーをかざす。
「ど、どうしたの⁉」
「四階に爆弾がある、それで脱出するぞ」
「……満足できなかったの?」
「違う。……怖いんだ」
どうしようもない恐怖。それが私の身体を駆け巡る。
『名無しの悪意』、きっと彼女のような存在は他にもいる。彼らもまた簡単な理由で人を殺すだろう。その次の対象が一二三ではないという保証なんてどこにもない。
「うっ……」
「おい! お前、何をした⁉」
振り向くとジェーンが自身の首を掴みながら苦しんでいた。そして彼女の口の周りには白い泡が……。
「まさか、毒を飲んだのか⁉」
彼女の胸ぐらを掴み、問い詰める。だが彼女は苦しそうにしながらも、笑みを崩すことはない。
白い泡からは独特のアーモンド臭がする。
「来ヶ谷を殺すのに使った毒と同じ……。まさか、青酸カリかっ⁉」
「…あ、たり……」
……手遅れ。
その言葉が脳裏をよぎる。だがここで彼女に死なれたら、双子と彼女の先にいる真実にたどり着けない。
ジェーンが私の頬に触れた。
「これは、小手調べ……。私、たちは…また……」
……そこで事切れた。
小手調べ。やはり他にも彼女のような存在が……。
『名無しの悪意』の遺体を全員が無言で見つめる。
事件は解決したというのに、ただ虚しさだけが残った。