9話 盤上世界:テレポート
起きてはまた寝てを繰り返していたら、いつの間にか朝になっていた。まだ睡眠を欲する頭を無理矢理働かせ、ベッドから起き上がる。どうせもう一度寝たところで、浅い睡眠しかできないだろう。
結局蓮華の遺体を調べることができなくなったせいで、あれから何も捜査は進んでいない。
ただ向こうでは何か発見があったかもしれない。私は樹里の部屋に電話した。
『そうか。こっちでは……』
樹里からの報告を受ける。
あちらでも死者が出た。……それも二人もだ。桔梗と百瀬、これで犠牲者は三人だ。
「そっかぁ……。うん、こっちは大丈夫。気をつけてね」
電話を切る。その直後に大きくため息をついた。
「本当に大丈夫なのかな……」
どうしようもなく不安になる。
きっと樹里は謎を解き明かすのに夢中になる。その隣に私はいない。無茶をしなければいいのだが……。
グチャグチャになった感情を堪えることができない。
……ノック音。
私は目を擦り、あくまでも自然を装って扉を開けた。
「あ、四条さん、おはようございます」
「無事で良かったです……」
芦田と鶴居が安堵の表情で私のことを見る。
「おはようございます、えっと二人はどうして……?」
「あんなことがあったんですし、みんなの安全を確認しようって芦田さんが」
「はい。宮代も無事でした。気分が悪いそうで、もう少ししたらラウンジに来るようです。……まあ、無理もありませんよね」
「じゃあ、こっちは全員無事なんだね」
「こっちは……?」
どうやら二人は西塔で起きた事件のことを知らないようだ。
私はできるだけ二人を刺激しないように、ある程度ぼかしながら樹里から聞いた情報を伝えた。
「そんな、百瀬が……」
「それに向こうでも従業員が殺されたってことは、一体犯人は……」
鳩飼姉妹、そして百瀬の殺害は宿泊客の誰かが行ったことになる。
別に姉妹が犯人ならよかったというわけではないが、やはりこの中の誰かが……。そうやって周りの人間を疑ってしまう。
「でも、犯人は西塔にいる人なんじゃないですか?」
「なら蓮華さんは誰が……?」
「あれは死んだフリなんですよ。それなら説明できます」
芦田が自信満々な様子で言うが、流石にそれはない。昨日見た時、蓮華は確実に死んでいた。死んだフリなんてできないはずだ。
「私も見たけど、あれは亡くなっていましたよ……」
「あれぇ……。あはは、僕こういうの考えるの苦手で……」
「雑誌記者なのに?」
「記者と推理は関係ありませんよ。こういうのは来ヶ谷さんの担当でしたし」
「じゃあ芦田さんの担当ってオカルト分野なんですか?」
鶴居が芦田に真顔で聞く。
UFO、UMA、幽霊に超能力。思わず鼻で笑ってしまいそうな、本当に素面で書いているのか疑ってしまうような記事。それを芦田が書いていると思うと……、こんな状況なのに笑みがこぼれそうになる。
「いえ、それも僕ではないです。僕が書いているのは、芸能人のスキャンダルとか議員の汚職とか、そういう方面ですね」
「それはそれで信憑性のないやつだなぁ……」
「まあ否定はしませんけど……」
芦田は頭を掻きながら笑う。
正直に言うとそういった記事を書く人間にあまり良いイメージはない。祖母と彼女に救われた人間を追い込んだ記者を、私は一生許さないだろう。その記者も今は仕事を辞めているどころか、もう既に亡くなっている可能性だってあるのだが。
「良くないイメージがあるのは確かですけど、僕は本気で今の仕事をやっているんです」
打って変わって真面目な顔をして言う。
どうやら、彼には彼なりの矜持というものがあるようだ。
「ジャーナリスト魂ってやつですか?」
「そんな褒められるようなことじゃありませんけどね……。ただの罪滅ぼしです」
「罪滅ぼし?」
「はい……。学生時代の僕は本当にダメな人間でした。たくさんの人に迷惑をかけてきました。今の出版社に拾ってもらわなかったら、どうなっていたことか……」
それで会社への恩返しなのだろうか。……立派な人間だ。
私にはそんな思想持てない。心の中にあるのはただのエゴ。樹里の隣にいたい、ずっと彼女にとって特別な存在でありたいという独占欲だ。
「……だから?」
「え?」
急に鶴居が冷たい声で言った。その表情は、先程までの彼女とはまるで別人のように思えた。
「そんなの、ただいいことをしている自分に酔っているだけ。そんなことしたって過去は変わらない。迷惑をかけられた人間はいつまで経っても、その被害があった事実は変わらない。あんたはそのことから目を逸らしているだけ」
「そ、そんなに言わなくたって……」
「いえ、祥子さんのおっしゃる通りです。確かに、目を逸らしているだけなのかもしれませんね」
過去は変わらない、それは事実だ。
どんなに目を逸らしたところで、父が死んだこと、島で起きた事件のこと、そして恩師が起こした殺人、そんな過去はずっと事実として私の背に乗り続ける。
私は十字架をずっと背負いながら生きていかなければならない。
「あっ、すみません。偉そうなこと言ってしまって……」
「大丈夫です。事実ですから……」
「と、とりあえず朝食に行きましょう!」
空気を変えるために、できるだけ明るく提案する。
芦田は頷いたが、「その前に」と言ってエレベーターにカードキーをかざした。
「僕も確認させてください。見ていない以上、間違っているのは二人で、蓮華さんは死んでいない可能性だってあります」
……樹里ちゃんみたいなこと言うなぁ。
そんなことを思いながらエレベーターの扉が開くのを眺める。中には蓮華の遺体が……、ある…はず……。
「……え?」
エレベーターには血の跡しか残っていない。肝心の遺体がいなくなっている。
「ほら、やっぱり生きていたんですよ!」
「そんな……」
確実に彼女は死んでいた。だが、だとしたら誰がどうやって……。