5話 プロローグ:前夜②
部屋に一人でいると、なんだか心細くなる。
今私がいるのは鳩飼姉妹によって案内されたホテルの一室、何故か樹里とは別室だ。
電話をかけるが、既に寝ているのかそれとも無視しているのか、発信音が虚しく鳴り続ける。
私はため息をつきながらスマートフォンをベッドに投げた。
大学へ行く時など、一人でいる機会はそれなりにある。だが、これから寝るという時に、隣に樹里がいないのがこんなにも寂しいなんて思ってもみなかった。
「うっ……」
……突如フラッシュバックする記憶。
その時の臭いまで鮮明に思い出してしまう。
目の前に広がる赤。そして錆びた鉄の臭い。人の形をしたナニカの背中に刺さっている……。
トイレに駆け込み、胃の中に入っていたものを吐き出す。
胃液と一緒にあの光景も流れていったのか、洗面所で口をゆすぐ頃には落ち着きを取り戻していた。
「……寝よう」
できるだけ何も考えないようにしながら、私はベッドに倒れ、目を閉じた。
●
目覚ましのモーニングコールが鳴り響く。
ぼやけた視界と思考で受話器を手に取った。
「もうこんな時間……」
いつもならとっくに目覚めている時間。それなのに、疲労感はいつも以上だ。
「あれ……」
スマートフォンを見ると、樹里から数時間前に不在着信の通知が届いていた。朝早くになんの用事だったのだろう。
「まぁ、向こうに着いてからでいいや」
今日はクリスマスイブ、樹里との思い出の日になることを期待しながら、私は扉を開けた。
「おはようございます。一二三様」
扉の前に、姉妹の片方が笑顔で金色の髪を揺らしながら立っていた。
「あっ、おはよう……。えっと、蓮華さん?」
「はいっ! 私達は鳩飼蓮華です」
ほとんど勘だったが、運良く正しい名前を言うことができた。
蓮華は子供のような笑みを浮かべながら私の手を握った。
本当に私より年上なのか、やはり疑問が湧いてしまう。
「みなさんがお待ちです」
「う、うん……」
ふと彼女の手を見る。
……大量のリストカットの痕。それが袖の隙間から見えてしまった。
「どうかしましたか?」
「な、なんでもないよ」
首を傾げながら私のことを見る蓮華から目を逸らし、私たちは階段を下りた。
誰にでも言いたくないことはある。私にそれを詮索する資格なんてあるわけがない。そう自身に言い聞かせた。
●
「ではこれで全員ですね」
私の他に、男女合わせて三人がいる。だが、樹里はいない。
「えっと、連れがいないんだけど……」
黒髪の大人しそうな男が手を上げながら言った。他の二人も似た状況なのか、不安そうな表情で蓮華のことを見る。
「はい、ご安心ください。他の宿泊者の方は、先に桔梗ちゃんと一緒に出発していますので」
……何故? 頭の中を疑問符が埋め尽くす。
可能性はいくつかあるが、やはりなんだかこの姉妹は怪しい。だが証拠がない。
樹里がここにいない以上、本当に彼女は桔梗に連れられ件のホテルに行ってしまったのだろう。
なら、私も行くしかない。
他の参加者と一緒に車の後部座席に乗る。窓は黒く塗りつぶされていて、外の景色は見えない。そして運転席と後部座席の間には仕切りがあって、向こうの様子を窺うこともできない。
「それでは、出発します」
蓮華が車のエンジンをかける。そして車が動き出した。
最初は穏やかな振動だったのに、舗装されていない道へ入ったのか、激しい揺れが私たちを襲う。
「い、いつになったら着くんですか……?」
女性の一人が声を震わせる。
「あと十分くらいですかねぇ」
蓮華が呑気な声で言う。だがその表情は見ることができない。
「着くまでの間、自己紹介でもしませんか……?」
男の提案に女が頷いた。
「じゃあ僕から……。芦田恭一、東京で雑誌記者をしています」
芦田は私たちに名刺を渡した。
名前の隣に彼が務めている雑誌の名前が書かれている。有名なゴシップ誌だ。
「いわくつきのホテルを取材しに来たんですか?」
「はい、そんなところです……」
芦田の身体が震える。しかも顔は真っ青だ。本当に、彼は取材ができるのだろうか……?
「次は俺で。宮代相馬、まあ一応フリーターってところかな、ハハッ」
宮代は豪快に笑いながら芦田の肩を叩いた。芦田は嫌そうにしているが、少しも抵抗する様子はない。
初対面の人間にあんな失礼なことされたら、私なら怒ってしまうのだが……。きっと性格的な問題だろう。
「次は私ですね。 ……鶴居祥子。OL…です……」
徐々に小さくなっていく声を必死に聞き取る。そして鶴居は言い終えると、じっと私のことを見つめた。次はお前の番だとでも言いたいのだろうか。
私は一度咳払いをして気持ちを落ち着けた。
「四条一二三、一応学生です」
一応と付けてしまうのは最近樹里に付き合っているせいで、単位がいくつか危うくなってきているからだ。最近は彼女の付き人が本業なのではと時々思ってしまう。
「クリスマスなのにわざわざ一人でこんなところに?」
「家族と来ていたんですけど、別の車に乗ったみたいで……」
樹里は大丈夫なのだろうか……。徐々に不安が大きくなっていく。
「僕も同僚が……」
「私もです……」
芦田と鶴居が頷くが、宮代は不思議そうに首を傾げた。
「別に一生の別れってわけでもないのに、大袈裟すぎじゃね?」
「そうですけど、なんだか怪しくて……」
「怪しくなんかないですよぉ。安心安全ですから」
蓮華が口を挟んでくるがあまり信用できない。
すると、車が停まった。
「着きました」
揺れから解放された私たちはすぐさま車から出た。
停車したのは山中の開けた土地。周りには森が広がっている。
……スマートフォンは当たり前のように圏外だ。
「またかぁ……」
ソシャゲのクリスマスイベントが終了間近だというのに。
……さよなら、ログインボーナス。そしてクリスマス限定キャラたち……。
「これが例のホテル……」
芦田が顔を青くしながらホテルを見上げる。
私たちの前に二本の塔がそびえ立っている。これがホテル……?
外観は古びていて、本当に何か出てきそうな雰囲気だ。
ホテルというより、ファンタジーの世界に出てくる建物のように見える。
「皆様は東館ですね」
車から降りてきた蓮華が東側に建つ塔を指差した。ということは樹里たちは西館なのだろうか。
そしてニヤリと笑いながら言った。
クリスマスに起こる悲劇、それはこの不平等な螺旋で起こる。その名は……。
「ようこそ、ホテル双貌塔へ」