4話 遊戯世界:再演
目を擦りながら、今日の仕事を終えた茜のことを見送る。
一二三の恩師が起こした事件を解決してから数日。あれから彼女との間には、ただただ重い空気が流れていた。
「……寝る」
「うん、おやすみ……」
時刻はまだ午後七時。……私の生活は、一二三と出会う前に戻りつつあった。
ただ退屈から逃れるために、夢の中、遊戯世界へ落ちていく日々。だが今は退屈からではなく、一二三から逃げていた。
一二三のことが嫌いになったわけではない。むしろ逆だ。
……好きだからこそ、今は彼女の顔を見たくない。
正直に言うと私は一二三の恩人である、渕野誠也に嫉妬している。だからこそ、あの時私は真っ先に彼が犯人だと疑った。
そして本当に犯人は渕野だった。だが、その事実が一二三の心を傷つけた。
……私は最低の人間だ。あんなに今まで嬉々として謎を解き明かしてきたというのに、今はそれが怖くて仕方がない。
また一二三の周りで起きた事件を解決して、その結果彼女を追い込むようなことになったら……。
ベッドに入り目を閉じる。
私の手に触れた一二三の温もりから逃げるように、私の意識はすぐに落ちていった……。
★
「だから言ったでしょう? もう貴女に以前のような価値はないの」
紅茶を飲んでいた『双貌の魔女』がクスクスと笑う。彼女は『幸運の魔女』がいなくなった遊戯世界の新たな住人だ。
「もう、私には謎を解くことなんて……」
「できるでしょ?」
……できる。他人の感情を無視すればの話だが。
「昔の貴女なら他人のことなんて気にもしなかった。それなのに、今は臆病なただの幼子」
「臆病で何が悪い……」
自然と口から出ていた。
「私は一二三と一緒に生きたい……。不老不死の吸血鬼じゃなく、普通の人間として」
「たとえ退屈のせいで魂が腐敗することになったとしても?」
「あぁ……」
謎でしか私の退屈は満たされない。だが、それで一二三が危険に晒されてしまうのなら……。
「私は一二三のためなら死んでもいい。それが私の出した結論だ」
すると魔女が歪んだ笑みを浮かべた。
「ククッ、貴女が謎を解こうとしなかった結果、四条一二三が死ぬことになっても?」
「は……?」
遊戯世界の景色が変わる。
どこかわからない草原。そこに一軒の家が建っている。その中へ一二三が入っていくのが見えた。
「お、おいっ!」
声をかけても彼女は立ち止まらず、そして扉が閉まった。
ここは夢の世界。だから何が起きたとしても、それは現実とは一切関係のない話だ。……だというのに、強烈に嫌な予感がした。
そして、遊戯世界が光に包まれた。その直後に鳴り響く轟音……。
建物が爆発したという事実に気付くのに、しばらく時間がかかった。
宙を舞う肉塊。きっと一二三のものだ。
こんなの、ただの悪趣味な夢……。そう言い聞かせながら必死に吐き気を抑える。
「な、なんで……」
「これは近い未来、必ず貴女たちに訪れる未来。……貴女が謎から逃げてしまえば、四条一二三は……死ぬ」
★
「あれ、ごめん…起こしちゃった?」
隣で寝ていた一二三が目を擦りながら私のことを見る。
……あれは夢の世界だ。そのはずなのに、生きている彼女を見て涙が止まらなくなる。
「じゅ、樹里ちゃん⁉」
「嫌だ、行かないでくれ……」
自分でも何を言っているかわからなくなる。ただ感情が制御できず、ぐちゃぐちゃな言葉を爆発させながら一二三の身体にしがみつく。
「大丈夫、私はどこにも行かないよ」
「頼む……。私だけを見てくれ……」
身勝手な思い。……ただの独占欲だ。
すると突然唇が塞がれた。
「んっ……、いきなりなんだ⁉」
「珍しく素直で可愛いなって思って」
そう言って意地悪そうな笑みを浮かべる。
「もし、樹里ちゃんが人を殺したりしない限り、私はずっと味方だよ」
「じゃあ私がもし人を殺したら……?」
「うぅん……、そんなこと絶対ないって信じてるけどね。万が一にでもそんなことがあったら……、まずは怒るかな」
「怒る……?」
「うん、その後いっぱい泣いて、そして樹里ちゃんが帰ってくるのをずっと待ってるから。何年でも、何十年でも……」
「それは、……重いな」
「えぇ⁉」
「ふふっ……」
ひとしきり笑った後、私たちはもう一度キスをした。
●
あれから数週間が経った日のこと。私は家に届いた封筒を睨みながら対応を考えいていた。
それは依頼という名の挑戦状。これを受けてしまえば、また危険に足を踏み入れてしまうことになるだろう。私ではなく、一二三が危ない。
……爆発音が脳内で鳴り響く。
「あんなの、ただの夢だ」
万が一、あれが虫の知らせ、一種の未来予知のようなものだとしたら。
「樹里さん……?」
茜が後ろから封筒を覗き込む。
「なぁ、私はどうするべきなんだろうか。……謎から逃げるべきか、謎に挑むべきか」
すると茜が笑った。冗談なんて言っていないのに、一体どういうつもりなんだ。私は軽い苛立ちを覚えながら、彼女の顔を睨んだ。
「す、すみません! でもバカにしてるんじゃなくて、やっぱり二人は似てるんだなぁって……」
「似てる……?」
「うん。一二三さんもちょっと前に、樹里さんと同じようなことを言ってて」
……私よりも先に茜に相談していたという事実。
「……なんかムカつくな」
「えぇ⁉」
茜の頬をつねる。
「……ありがとう」
「ど、どういたしまして……?」
私は依頼状に同封されていた写真と紙を丸め、ゴミ箱に投げた。
写真には大学内を歩く一二三が写っていた。恐らく、盗撮されたものだ。
そして、紙には短い一文が書かれていた。
『断れば、四条一二三を殺す』
かくして、次の舞台の幕が上がる。