3話 命の天秤③
「犯人は……渕野誠也だ」
そう断言した。
「な、なんで⁉ だって先生はずっと私たちと一緒に……」
いや、正確にはずっとではない。だが渕野先生に犯行ができたとは到底思えない。
「渕野千春から電話があった時、あいつは店内にはいなかった」
確かにあの時先生はタバコを吸うために席を外していた。だからといって、それを理由に先生が犯人だと決めつけるのはかなりの暴論だ。
「で、でも、現場には行くまで十分以上かかったんだよ⁉ 店内にいなかったからってそんなこと」
「いや、あいつは席を外していた時間で渕野千春を殺して戻ってきたんだ」
渕野先生が席を外していたのはせいぜい五分ほど。その間に、倉庫まで行って千春さんを殺し、そして戻ってくるのは不可能だ。それに監視カメラの謎もある。
「監視カメラの件は単純だ。渕野千春が倉庫へ行ったのは私たちと同時だ」
「えっと、つまり……」
「渕野誠也は倉庫へ行くのと同時に、渕野千春の遺体を運んでいたんだ」
そうか、それが監視カメラに映っていなかった謎の答え……。
「まず、事前に薬などで眠らせた状態で車のトランクに閉じ込め、あいつは何食わぬ顔で私たちと行動していたんだ。そしてタバコを吸うと嘘をつき、駐車場でトランクから千春を出し、一二三に電話させた」
「でもどうしてそんなことを……?」
「あの電話が来て、お前は渕野千春がどこにいると思った?」
あの時、電話の向こうから音が聞こえた。電車、そして船の音……。
「考えてみろ。渕野誠也は現場を二人の思い出の場所と言っていた。なら何故千春はあんな曖昧な情報しか言わなかったんだ?」
「それは……、犯人に脅されていたとか……」
「いや、それならわざわざ助けを呼ばせる理由がない。犯人は千春の遺体を見つけさせる必要があったんだ。それも自分が疑われない方法で」
思い出の場所だから、曖昧で少量の情報でも現場を見つけることができた。そう言い訳すれば自身にあまり疑いの目は向けられない。もしかしたら先生はそう考えて、あの場所を選んだのだろうか。
「恐らくお前が聞いたのは事前に録音したものだ。目隠しをされていた千春は倉庫にいると嘘の情報を言われ、そして偽物の音を頼りに場所を伝えようとしたわけだ」
「その結果、私は千春さんがどこかの倉庫にいると思い込んだ……」
「そういうことだな」
これで犯人は準備を終えた。この後にやることは決まっている。一番重要な作業だ。
「電話を切ってしまえば、もう渕野千春は用済みだ。誠也は縄で彼女の首を絞め……」
「それで千春さんは殺された……ってこと?」
「そうだ。後は倉庫まで遺体を運び、私たちが見ていない間に遺棄する。これで渕野誠也は千春の死亡時刻のアリバイを生み出したんだ。私たちのことを利用してな」
「そんな……」
確かにそうすれば渕野先生にも犯行が可能だろう。しかし、そんなに回りくどい手段を使ってまで、千春さんのことを……?
「だとしても、やっぱり信じられないというか……、証拠もないし」
「……そうだな。殺害に使った縄も遺体と一緒に処分したわけだしな」
証拠がない以上、渕野先生がやったと証明することはできない。
「この推理はまだ完璧じゃない……。これじゃ犯人を追い詰めることなんて到底無理だ」
「そうだね……」
ただ虚しく時間が過ぎる。
そんな私たちの沈黙を嘲笑うように、遠くから電車の音が聞こえた。
……電車?
とてつもない違和感。だってあの時千春さんは……。
『線路の近くで……』
そう言った。そして、電車が通る音も電話の向こうから聞こえた。
だが実際は……。
いや、まだそうと決まったわけじゃない。だがもしあの時……。
私はスマートフォンを手に取り、あることを調べた。もし、これが正しければ犯人は……。
「……解った」
「どうかしたのか?」
樹里が画面を覗き込む。
「なるほど、そういうことか……」
●
夕方の病院。私は、そこに犯人を呼び出した。
彼は何も疑わずに来てくれた。そのことに心が痛むのを感じてしまう。
「一体何の用事かな?」
「貴方は早々と海外に戻るつもりだったのかもしれないけど、逃がしませんよ」
「……どういうことだい?」
「犯人はお前だ。……渕野誠也」
渕野先生が首を傾げる。
「はは、あんまり面白くない冗談だね」
「……冗談なんかじゃないぞ」
そして、樹里はもう一度トリックを説明し始めた。だが先生は笑みを崩さない。
「それで? 確かにそうすれば僕にも可能かもしれないけど、証拠がないよね」
「あぁ、そうだ。だから私は短絡的な推理だと捨てようと思った……。だが、一二三がたどり着いたんだ。お前がやったという可能性に」
息を呑み、私はスマートフォンの画面を見せた。
「これは昨日の人身事故のニュースです。これで電車の運転が見合わせになったんです」
「……それで?」
私は画面を切り替え、運転見合わせになった『駅区間』を表示させた。
「千春さんの遺体が見つかった場所近くの線路、丁度その区間だったんですよ。だから、あの時電車が通るはずがなかった……。それなのに」
『線路の近くで……』
「千春さんは線路の近くだと言った。そして私も実際に電車が走る音を聞いたんですよ。……でも、おかしいですよね? 電車が通っていないはずの場所で音が聞こえるなんて」
「だから僕が千春を殺したってこと? 他の人間が偽装のためにやった可能性だってあるんじゃないかな」
「いや、やったのはお前だ。動機もある」
そして樹里は一枚の紙を取りだした。
「警察に頼んでリストを借りてきた。お前、海外に行く前に周りからかなり金を借りていたようだな」
「な、なんでそれを……」
「海外でもギャンブルにハマってたようだな。おまけに渕野千春には多額の保険金がかけられていた。だから警察はお前をマークしていたんだ。トリックが解ってアリバイが消えた以上、お前の負けだよ」
「先生……。もし、違うなら言ってください……」
縋るような想い。樹里の推理が間違っていてほしいという本音。そんな淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。
「そうだ。……僕が殺した」
「そんな、どうして……」
「樹里ちゃんの言った通りだよ。保険金目当てで殺した」
犯行がバレたというのに、渕野先生は表情を変えない。まるで、バレたところで問題がないかのように。
「それがどうした? 僕は医者だ。自慢じゃないが、世界中で僕の力を待っている患者さんがいる。そして君のお父さん、武司さんへの罪滅ぼしもあるんだ」
「だから、見逃せとでも言いたいのか?」
「そうだよ」
一切悪びれる様子もなく、先生が頷いた。
樹里がため息をつき、先生のことを睨んだ。
「お前はただの犯罪者だ。それ以上でも、それ以下でもない。……自惚れるな」
「僕を待つ患者さんたちを見捨てる気か?」
「なんだ? 私のことをこれから救われるはずの命を捨てた大量殺人鬼とでも言いたいのか?」
「そうだ。君は人殺しだ」
人殺し……。その言葉に樹里がもう一度大きく息を吐くと、スマートフォンを操作し始めた。そして耳に当てる。
「くだらない。……おい、もう来ていいぞ」
病院に大人数の足音が鳴り響く。
事前に待機させていた警察に連絡をしたのだ。
「これで閉幕だ。……三流未満の謎だったな」
今回の謎は樹里を満足させることができなかった。彼女の深紅の瞳が哀れな犯人の姿を捉えることはもうなかった。
そして警察官が渕野先生のことを取り押さえた。先生は抵抗を一切しない。ただ、私たちのことを睨む。
……そしてこう呟いた。
「……人殺し」
●
「やっと終わったか……」
二人きりになった瞬間、樹里が私に抱き着いた。
「なぁ、これで正しかったんだよな……?」
「うん、これで良かったんだ」
犯罪者は法で裁かれるべきだ。その考えは変わらない。
でもその結果、渕野先生は逮捕され、彼が救うはずだった人間は救われないのかもしれない。……私たちは人殺しなのだろうか。
「私たちはやるべきことをしただけだよ」
半ば自分に言い聞かせるように言う。
「なぁ……。もし、もしもの話だが……」
「うん……」
「私が人を殺したら、お前はちゃんと警察に引き渡してくれるか?」
「それは……」
答えは出ない。ただ無言で、樹里のことを抱きしめた。
……それしか私にはできなかった。