2話 命の天秤②
道路を十分ほど車で走る。腕時計の秒針が一周する度に、不安は更に募っていく。
……もしかしたら、千春さんはもう手遅れかもしれない。信じたくないのに、その気持ちがドンドン大きくなる。
「……覚悟はしておけ」
「わかってるよ……」
理解している。現実は常に残酷で、不平等であることを。
「大丈夫、大丈夫だ……」
渕野先生が自分に言い聞かせるように呟き続けながら、車のハンドルを力強く握りしめている。
狭い道を通り、そして車は目的地に到着した。
「ここに千春さんが……?」
「確かに線路が近くにあって、船も見えるな。だが何故ここが?」
「……二人の思い出の場所なんだ。ここから見る景色が好きだった……」
そんな場所で、千春さんが……? 嫌な予感がするが、私の足は勝手に動き始めた。
「千春さぁん!」
「千春!」
「……いないな」
「別れて探そう、そうすればきっと!」
私は渕野先生の提案に頷いた。
そして彼の走った方向とは別方向に進む。
「千春さぁん! どこですかぁ!」
「……ここもいない」
倉庫の中を覗き込んでいた樹里がこちらを見る。
かれこれ十分以上探しているが、千春さんはどこにもいない。もしかしたら、私たちは見当外れの場所を探しているのではないか。そんな疑問まで湧いてしまう。
「やっぱりここじゃないのかな……」
「一旦戻るか」
「うん……」
そして車へトボトボと歩きだした。
千春さん、どこにいるのだろう。そんなことを考えながら、念のため一度見た倉庫の中をもう一度覗き込む。
「え……」
暗くて良く見えないが、倉庫の奥に何かが倒れているのが見えた。
さっきまでは何もなかったはずなのに……。何かが……。
何か……なにか……ナニカ……。
「嘘……、イヤ……」
「いたな、探していた人間が」
腕の震えが止まらない。後遺症から来る痺れではなく、恐怖が原因だとすぐに理解できた。
樹里の手を握る。ひんやりとした彼女の体温が少しだけ私の精神を落ち着かせた。
そして、スマートフォンのライトでそれを照らした。……はっきりと、それがなんなのか見えてしまった。
「あ…あぁ……。うわあああああああああああぁぁぁ‼」
渕野先生の叫び声。見ると彼が私たちの後ろで尻餅をついていた。彼もあれを見てしまったのだ。
倉庫内で倒れる女性の遺体。
そしてその姿には見覚えがあった。
「……千春さん」
渕野千春。彼女の死んだ肉体がそこにはあった……。
●
「はい、お願いします……」
通話を切り、スマートフォンをコートのポケットにしまう。
「すぐ警察が来るので、二人ともこの場を離れないように」
「あぁ……、だが少しくらいなら」
樹里がビニール手袋をしながら千春さんの遺体に近づく。現場検証をするつもりなのだ。こうなったら何を言っても彼女は止まらない。私も恐る恐る倉庫の中へ入った。
「特に目立った傷はないな……。となると、やはり死因はこれだ」
千春さんの首を絞めつけている縄を指差した。
「じゃあ、千春さんは首を絞められて……?」
「他殺なのか、それとも自殺なのか……。これだけじゃ、まだなんとも言えないな」
いや、間違いなく千春さんの死は他殺、あの電話が何よりの証拠だ。
しかし、まずは警察が来て遺体を詳しく調べてからだ。だが、その後樹里は捜査に参加できるのだろうか。
……勿論、常識的に考えれば無理に決まっている。しかし、彼女には参加する手段がある。
ただ、私たちは遺体の第一発見者、そして容疑者でもあるのだ。
「よく、こんな状況で平気そうだね……」
涙声で渕野先生が言う。……きっと彼の反応が正しいのだろう。私も異常者に一歩近づいてしまった証拠だ。
いや、もしかしたらもう……。
「が、我慢してるだけですよ。そういえば、ちょっと喉が渇いちゃったんですけど、病院で買ってたコーヒーってまだ残ってます?」
強引に話の話題を変える。
調査は樹里一人でも問題ないはずだ。私は先生の隣に座った。
「あぁ、ごめん……」
先生は謝るとボトルタイプのコーヒーのキャップを開け、そしてボトルを真っ逆さまにした。
「もう全部飲んじゃって」
雫がポタポタと床に落ちるだけで、中身はほとんど空になってしまっていた。
遺体を眺める樹里を横目に、気まずい時間が流れる。すると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。警察がこちらに来たのだ。
……きっと乾いたのは喉だけではない。
泣いている渕野先生を見て、そう考えてしまう。
もし……、もしも樹里が死んだとしたら……。私は泣くことができるのだろうか……?
●
「ただいまぁ……」
帰宅してすぐ、私はベッドに倒れた。
結局あの後私たちは警察署に連行、事情聴取だ。
解放されたのは翌朝。もう身体はボロボロだ。
「講義は……、休むかぁ」
最悪なことに今日は平日、大学では講義がある。しかし、私の身体はもう一歩も動けない。今日はサボりだ。
「単位、大丈夫かなぁ……」
講義を休むのは今日が初めてではない。病院の日と重なったり、樹里に付き合ったり、主に後者のせいでかなりの頻度で講義を休んでいた。
今単位を落とすのは正直かなり不味い。
「一体どうやって渕野千春のことを……」
樹里は私の今後のことより、今の謎にお熱のようだ。
彼女はずっと、『どうやって』と呟き続けている。まるで『誰が』やったのかは既に解っているかのように。
「そういえば、取り調べで教えてもらったんだけど」
「なんだ?」
私たちの祖母、赤崎サチヱの知り合いである刑事が、不思議そうに言っていたことを思い出す。
「近くの監視カメラを確認したら、千春さんが最後に目撃された時間から私たちがあそこに行くまで、倉庫に行くための道を通った車は一台だけだったんだって」
「それは私たちが乗っていたものか?」
「うん。あそこに行くには絶対あの道を通るみたいで、だからどうやって千春さんはあそこに行ったのかが謎なんだって」
……倉庫に行くためには必ず監視カメラのある道を通らないといけない。だが、千春さんはそれをどうやってすり抜けたのだろう。
「そうか。……解ったぞ」
「解ったって、何が?」
「犯人がどうやって渕野千春を殺したかだ」
「えっ⁉ ……ってことは、犯人が誰かも解ってるの?」
私の問いに、樹里がニヤリと笑った。私の背中が汗ばむのを感じた。
……答えを言わないでほしい。そんなことを思ったのは初めてだ。
「犯人は……渕野誠也だ」