23話 (非)日常 後編
ある日の映画館、そこに女が入った。
今の時間に上映していたのはアクション映画だ。
そして銃撃戦のシーン。大きな音がすると、女は死んでしまった。
……一体何故?
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「……答えてみろ。言っておくがこれは私の考えたオリジナルだから、この本に答えは載っていないぞ」
樹里は本から視線をこちらに動かすことなく言った。
訳が分からない。何故映画内で銃を撃って、観客の女性が死んだ?
それを答えるのが水平思考パズルだ。きっと答えが解れば、なんてことのない当たり前の話になるのだろう。
「じゃあ質問、女性が死んだのは銃で撃たれたから?」
「ノーだ」
「女性は大きな音のショックで死んだ?」
「ノー」
「女性が死んだのと映画の内容は関係ない?」
「イエスだ」
とりあえず、映画が関係ないことがわかった。つまりこの問題は、映画館で女がいきなり死んでしまったということ以外、不必要な要素だ。
だからといって、真実に近づいたわけではないのだが。
「女性の死は他殺?」
「イエスだ」
いきなり物騒な話になってしまった。女は暗い中で突如殺されたのだ。
「……それに他の人は気づいた?」
「……ノーだ」
「え……?」
「女の死には誰も気づかなかった。女と犯人を除いてな」
そう言って樹里はクスクスと笑った。
さっぱりわからない。
暗いと言っても上映中である以上、スクリーンという光源がある。少なくとも、周囲の席にいた人間なら気づくはずだ。
「観客は二人以外いなかった?」
「……ノー」
ということは周囲に人がいる状況で犯人は堂々と女を殺したにも関わらず、そのことに誰も気づかなかったわけだ。
……待て。
私はずっと、女が席に座って映画を見ている観客の一人だという前提で考えていた。別に問題文は女が映画を見ていたとは言っていない。そこに何か鍵がある気がした。
「女性は映画館の中にいた?」
「当然だ」
「じゃあ、女性が映画館に入ったのを他の観客は見た?」
「フフッ、ノーだ」
……やはり。つまり女は映画館の中だが他の人からは見えない場所にいたことになる。
「一応聞くけど、女性が殺されたのは映画館の上映室の中?」
「あぁ、そうだ。決してトイレやスタッフルーム、他の上映室で殺されたわけではない。女が殺されたのは間違いないく問題文の場所だ」
となると女は周囲に人がいるのに、周囲からは見えない場所にいるわけだ。これを満たす条件は限られている。
「……解った」
「言ってみろ」
ずっと本に視線を向けていた樹里が、やっとこちらを見た。
……その傲慢な態度、へし折ってやる。
「女性は映画館の中にいたのにそれを他の観客は気づかなかった。これだけ聞くとおかしな話だけど、実はそんなことない。女性がいたのは犯人以外見えない場所、犯人が妊婦だとしたら……」
そう、死んだのは映画を見ていた観客ではなく、観客の胎内にいた胎児だ。
母体が映画の鑑賞中になんらかの行動をした結果、胎児が死んだ。少し強引だが、これも他殺と言えなくもない。
「なるほど、犯人は母親で死んだのは胎児。だから周囲にいた人間は気づかなかった……というわけか?」
「そう、これが私の推理。で、答えは?」
私が堂々と言うと、樹里は少し残念そうな顔をしながら無慈悲に告げた。
「……不正解だ」
「はぁ⁉」
「母親の行動が原因で胎児が死んだ場合、それは他殺と言えなくもないが……、やはり少し強引だな。それに私は言ったはずだ。女と犯人以外は死に気づかなかったと。つまりお前の推理だと、母親は胎児が死んだことに気づいていたということになる」
確かに私の答えには粗があるかもしれない。だがこれが違うのなら、本当の答えは一体……。
すると、扉の開く音がした。
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「後は自分で運ぶから。いつもありがとね」
エレベーターの扉を開くボタンを押し、茜から荷物を受け取る。
「いえ、いつでも呼んでください」
「うん、また明日もよろしくね」
エレベーターから出ると、扉が閉まり下へ降りていく。
廊下を上機嫌で進む。自室の前にたどり着くと私はバッグから鍵を取り出した。
しかし、部屋の鍵は開いていた。
「あれ、不用心だなぁ……」
……ちゃんと鍵をかけるように言ったのに。
心の中でぼやきながら扉を開けた。
「ただいまぁ……あれ?」
靴が一足増えている。そしてそのデザインには見覚えがあった。
鼓動が早くなるのを感じながら、リビングの扉を開いた。
「おかえり」
「……おかえり」
いつもと変わらない樹里、そして気まずそうにしている女性。
「……美鈴、どうして」
元交際相手の女性、楠瀬美鈴。何故彼女がここに。
大学で会うことはあるのだが、できるだけその回数が少なくなるように彼女のことを避けてしまっていた。
彼女の顔を見て、心臓を直接掴まれたような気分になる。
「あ、先にこれ……」
美鈴が私に一枚の紙を渡す。今日休んだ講義の課題に使うレポート用紙だ。これを渡すために彼女はここに来たというわけだ。
「これで暇つぶしは終わりだな」
「まあ、そうだけど……。結局答えってなんだったの?」
「……さぁな」
「私が帰ってくるまで、二人で何してたの?」
そして美鈴は語りだした。二人の暇つぶし、奇妙な事件の物語を……。
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「なるほどねぇ……」
樹里が美鈴に出したパズル。そして美鈴が樹里にした質問とそれへの答え。
その大まかな流れを聞いて、私はまず樹里の頬をつねった。
「な、なんだいきなりッ!」
「樹里ちゃん、美鈴に当てさせる気なかったでしょ。こんな意地悪な問題」
「……一二三はわかったの?」
「まぁ、なんとなくだけどね」
美鈴の出した答え。実は惜しいところまで行っている。
死んだ女がチケット代を支払って映画館に入った客ではないというところまでは正しい。だが、樹里の生み出した真実は美鈴の予想よりもくだらないものだ。
……もしかしたら、謎を解き明かした時の樹里もこんな気持ちなのだろうか。
「じゃあ、私も質問していいかな?」
「……勝手にしろ」
「大きな音っていうのは手で何かを叩いた音?」
「……イエスだ」
美鈴が首を傾げる。
そう、女は手で叩かれたことが原因で死んだのだ。これだけだと何を言っているのか、わからないかもしれない。
「女性はものすごく身体が小さかった?」
「イエスだ」
女は小さかった。手で叩きつぶせるほどに。
「じゃあ、最後の質問。……女性は人間?」
私の問いに樹里がニヤリと笑う。そしてこう返事した。
「……ノーだ」
「えっ?」
美鈴が困惑の表情で樹里のことを見つめる。
死んだ女はそもそも人間ではなかった。そして身体が小さかったということは……。
「もしかして……」
どうやら美鈴も答えにたどり着いたようだ。
「もしかして、虫……?」
「イエスだ」
「そう、つまり死んだ女性は映画館に紛れ込んだ一匹の虫、それを観客の一人が叩き潰して死んでしまったって感じかな」
「……正解だ」
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ある日の映画館。そこへ一匹の蚊が扉の隙間から入ってきた。
蚊は血を求めて飛び回り、そして一人の男の腕の上に降りた。
それに気づいた男は蚊めがけて手を振り下ろし……。
パチンという大きな音がして、蚊は潰されて死んでしまった。
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あまりにも当たり前で、くだらないストーリー。
それを必死に考えていたのが滑稽で馬鹿馬鹿しくなる。
「鼻をへし折ることはできなかったようだな?」
「うるさい……」
樹里がこちらを見透かしたような表情でニヤニヤと笑う。
……どうして、こんなやつのことを一二三は好きになったのだろう。
「他にはどういう問題があるの?」
「……今のはオリジナルだ」
一二三は樹里の読んでいる本を後ろから覗き込む。樹里は嫌そうな顔をしながらも、一二三のことを拒んだりしない。
二人を見ていて理解した。二人の関係は姉妹を超えている。だが、そこに歪んだものは存在しない。……純粋な愛情だけだ。
私にはないものが、羨ましくなる。
「じゃ、私帰るから」
ここにいたら気が狂いそうだ。足早に去ろうとすると、それを一二三が遮った。
「また、遊びに来てね」
一二三が顔を赤らめる。なんだか付き合っていた頃の彼女を思い出して、こちらまで恥ずかしくなってしまう。
「……気が向いたらね」
私には頷く勇気なんてなかった。曖昧な返事をすることしかできない。
それでも、一二三は嬉しそうに笑った。
「ま、いい暇つぶしになったぞ」
……あいつさえいなければ、何度でも行くんだけどなぁ。
樹里の言葉が、彼女の中で最上級の誉め言葉であることを、この時の私は知らなかった。
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ひさしぶりに、美鈴とまともな会話をした。樹里がいなかったら、こんな機会二度となかったのだろうか。
「……ありがとう」
「何がだ?」
「なんでもない」
相変わらず本を読み続ける樹里を後ろから抱きしめる。
「楠瀬美鈴、あまり私と似ていなかったな。髪の色くらいじゃないか?」
「うっ……」
あの時は気にしていないなんて言った癖に……。なんだかんだ言って樹里は、私が彼女のことを美鈴の代替品として見ていたことを根に持っているようだ。
「い、今は違うからいいでしょ。今は本当に樹里ちゃんのことが好きなんだから」
「……そうか」
いつも通りの淡々とした声。でも、私だけが知っている。声の中に少しだけ喜びの感情が混ざっていることを。