21話 不幸体質は宙を舞う 後編
インターホンの音で目覚める。俺は恐る恐るドアスコープから廊下の様子を覗いた。
黒いジャージを着た白髪の少女、そしてTシャツ姿の茶髪の女性。二人の女の後ろには警察官の男が立っていた。
……大丈夫、バレているわけがない。できるだけ冷静にしながら、俺は扉を開いた。
「朝早くに、申し訳ありません」
時刻は午前五時。もう少し時間が経ってから証拠を処分しに行くはずだったのに……。
「単刀直入に聞く。金井智昭を殺したのはお前だな?」
「は……?」
白髪の少女が言った。俺が殺したと。
……どうして。証拠なんてないはずだ。だってあれは……。
「隣の部屋のやつから聞いたぞ。お前は本来なら出張で、今日の朝帰るはずだったんだな?」
「そ、そうですけど……。それが何か?」
そうだ。本当なら俺は県外にいるはずだった。だが突然、その予定は中止となった。だから今夜は家で大人しくしていた。それがこんなことになるなんて……。
「今回の事件、本当に不幸だったのは誰なんだろうな。少なくとも今日茜は金井の部屋に泊まらなければ、巻き込まれることはなかった。お前も出張していれば、金井を殺す必要なんてなかっただろうしな」
「い、いい加減にしてください……!」
「まずは金井が何をしようとしたか説明しないといけない。……やはり、一番不運なのはお前だ。もしかしたら、駐車場に落ちていたのはお前だったかもしれないしな」
そして少女は語り始めた……。
●
「金井の目的、それは家主が留守の部屋を狙って空き巣をすることだった。そう、本当なら出張でいなかったお前の部屋をな」
樹里は淡々と言う。
……やはり信じられない。それが私の本音だ。
そして彼女は現場付近に落ちていたフック、それと部屋にあったロープを警察官から受け取った。
「これは元々金井の部屋のベランダ、その壁に取り付けられていたものだ。それにロープを輪に結んで吊るす……」
かなり危険な方法だが、実際に金井はこれを使って目の前にいる男性の部屋に侵入したのだ。
「そしてもう片方を手首に縛ったんだ。あの手首の跡はそのせいでできたんだ」
「それで、その話と私に何の関係が……?」
「まあ焦るな。金井は最初自室のベランダからそれをするはずだった。だが茜がいた……。それが偶然かなんらかの目的があったかはわからないがな」
いきなり私の名前が出てきてビクッとしてしまう。そうか、彼はもしかしたら私に罪をかぶせるつもりで……。
「まず金井は自室を出た後、駐車場に向かった。そしてベランダから垂らしたロープを自身の手首に結んで……、壁を登ったんだ」
ここは四階だ。駐車場からここまで登ってきたと考えると、とんでもない労力だ。それを他のことに活かせなかったのかと思ってしまうほどに。
「そしてお前の部屋のベランダに侵入、手首のロープをほどいた」
その後金井はリュックから侵入するための道具を取り出し……。
「窓を割って侵入しようとしたが、それに気づいたお前は窓を開き、取っ組み合いになった。そしてその結果金井はベランダから転落してしまったわけだ。その時にロープを掴んだが、勢いに耐えきれなかったフックが外れてしまったんだろうな」
「そ、そんなのただの妄想だろ……?」
彼がやった証拠は今のところ何もない。だが、彼がやったのなら室内に金井のリュックがあるはずだ。
「そうだな。私たちはお前の部屋を勝手に調べることもできない。だから、警察がお前が回収できなかったロープを見つけるまで、監視させてもらうぞ。部屋に残されたリュックを処分できないようにな」
……王手だ。もう彼は逃げられない。
「はぁ……。そうだ、俺が殺した」
「……これで閉幕か。案外大したことなかったな」
樹里の顔から先程までの笑みが消えた。犯人の男の観念した様子を目にもくれず、そのまま立ち去った。
「こ、これで終わり⁉」
「あぁ……。後は警察の仕事だからな」
「それはそうだけど……」
彼女はもうこの事件に興味を無くしたように見えた。謎を解き明かすことができれば後はどうでもいいのだろうか……。
「そういえば、お前はこれからどうするんだ?」
……すっかり忘れていた。他人の心配をしている場合ではない。明日から私はどう生きていけばいいのだろう。
「新しい仕事先と家探さないとだなぁ……。でも、また事件に巻き込まれて……」
「また……? まさか、これが初めてじゃないのか?」
「え? う、うん……。流石に人が殺されたのは初めてだけど……」
そう言った瞬間、樹里の瞳が輝いた。
「そうか。なら……」
●
「樹里ちゃん……。これ、どういうこと……?」
私は目の前に立っている女性を見て唖然としていた。
茶髪でTシャツ姿の女性も戸惑っている様子だ。
「今日から使用人として働いてもらう平塚茜だ」
「えっと……、よろしくお願いします……」
茜が困惑したまま頭を下げる。
朝起きると樹里がいなかった。散歩でもしているのかと思い朝食を作っていると、彼女が茜という女性を連れて帰ってきた。
「よ、よろしく……、じゃなくてっ! ちゃんと経緯を説明してよ⁉」
「私は寝るから、説明は茜から聞いてくれ」
一方的に言うと、樹里は寝室に入ってしまった。
「えぇ……」
「いつもあんな感じなんですか……?」
「あぁ……うん……。なんかごめんね……」
きっと茜も無理矢理巻き込まれてしまったのだろう。私は彼女に同情しつつ、これから本当に彼女を雇うのか考えていた。……きっと何か理由があるのかもしれない。
「樹里さん、自分じゃ一二三さんの力になれないからせめてそういう人間がいれば……って」
……そんなことはない。私は樹里に幾度も助けられている。
だが、それは精神的な話だ。きっと彼女が言いたいのはそういうことではない。
時々痺れて動かなくなる右手。これを樹里の責任にしたくなくて……。私は買い物や荷物を運ぶ際、無意識の内に樹里を頼らないようにしていた。
「や、やっぱり私帰りますっ!」
帰ろうとする茜の腕を掴む。
「ちゃんとお給料は払うから、しばらくの間お願いしてもいいかな……?」
「い、いいんですか⁉」
「まあ、茜さんにも事情がありそうだし」
「あ…ありがとうございます!」
茜が泣きながら私に抱き着いた。私は訳がわからず混乱してしまう。
「落ち着いて!」
彼女の身体を引き離し、ティッシュを渡す。
「それで、どうしてこんなことになったの?」
「それはですね……」
そして私は知ることになる。
樹里の深夜の散歩、そこで遭遇したとある事件。
不運な三人が巻き込まれた話。それに樹里が介入したのは、幸運だったのかそれとも不幸だったのか……。
少なくとも、茜は幸運だったのだろう。そして犯人は不幸としか言えない。
きっと、その時も樹里は俯瞰するように事件を眺めていたのだろう。その光景だけが、私にも見えた。