19話 不幸体質は宙を舞う 中編
「私は赤崎樹里。……この謎、私が解き明かしてやる」
突如現れた真っ白な髪をした少女、樹里が宣言した。
警察官はため息をつくと、彼女に近づいた。
「冗談もいい加減にしなさい。ほら、送ってあげるから、どこに住んでるの」
完全に子供相手のような態度の警察官に樹里は顔をしかめた。そして先程の警察官と同じようにため息をつく。
「はぁ、また連絡しないとダメか。面倒だな」
そして彼女はスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけた。もしかして、お家の人だろうか。そんな甘い考えはすぐに砕け散った。
「もしもし、私だ。……あぁ、もう一度頼む。……ほら」
そう言って樹里は警察官に自身のスマートフォンを手渡した。
「一々電話を借りていた頃から考えると、無理矢理これを私に買わせた一二三に感謝しないとだな」
樹里はそう言って肩をすくめた。警察官はそんな彼女のことを不審に思ったのか、彼女を睨みながらスマートフォンを耳に当てた。
「もしもし、どちら様……えっ⁉」
すると警察官の態度が一変した。彼はペコペコとお辞儀をしながら電話に対応している。
……一体誰と電話をしているのだろう。
そして通話を終え、スマートフォンを樹里に返す。
「それで、私はここにいていいのか?」
「あ、あぁ……」
「そうか。じゃあ、こいつは借りていくぞ」
「えっ、えぇ⁉」
樹里は私の腕を掴むと早足でエレベーターに向かった。
そしてエレベーターに入ると、一切躊躇わず一階のボタンを押した。まさか、現場に行く気なのだろうか。
「……逃げるなら今のうちだぞ」
私の脳内でも覗いたのか、何も言っていない私に対して、樹里は不敵な笑みを浮かべながら言った。
「き、君が無理矢理……」
「あのままだとお前が邪魔になると思ったからだ。むしろここから逃げてもらった方が楽なくらいだよ」
人が死んでいる状況とは思えないほど淡々とした言葉。そんな彼女に恐怖を覚えてしまう。
「た、助けてもらったし……。できることがあれば、手伝うよ」
「……そうか」
「私、平塚茜」
「赤崎樹里だ」
「……それはさっき聞いたよ」
気になることだらけなのだが、樹里は何も語ろうとしない。
「……そういえば、さっき誰に電話したの?」
「あぁ、それか。祖母の古い知り合いだよ」
私は首を傾げた。
この時は知らなかったが、後に彼女の祖母が昔政界をも牛耳っていたと噂される実力の占い師、赤崎サチヱであるのを知ることになる。
●
……樹里の言う通り、逃げ出せばよかった。
現場の重苦しい雰囲気に私は後悔してしまう。だがそれとは反対に立入禁止のテープの向こうでは、たくさんの人たちが現場を物珍しそうに見ている。スマートフォンを赤い血だまりの方へ向けている姿に気分が悪くなる。
「……本当にいいのか?」
「……うん。私でも手伝えることがあるかもしれないし」
本音を言えば逃げたくて仕方がない。だが、私は真実が知りたかった。
そして私たちは血だまりの中心に近づく。嫌でも金井の凄惨な末路が視界に入ってしまう。
「うっ……」
胃酸が逆流してくる。私は必死に堪えながら現実を捉える。
「それなりの高さから全身を打ったのだろうな。四肢が折れ曲がっているが、ちゃんと人の形を保っている」
遺体を見ながら樹里が冷静に分析する。
私は目を逸らし、マンションを見た。駐車場からは廊下と部屋の扉ではなく、各部屋のベランダが見える。つまり彼はベランダからここに落ちたのだ。
「ん……。おい茜、被害者の右手首を見ろ」
目を細めながら言われた場所を見る。
「これって、何かで縛った跡……?」
樹里が頷く。
金井の右手首が赤くなっている。しっかり確認したわけではないが、部屋を出た時はこんな状態ではなかった。
「他に何かお前から見て不審なところはないか?」
「え、えっと……」
見るだけで精一杯なのだが……。私は必死に脳を働かせ、何かないか探す。
「あれ……」
私はあることに気づいた。
「何かあったか?」
「いやあったというより……」
あれがない。私は辺りを見回したが、それらしいものは落ちていない。
「金井くん、部屋を出る時はリュックをしてたのに、今はない……」
「なるほど。落下中にどこかへ飛んでいった可能性はあるが、……おい」
樹里が近くにいた鑑識に声をかける。
「現場付近にリュックは落ちてなかったか? 被害者が背負っていたらしい」
「いえ……、特にそのようなものは……」
「そうか。なら、マンション内にも落ちていないか調べさせろ」
「えぇ⁉」
嫌がる鑑識を無視して樹里は現場を後にした。私も彼女の後ろについていく。
「ど、どこに行くの……?」
「これ以上収穫はなさそうだからな。一旦部屋に戻るぞ」
またエレベーターに乗る。
そして金井の部屋がある五階のボタンを押した。
「……どうして、樹里さんはこの事件を調べてるの?」
最初に思った疑問。
彼女は私とも、恐らく金井とも一切関係のない人間だ。だから、何故こうやって調査してるのかが気になって仕方ない。
「暇つぶしだ」
……狂っている。
人が死んでいるというのに、樹里はそんなことのために……。
「そうだ。そんなことのために私はこの事件に首を突っ込んだ。だが、必ず犯人は見つけてやる」
また私のことを見透かしたように、樹里が言う。そして悲しげな笑みを浮かべた。
彼女が抱えている闇を、今の私はまだ知らない。
●
「……何もない部屋だな」
部屋に入ると、樹里が率直な感想を呟いた。
ベッドと机、それくらいしかこの部屋には家具が置かれていない。あとはキッチンにある冷蔵庫と、脱衣所に設置された洗濯機だけだ。
最低限生活するためだけの部屋。それが今の私が抱いた印象だ。
「昔はこんな感じじゃなかったと思うんだけど……」
友達から聞いた話だが、学生時代の金井の部屋はかなり散らかっていたらしい。実際に見たわけではないので、自信はないのだが。
「昔のことを反省して今は徹底した生活をしているのか、それとも……」
「もしかしたら、別の場所にも部屋を借りてた…とか……?」
仮にそうだとして、なんのために……?
やはり、私なんかの考えじゃ真実には到底たどり着けないだろう。
しばらく彼女の隣で証拠を探すフリをする。警察も調べているのだ。そんな中で新しい情報が手に入るとは思えなかった。
「……おい」
私を連行しようとした警察官が露骨に嫌そうな顔をしながら話しかけてきた。
「なんだ?」
「言われた通りリュックを探したが、そんなものどこにも見つからなかったぞ」
「ど、どうして……」
記憶違いなどではない。確かにあの時彼は……。
「そうか。ならやはり自殺の線は薄いな」
「あぁ……。しかしそうなると……」
そう言って警察官が私のことを睨む。私のことを疑っているのだ。
「な、逃げればよかっただろ?」
「わ、私やってませんっ!」
「まあ、本当にやってたらそんな下手な嘘つく必要もないだろうしな。あと一つ」
警察官が樹里にあるものを渡した。
「ロープか……」
「これが収納スペースの奥に隠してあった」
何の変哲もないロープ。だがこれがこのシンプルすぎる部屋にあったというのは、何か違和感を覚えてしまう。
「被害者が自殺だとしたら納得できるが……」
首を吊るためのロープ……。あまり考えたくはないが、それならここにあるのもわかる。だが他殺だとしたらどうして……。
いくら考えてもわからない。私は少し頭を冷やすためにベランダへ出た。
「ん……、なんだろあれ?」
暗くてよく見えないが壁に何かある。私はスマートフォンのライトで壁を照らした。
「どうかしたか?」
「あれ……」
私は壁を指差す。
……複数の小さな穴。まるでここに何かを刺していたかのような。
「……ふむ」
樹里が穴を見て何か考えている。
「そうか、犯人が解ったぞ」
「え……?」
……今なんて言った?
「正確には、これが他殺かつ犯人が茜ではないことが解ったと言った方が正しいな」
「じゃ、じゃあ誰が殺したかは解らないの……?」
「そりゃそうだろ。まだ登場していない人物が犯人だと解る探偵なんて、ルール違反もいいところだ」
笑えない冗談を言うと、樹里は警察官の肩を叩いた。そしてスマートフォンを操作して、画面を彼に見せる。
「おい、これに似たものが現場にないか探せ。あとロープもだ」
「は……?」
言い終わると樹里はベッドに倒れた。
「ちょ、ちょっと!」
私は樹里の肩を揺するが反応はない。ただ彼女は穏やかな呼吸をするだけだ。
「ま、まさか……」
樹里はこんな状況で、私たちを残して寝てしまった……。