2話 遺産①
島に着くと、黒服の男二人が深々と頭を下げ、私たちを出迎えた。初老の男と中年の男。恐らく赤崎家に仕えている使用人なのだろう。
……使用人という存在なんて、漫画やアニメの世界でなら何度も見ているのだが、現実世界で実際に見ることになるのはこれで二度目だ。
「皆様方、長旅ご苦労様です」
フェリーから降りた加奈子おばさんが若い男の肩に手を乗せる。
「ひさしぶりね。ヤス、それにそうちゃん」
「おかえりなさいませ。加奈子様」
中年の男、ヤスがもう一度頭を下げる。その隣で、『そうちゃん』と呼ばれた初老の男が栄一から荷物を預かっていた。
「栄一様と樹里様も、おひさしぶりでございます。……失礼ですが、そちらの方は?」
初老の男が私のことを見る。まあ、私の存在を疑問に思うのも当然だ。この島に来るのは初めてのことなのだから。
「あっ、父の……四条武司の代理で来ました。四条一二三です」
そう言うと、初老の男が目を細めた。
「そうでしたか……。なるほど確かに武司様のお若い頃の面影が……おっと、申し訳ございません。私、使用人の青木総一郎と申します」
「同じく使用人の、安井蔵之介です」
総一郎と蔵之介が今度は私に頭を下げる。何もかもが慣れていないことすぎて、なんだか恥ずかしくなってしまう。
「今日は二人だけなのか?」
樹里が周りを見ながら言った。本来は彼らの他にも、使用人が何人もいるのだろう。たしかに、赤崎家の人間の世話をするのに二人では少ないような気がした。
「おいおい、そんなんでちゃんと仕事できるのかよ?」
栄一が禿げた頭を掻いた。彼と同意見なことに何故か腹が立ってしまう。
「そのことについて、新太様からお話があります。まずは屋敷へ」
そう言って使用人の二人は私たちの荷物を軽々と持ち上げ、屋敷へと歩き出した。私もその後ろをついていく。
気が遠くなるほど長い階段を上ると、屋敷の全貌が姿を現した。
「おっきぃ……」
「何度見ても落ち着かねぇなぁ……」
まるでここが日本ではないように錯覚してしまうほど、豪華で西洋的な屋敷。それを見て庶民的な反応をしてしまう私と栄一を気にせず、加奈子おばさんと樹里は蔵之介から鍵を受け取っていた。
「皆様のお部屋の鍵です。加奈子様と栄一様はゲストハウス一階、樹里様はゲストハウス二階……、一二三様のお部屋は……」
蔵之介は困惑した様子で額の汗を拭く。
確かに私がイレギュラーな客人であることは重々理解しているのだが、一応私は父の代理人だ。父が泊まるはずだった部屋でいいのだが……。
「新太様の言いつけですか?」
「は、はい……。すみません!」
表情を変えずに総一郎が蔵之介に確認する。新太という人のことはわからないが、父との関係が少しだけ見えた気がした。
「べ、別に空いてる部屋で大丈夫ですよ。掃除くらい自分でできますし……」
「しかし……」
「なら、私の部屋でいいんじゃないか?」
そう言って鍵を私に投げる。慌ててキャッチすると、樹里はそのまま無言でゲストハウスの方へ行ってしまった。
ゲストハウスを眺める。屋敷本館よりはこじんまりとした印象だが、それでも一般の住宅と比べると豪邸という感想を抱いてしまう。
私は恐る恐る玄関の大きな扉を開いた。
白を基調とした廊下に、赤いカーペットが敷かれている。カーペットだけでもとんでもない価値がありそうで、一歩目を踏み出すことができない。
だが、躊躇せずに加奈子おばさんたちがカーペットを靴で汚した。私はできるだけ歩幅を長くしながら後ろをついていく。
「私たちはこの部屋ね」
おばさんは鍵に刻まれた番号と部屋の番号を照らし合わせた。二人の部屋は一〇三号室だ。
樹里に渡された鍵を見る。そこには二〇二と刻まれていた。
「そういえば、樹里ちゃんとは別室なんですね」
「あいつは昔から一人でいるのが好きだからなぁ……。そのおかげで手はかからなかったけどな」
島に行く前、駄菓子屋で彼女と会った時のことを思い出す。あの時も彼女は一人だった。つまり彼女はわざわざ両親と別行動をしていたのだ。
「でも、あの子が一二三ちゃんと一緒の部屋でもいいなんて言うとはねぇ……」
ニヤニヤしながらおばさんがこちらを見る。……何か邪なことを考えているようだ。少しだけ寒気がする。
「た、ただ私のことを不憫に思っただけですよっ!」
「まず不憫に思うことが珍しいのよ」
「そ、そうなの?」
「そうなの。いやぁ、うちの娘にもようやく春の兆しかぁ……」
嬉しさ半分、寂しさ半分といった表情を見せているが、少し待ってほしい。おばさんは肝心なことを見逃している。
「何言ってるんですか⁉ 私も樹里ちゃんも両方女ですよ?」
「あら、今はそんなの気にする時代じゃないでしょ?」
「ま、俺にはあんまり理解できないことだけどな……」
「もうおじさんの時代は終わったんですぅ」
「へいへい……」
「じゃあ一二三ちゃん、また後でね」
「は、はい……」
そう言って二人は部屋に入り、扉を閉めた。残された私は、ただ困惑することしかできなかった。
別に私は樹里に悪い感情は抱いていない。むしろ早く仲良くなりたいと思っているほどだ。ただ、この感情が恋愛的なものだとすると……。
「チョロすぎるでしょ……、私」
今日会ったばかりの人間と一緒に泊まることを嬉しく思う自分のことが心配になる。
思考を振り払い、廊下を進む。階段は入口付近にはなく、廊下の奥にしかない。文句を言うほどではないが、やはり不便だ。
階段を上り二階へ進む。
部屋の前に樹里が立っていた。……よくよく考えたら、私に鍵を預けたのだから彼女一人では部屋に入ることができないのだ。
「あっ、樹里ちゃん」
「はやく……」
彼女が小声で言う。
「はやく鍵を開けろ……」
そして樹里は頬を薄紅色にしながら、こちらを睨んだ。その様子がなんだか今までずっと大人っぽかった彼女とは真逆な、子供らしい表情でとても愛らしかった。
……やっぱり私チョロすぎるなぁ。