12話 嫉妬の罪③
「まあ、義母さんが活躍してたのは一二三ちゃんが産まれる前だからなぁ……」
あれから二十年も経ってしまった。俺は赤崎家のコネを利用して母の経営していた酒屋を大きくした。専用の工場も作り、今では日本でも有数の企業だ。
母が死んでから既に四十年近く経っている。
加奈子と結婚してから二十年、復讐を果たすチャンスなんていくらでもあった。それなのにできなかったのは……、二人の存在のせいだ。
デッキに一二三と樹里を残して船内へ入ると、加奈子が泣きそうな顔でこちらを見た。恐らく兄のことだろう。
「まあ、あの雰囲気だと生きては……」
「……そうね」
結婚した頃には既に武司は赤崎家から追放されていた。そのため会ったことはないが、加奈子と武司はかなり仲が良かったらしい。一二三を自分の子供と思っている節があるほどだ。……少なくともこの時はそう思っていた。
そして島にたどり着いて最初の夜。
バッグの中身を見る。……人数分のナイフ。今回もこれを使うことはないだろう。
足踏みしている間に、肝心の赤崎サチヱは死んでしまった。もうこの復讐には何の意味もない。新太や加奈子を殺したところで、俺の心の靄が晴れることはないだろう。
遺産には最初からあまり興味がない。
……これからは、大切な二人のために過ごそう。心の中でそう誓った。
「なぁ、一二三ちゃんへの電話、どういうことなんだ?」
内線の電話を切り、安堵のため息をつく加奈子に聞いた。一二三の母親、それを彼女が知っている。きっと母親の存在が、武司の追放と関係あるのかもしれない。そんな気がした。
「……そうだね。栄一にも言っておかないとだね」
神妙な顔つきで俺のことを見る。
……四十年ぶりの感覚。脳内でもう一人の自分が止めろと警告している。だが、その理由がわからない。
そしてまた俺は後悔することになる。……俺にも未来が見えたなら、どんなに良かったことか。
「ずっと隠してたことがあるの……」
●
……言葉が出てこない。
一二三の母親。それが加奈子……?
父親が武司であることが嘘というわけでもない。つまり、実の兄妹の間に産まれた子供ということになる。
別に加奈子が過去に誰と交際してようが興味はない。最悪、一二三が加奈子と別の男との子供だったら許容はできただろう。
だが、理解できないものに対して、人間はどこまでも残酷になれる。
気づくと、俺は無言でナイフを振り下ろしていた。心中には、ドス黒い感情が渦巻いていた。
……嫉妬。俺は赤崎武司に激しく嫉妬してしまった。
動かなくなった妻の形をした肉塊を見て、俺はまったくと言っていいほど動揺しなかった。逆に冷静になっているほどだ。まずは彼女の人差し指でメッセージを書く。
……色欲。それが俺を裏切った赤崎加奈子に与えられた罪だ。
どうせ全員殺すんだ。偽装なんてそれなりでいい。だがこの状況だと最初に疑われるのは俺だろう。
……こういう時のためにあいつがいる。
「鍵がかかっていることにする……?」
「あぁ、それをお前がマスターキーで開けるフリをすれば、誰も鍵がかかっていることを疑わないだろ?」
使用人の安井蔵之介。彼は俺から多額の借金をしている。このことを周りは誰も知らない。
彼のことを利用して、俺は事前に島内の情報をある程度仕入れている。新太の横暴で、現在使用人が二人しかいないことも知っていた。
最初は普通にマスターキーを使って施錠させる予定だったが、思わぬトラブルが起きた。こんなことなら総一郎も買収しておくべきだったと後悔した。
だがトラブルはあったものの、第一の事件は俺の思惑通り使用人へ疑いの目が向かった。だが、当然蔵之介が黙っていなかった。
「ど、どういうことですか! 僕はただマスターキーを……!」
掴みかかる蔵之介を押し倒し、ナイフを握る。そして彼の頸動脈を切り裂いた。
返り血を全身に浴びる。この姿を誰かに見られたら、そう思うと震えが止まらなくなる。
急いで部屋に戻ると、加奈子の亡骸が放置されているベッドの傍にあるものが落ちていた。……画面の割れたスマートフォン。
見たことのないデザイン。つまり一二三のものである可能性が高い。
……これは好都合だ。俺はシャワーを浴び着替えを済ませた後、朝食の時間帯にシアタールームへ行き一二三のスマートフォンを捨てた。彼女に罪を被せるために。
●
……これが事件の全容。
言葉が出てこない。
「これで閉幕だ。……三流のシナリオだったな」
心の底からガッカリしたような表情で、樹里が肩を竦めた。
「それだけの理由で……」
ただの復讐なら納得できたのだろうか、そんなはずがない。今やっと気づいた。人を殺していい理由なんて存在しないことを。こんな月並みのこと、もっと普通の状況で知りたかった。
「まだ終わっていない」
栄一が静かに呟く。その手には、ナイフが握られていた。
「栄一様! お、落ち着いて……、うぐっ……」
とめようとする総一郎の右手から血が流れる。栄一が容赦なくナイフで彼を切ったのだ。
「やめなさい! これ以上罪を増やすな!」
「そうだ。……最初からこうすればよかったんだ」
新太の必死の叫びを無視して、栄一がナイフを構える。その先には震える桐子。
そしてナイフを突き刺した。
「ぐっ……」
「新太さん⁉」
新太が桐子をかばい、右腕をナイフで刺された。彼の後ろで桐子が信じられないといった表情をしている。
「はやく…逃げろ……」
新太が栄一に掴みかかりながら言う。
桐子は頷き、扉を勢いよく開けた。そして廊下へ走っていく。新太はそれを見て安心そうな顔をすると、そのまま床に倒れた。
「ちっ……、まあどうせ逃げ場なんてないんだ。次はお前たちだ」
私たちのことを見る。
……逃げなきゃ。そう思っても、足が言う事を聞かない。ただ恐怖で震えるだけだ。
樹里も身体を震わせている。こんな時だというのに、彼女にもちゃんと感情があることを理解し、安堵してしまう。
ゆっくりと栄一が近づいてくる。
「お前さえいなければ……」
……子供みたいな八つ当たり。きっと、栄一は四十年前の母親が亡くなった日から、時が止まったままなのだろう。
「一二三、お前だけでも……」
「……大丈夫」
樹里を置いて逃げることなんてできない。
そして栄一がナイフを振り下ろす。刃の先には樹里。私は彼女のことを咄嗟に押し飛ばし……。
「がぁっ……」
「……一二三っ!」
右肩にナイフが深く刺さる。言葉にならない痛みで視界がぼやける。
栄一はナイフを抜かずに、私の体内へ押し込んだ。プツプツと肉が切れていく音が聞こえる。
……私、ここで死ぬのかな。
後悔がないと言えば嘘になる。それでも、せめて樹里だけは……。
すると鈍い音がした。
そして栄一が床に頭から倒れた。
「……と、桐子さん」
桐子がガラス製の灰皿を持って立っていた。それを頭部に受けたのか、栄一が頭から血を流しながら倒れている。
「樹里ちゃん…よかった……」
「おい、ダメだ。起きろ! 一二三!」
「やっと、お姉ちゃんらしいこと……できた…」
樹里の叫び声を聞きながら、私の意識はゆっくりと暗闇へ落ちていった……。