10話 Run. Run! Run‼②
『一二三はどうやったら世界から犯罪が減ると思う?』
たしか小学生くらいの頃に父とテレビを見ながらそんな会話をしたはずだ。
その時放送されていたのは討論番組、そのテーマは増える凶悪犯罪だ。実際には犯罪件数などのデータは何一つとして出てこない、印象操作をしたいだけのくだらない番組だったのを覚えている。
『えぇっとねぇ……』
幼い私は父の問いに答えた。
それを聞いた父は苦笑いしながら頷いた。
『たしかに、そうしたら減るかもしれないね。だけど絶対にゼロにはならないね』
『うん! だから──』
我ながら恐ろしいことを考えたものだ。
しかし、これはあくまで幼い私がした妄想話だ。実行に移そうなどとは微塵も考えてはいなかった。
……犯人は私と似たようなことを考えて、それを実行した。
「だから犯人はあのプレートを現場に残したんだ」
『A』と『Z』のプレートはただ単に犯人がアルファベットの数だけ人を殺すというアピールがしたかったわけではない。
あれは犯人が同一人物であるということの証明だ。
そしてその動機は自己顕示欲ではない。きっと幼い私も考えた……。
「でも、誰が……」
ノートをパラパラと捲る。すると途中に一枚のメモ用紙が挟み込まれていた。ノートに書かれているのと同じ、樹里の筆跡だ。
『すぐに帰ってくる』
メモには濡れた跡があった。
「……嘘つき」
恐らく樹里は犯人を突き止めた。だから朝早くから外に出ているのだ。
もしかしたら誰かが彼女の居場所を知っているかもしれない。刑事に連絡するためにスマートフォンを手に取って……私は固まった。
「そういえば、あの時」
栄一が殺害された時のことを思い出す。
あの時からヒントはあった。だが私たちはそれに気づいていなかった。
「なら、犯人は……」
私は改めてスマートフォンの電源を入れて、電話をかけた。
電話の相手が不機嫌そうな声を出す。
「あっ、もしもし! 近衛さん、今すぐ教えてほしいことがあるんですけど!」
『なんでお前も俺にかけてくるんだよ……』
……どうやら樹里も近衛刑事に犯人の居場所を訊ねていたようだ。
●
──走る。
「樹里ちゃん」
──走る。
「樹里ちゃん!」
ひたすら走った。
心臓が爆音を鳴らし、それと共に全身も悲鳴をあげている。それでもただ走った。
バスが来るのを待っている暇はなかった。自転車は警察署に置きっぱなし、そのせいで徒歩で向かう羽目になってしまった。
「樹里ちゃん‼」
彼女がどこにいるのか、近衛刑事のおかげで見当は既についている。だが、間に合うかが問題だった。
恐らく彼女は犯人と決着をつけるために私を置いて部屋を出ていったのだ。……もう戻らないつもりで。
「嫌だ…嫌だよ……。絶対に嫌だッ!」
もう何も失いたくない。
過去の私が父を失ったように。その直後に母親を失ったように。今度は最愛の人を失おうとしている。それだけは御免だ。
目の前のフェンスに立ち入り禁止の看板が掛けられている。私は一切躊躇せずに屈んで、フェンスに空いた穴からヒビだらけの道路に侵入した。
「走れ……、走れ!」
限界はとっくに超えている自分の身体に再び鞭を打ち、立ち上がった。呼吸もままならず、視界が滲む。しかし倒れている暇なんてない。
ヒビにつまずき、何度も転びそうになる。
「なんでこんな時に限って誰もいないわけ⁉」
いつもなら魔女たちが私の脳内で騒いでいただろう。しかし、今は誰もいない。ただ私の思考だけが脳内で反復している。
何故彼がこんな事件を引き起こしたのか。動機と犯人を特定した今でもにわかには信じがたいことだった。恐らく彼女も私より先に同じ答えにたどり着いているはずだ。
だからこそ、私は今彼がいる場所に走っていた。そこに彼女がいると信じて。
──銃声が鳴った。
「え……?」
思わず足が止まる。頭の中で必死に最悪な結末を考えないようにする。
「大丈夫、きっと聞き間違い……」
するとそんな私を嘲笑うように、無慈悲にも二発目の銃声が鳴った。
早く行かなくては。そう思っているのに一度止まってしまった足は簡単には動こうとしない。立っているだけでも精一杯だ。
まだ手は動く。私は拳を握り締め、力の限り自分の足を殴った。
「樹里ちゃん‼」
痛みで麻痺した両足を無理矢理動かし、私は再び歩き始める。
実際の距離は大したことがないはずなのに、気が遠くなるほど長く思えたトンネルを抜けると、開けた場所に出た。
……私は目を見開き、必死に叫びそうになるのを堪えた。
そこには肩から血を流す犯人と、血の海の真ん中に倒れている樹里がいた。彼女は胸を押さえながら苦しそうに呼吸をしていた。
撃たれた弾丸は二発。一発目は犯人の右肩、そして二発目は少女の胸を貫いた。
「な…んで……」
「喋らないで! 今救急車を呼ぶから!」
まだ間に合う。彼女は助かる。そう信じるしかなかった。
すると犯人は笑いながら銃を私に向けた。そして犯人が引鉄に指を当てる。少しでも力を加えれば弾が発射され、私の命を簡単に奪ってしまうだろう。
「ぃ……ふみ……ろ。……一二三! 逃げろッ!」
樹里は必死に叫ぶが、もう私は動くことができなかった。
……どうしてこんなことになったのだろう。
自然と頭の中で六日前からの記憶が再生される。もしかしたら、これが人生の最後に見る走馬灯というやつなのかもしれない。
もしあの時、こんな結末になるとわかっていたら、私は樹里を止めていただろうか。
──そして、三発目の弾丸が解き放たれた。
「ぐっ……」
犯人が苦痛の表情で拳銃を握っていた手を押さえる。三発目の弾丸は、彼の拳銃に命中した。
振り向くと、トンネルの入口で刑事が銃を構えていた。
「……近衛さん」
近衛刑事が辛そうな表情で叫ぶ。
「なんで、なんでお前がそんなことしてるんだよ⁉ ……政宗ッ!」