8話 Justice②
那由多を拘束していたものを外し、彼女を解放する。
「ひふ…み……さん」
派手に返り血を浴びているが、彼女自体に外傷はほとんどない。ただ顔には何度か殴られた形跡がある。
これをやったのは間違いなく偽麗奈だ。勿論許せないのだが、もう彼女はこの世にはいない。この恨みを晴らすことは二度と出来ない。
「えっと、ここはどこなんですか?」
「うぅん、ちょっとそれが問題なんだよねぇ……」
私たちが那由多が監禁されている場所に着いたのは、配信に偽麗奈の遺体が映し出されてから大体五分程度。勿論こんなに短時間で場所を特定して到着したのには訳がある。
私は那由多の真後ろの壁を指差した。
『キミタチノシタニイル』
壁には赤い液体で文字が書かれている。それが血なのか、血に似せた塗料なのかはまだわからない。確かめようにもここは血の臭いが充満してしまっている。文字の分析は警察に任せるべきだろう。
映像が途切れる前はこんなものなかった。映像が戻り、偽麗奈の遺体が現れたのと同時にこの文字も現れた。
キミタチというのはあの配信を見ていた私と樹里のことだ。そしてシタというのは下、つまり私たちがいる下に那由多が監禁されていると理解してすぐに駆け付けることができた。
「私たちがいた建物の地下室、それがお前のいた場所だ」
「その建物は……?」
樹里がため息を吐いた。
その建物こそが一番の問題なのだ。私たちがいた建物の地下室、つまり……。
「……警察署の地下、それがお前の捕らわれていた場所。つまり犯人は間違いなく私たちの身近にいるはずだ」
樹里は再び視線を偽麗奈の遺体に戻す。
「ということは、犯人は警察官ってことですか⁉」
「そういうことになるよねぇ……」
やはり事件は終わらなかった。しかし、これが犯人にとって予定通りなのかイレギュラーなのかがわからない。
「正面から至近距離で撃ったんだ。犯人は確実にこの女と親しい人間、彼女の上司とも言える存在だろうな」
「樹里ちゃん、今はナユちゃんを上に連れていこう」
「……そうだな」
樹里が渋々頷いた。
彼女は先程『赤崎樹里』という周りのイメージを演じていると言った。それならこれは演技のはずだ。しかし今の彼女は明らかに偽麗奈の遺体と奇妙な事件の状況に興味津々といった様子だ。
……本当に演技なんだよね?
●
『那由多を誘拐した女が死んだ。すぐに戻ってこい』
樹里の送ったメールを読んで刑事たちが警察署に戻ってくる。最初に来たのは岸部刑事だ。
「顔面をショットガンで一撃……、酷いことするもんだな」
「あぁ、犯人にとってこの女が不必要になった。もしくは那由多の誘拐が犯人にとって許し難い行為だったってことだ」
既に現場では外にいた岸部たち以外の人間で捜査が始まっている。鑑識官が覆っていたブルーシートを持ち上げ、再び遺体が露わになった。
その直後に今度は近衛刑事が地下室に入ってきた。彼は遺体を見て露骨に顔をしかめた。
「これは……人間のすることじゃねぇな。犯人は人の形をしたバケモノだ」
近衛の言葉には完全に同意なのだが、私は樹里の表情を見た。彼女は眉をひそめ、どこか悲しそうな表情をしていた。
「身元は不明、スマートフォンにも身元を特定できるものは入っていませんでした。それと遺体のポケットの中にこれが」
鑑識官が樹里にメモ用紙を手渡す。
私はその内容を横から覗いた。メモに書かれているのは、昨年の夏に見たのと似たようなものだった。現場に残されていた犯人からのメッセージ、七つの大罪を示したもの。
『ゴウマンノツミヲバッスル ウラギリモノニシヲ』
──傲慢の罪を罰する。裏切者に死を。
私はこれと似たようなものを昨年の夏、俯瞰島で見ている。
私の母、赤崎加奈子が殺害された現場には『色欲の罪を罰する』と血で書かれたメッセージが。使用人のが殺害された現場には『強欲の罪を罰する』と書かれたメッセージが残されていた。
その犯人は赤崎栄一、しかし彼にこの犯行は不可能だ。彼は何日も前に死んでいるのだから。
島での事件自体を知っている人間は多い。週刊誌で何回も取り上げられているほどだ。
だが、このメッセージを知る人間は少ない。事件の当事者だった私たちと、事件後捜査をした警察の人間だ。
「やっぱり、犯人は私たちの近くにいるんだね」
「そういうことになるな。だが一つ不可解なことがある」
恐らく私も同じ疑問を抱いているはずだ。
「なんで犯人がこんなメッセージを残したか、だよね?」
犯人にとって偽麗奈の行動がイレギュラーだったとしても、誤魔化す方法はあるはずだ。
しかし犯人はわざわざメッセージを残して監禁場所を特定させ、更に自身が島での事件を知っていることを示して犯人の立場まで示してしまった。
犯人が警察の人間であることは以前から可能性として予想していた。しかしこれで確信に変わってしまった。
犯人にとってこれはリスクでしかないはずだ。
「犯人が私の想像通りの人物なら、恐らく私たちのことをなめているんだ。いつまで経っても自分にたどり着かない私たちに飽き飽きしてるんだよ。だからこうやって餌を巻いたんだ。捕まえてみろ……ってな」
「その餌の一つが偽麗奈さんってこと?」
「だろうな。犯人はこれをただのゲームだとしか思っていないんだ」
この世界はゲームの盤上なんかじゃない。そんな中で人を駒扱いしている犯人のことを人間と呼べるのだろうか。
……きっとそれは人の形をしたバケモノだ。
私は恐る恐る樹里の顔を見た。彼女は辛そうな表情で遺体を見つめている。
「樹里ちゃんは人間だよ」
たしか日守琴子の事件を聞いた帰りにも、同じようなことを言った気がする。
「……本当にそう思うか?」
あの時樹里は「当たり前だ」と答えた。だが、今回は別の答えを用意してきた。なら私も別の答えを提示しないとならない。
樹里の手を握る。
「今からすごく嫌な質問をするね」
「なんだ?」
「私は樹里ちゃんにとってチェスの駒?」
「ほんとに嫌な質問だな。そんなわけないだろ。私にとって四条一二三は大切な家族だ。お前だけじゃなく平塚茜も、四条那由多も、それに癪だが楠瀬美鈴も大切な存在だ。お前たちは人間だよ」
なら、返事は決まっている。
刑事たちに囲まれて、遺体が傍にある状況じゃなければいい雰囲気だと思うのだが……。
「やっぱり樹里ちゃんも人間だよ。そう答えることができる時点で、犯人と樹里ちゃんは違う」