8話 Justice①
……退屈です。
樹里さんと似たことを考えてしまうのはとても辛いものですが、実際退屈なのだから仕方がありません。
今日は平日、つまり学校に行かなくてはなりません。しかし授業は退屈でたまらないのです。
授業で習うのは何年も前に本で読んだものばかり、だから授業の間は別の本を読んで新たな知識を吸収することで退屈を紛らわせています。
「今日は五冊も持って来ちゃったけど、足りないかもしれませんね」
バッグの中には教科書とノートの他に、一二三さんから借りた文庫本たちが入っていました。
ジャンルはミステリーにSFにホラー、バラバラですがどれも娯楽小説の類のものです。一二三さんに貸してもらったものですが、元々は樹里さんの読んでいたもの、そう考えるとため息を吐きたくなってしまいます。
そんなことを考えながら通学路を歩いていると、ワタシの隣に車が停まりました。そして扉を開けて女性が降りてきます。
「……どちら様ですか?」
「宮森麗奈、那由多ちゃんのお母さんの知り合い」
まるでテンプレ通りに小学生を誘拐しようとしている不審者そのものです。
「ナユに母はいませんが」
ワタシの母親は既に死亡しています。……一ヶ月前、殺されました。
今は一二三さんと樹里さんの家で働いている女性の平塚茜さんと一緒に暮らしています。
「六巳百華、四月の初めに四条家屋敷で八野億斗に殺害された。正確に言えば、焼却炉に入れられて生きたまま燃やされた。故意ではないけど、那由多ちゃんもそれに加担してしまった」
「何が言いたいんですか」
ここまで言い当てられると不気味としか言いようがありません。ですが、女性の言葉は全て真実です。
ワタシは母を殺してしまった。それは変えようのない『六巳那由多』の罪なのです。
「それは──」
……何が起きたのか、一瞬わかりませんでした。
遅れて顔を殴られたのだと、痛みと共に理解することができました。
「──百華を奪った貴女がめちゃくちゃ嫌いってこと」
「なるほど、目的は私怨ってことですか?」
「そうだね。でも那由多ちゃんが悪いんだよ。自分の計画の手伝いはしてもらった癖に、こっちの計画が始まるって時に百華は娘を理由に逃げようとしたんだから」
「だから、殺されるのを見逃したんですか?」
億斗の起こした連続殺人はこの人たちが計画したもの……なんてのは突飛すぎる発想かもしれませんが、事件の詳細を知っている以上関わっている可能性は否定できません。
「そんな悪の組織みたいに全部の悪事を裏から操っているわけないでしょ。百華が殺されたのはただの偶然。まぁ、八野億斗に殺されなかったら私たちが殺していたんだけど」
「……それで、貴女の目的はなんですか。ナユを殺すつもりですか?」
すると女性は呆れた表情で首を横に振りました。
「まさか、まだそんなことはしないよ。那由多ちゃんには然るべきタイミングで十九人目の被害者になってもらわないといけないんだから。時間的には丁度あの二人の死体は発見されたくらいだろうし」
そしてワタシは女性に何かを嗅がされました。四肢に力が入らなくなり、バランスが崩れてしまいます。
地面に頭を打ちつけ、鈍い痛みと共にワタシの意識は深い奈落に落ちていきました。
●
「ん…むぅぅ……!」
目を覚ましたのですが、視界は暗闇に包まれたままです。その原因は明らか、ワタシは現在目隠しをされていて何も見えません。
口もタオルのようなものを巻かれているのか、声を出すこともできません。
そしてワタシの耳にはヘッドホンをさせられていて、更に大音量で音楽が流れているせいで周りの音は一切聞こえません。
手足も縛られていて、身動きが自由にできません。
ワタシが今どこにいるのか、気を失ってからどれくらい時間が経ったのかもわかりません。
わかっているのは、ワタシは今硬いパイプ椅子に座らされていることだけです。
もしかしたら先程の女性が真横で銃を構えているかもしれない。そんな恐怖が襲いかかってきます。
「んん! むぅ……!」
必死にじたばたしていると、力強く顔面を殴られました。
このままでは一二三さんたちにSOSを送ることもできません。
それからどれくらい時間が経ったでしょうか。今度はお腹を何かで軽く叩かれました。ただの勘ですが先程の女性とは別人のような気がしました。
しかし、ワタシを叩いた道具が何かはわかりませんが、穏やかなものではないことだけがわかりました。
……その直後、ワタシの顔に生温かい液体がかかりました。
錆びた金属のような臭い。すぐに理解しました。……人間の血です。
そしてヘッドホンが外されました。
「君は罪な少女だね。二人もの女性を狂わせたのだから。……まったく、こちらの計画がめちゃくちゃだ」
……男性の声。やけに無機質で、感情を読むことはできません。まるでロボットが話しているのではないかと錯覚してしまうほどです。
その男に再びヘッドホンを付けられて、ワタシはしばらくの間一人で死の臭いに包まれていました。
真っ暗な世界で、ワタシはひたすら一二三さんのことを考えていました。きっと彼女は今も必死にワタシのことを捜しているのでしょう。
一二三さんたちの捜査の邪魔をしているのはわかっていますが、彼女がワタシのことを見ていると思うと少しだけ嬉しくなってしまう自分がいました。
そしてヘッドホンと目隠し、タオルが外されます。
「ナユちゃん!」
「ひふ…み……さん」
目の前には涙目の一二三さんが立っていました。
しかし、その後ろには樹里さんがいました。その視線はワタシではなくワタシの足元に向けられています。
ワタシの足元には女性が倒れていました。顔面はぐちゃぐちゃで人相はわかりませんが、服装でワタシを誘拐した女性であることが理解できました。
普通の女の子なら死体を見れば悲鳴をあげてしまうのが当然なのですが、ワタシは特にリアクションもしないまま、視線を死体から一二三さんへ戻しました。
「えっと、ここはどこなんですか?」
ワタシは未だにここがどこなのかわかっていません。
一二三さんに訊ねると、彼女は困った顔で頬を掻きました。
「うぅん、ちょっとそれが問題なんだよねぇ……」
一二三さんがワタシの真後ろの壁を指差します。
壁には赤い文字でメッセージが書かれていました。死んだ女性がこれを書いたとは思えません。恐らくあの時の男性が女性を殺害して、壁にメッセージを残したのでしょう。
その意図はわかりませんが、恐らくこれを見て二人はワタシの居場所を特定したはずです。
『キミタチノシタニイル』
シタ……。カタカナでわかりにくいのですが、わかりやすく変換するとこのメッセージは『君たちの下にいる』と書かれています。
多分君たちというのは一二三さんと樹里さんのことです。つまり二人が先程までいた場所の下にワタシが捕らわれていたということでしょうか。
「私たちがいた建物の地下室、それがお前のいた場所だ」
「その建物は……?」
樹里さんがため息を吐きます。
「……警察署の地下、それがお前の捕らわれていた場所。つまり犯人は間違いなく私たちの身近にいるはずだ」