4話 Don't forget me②
「死にたぁい……」
先程からずっと一二三がベッドの上で同じ言葉を呟いていた。
あの後私は寝たらまた彼女に襲われるのではないかと朝まで起きていたのだが、彼女はすぐに寝てしまった。恐らくその影響で思考がいつもの彼女に戻ったのだろう。そして自身のしたことをひたすら嘆いているのだ。
「別に私は気にしていない」
「嘘だ!」
どうやら昨晩の記憶自体はしっかり残っているようだ。
たしかに気にしていないというのは嘘だ。しかし、別に嫌だったというわけでもない。ただそれを素直に伝えることは私にはできない。
「これから少し出かけるから、一二三はここで大人しくしていろ」
「えっと、捜査?」
「……違う。ただの野暮用だ」
私はいつもの黒いパーカーに着替え、急いで外へ出た。ぼろを出す前に一二三から逃げ出したのだ。
エレベーターに乗り、ポケットからスマートフォンを取りだす。
「あぁ、浦崎か。私だ。今からそっちに向かう。……一二三は部屋にいる。護衛の準備はできているんだろうな? もしあいつが外に出たら私に報告させろ」
一方的に電話を切り、ヘッドホンをして外部の音を遮断する。
これを使うのは数年ぶりだ。
『一二三には言わなくていいの?』
「当たり前だ。お前もあいつに告げ口なんてするなよ」
『はいはい、そんなことしないわよ』
ヘッドホンで聞こえないはずの私以外の声が鮮明に聞こえた。私はそれに驚くわけでもなく、平然と言葉を交わした。
『双貌の魔女』は一二三のことを気にいっている。釘を刺しておかなければ、間違いなく彼女に私の行動を伝えてしまうだろう。
ただ、明らかに一二三のことを好いている四条那由多の別の側面である『那由多の魔女』に知られるよりは何倍もマシだ。
「やはり、一二三を巻き込むわけにはいかないからな」
今朝届いたメールを確認する。差出人は浦崎だ。
メールの内容は一連の事件について。当然先程一二三に野暮用と言ったのは嘘だ。
赤崎栄一が殺された事件、その共犯者の一人である宿毛右今は死んだ。しかし実行犯ともう一人の共犯者が残っている。
そして浦崎たちがその共犯者と思われる人物を捜し出した。
あの時最後に倉庫へ積荷を降ろしたトラックの運転手、幸田権平。彼は浦崎たちの行った取り調べでは中に人も遺体も存在していなかったと証言していた。
しかし幸田が共犯者でないのなら、犯人は既に倉庫内にいたことになる。それであの証言をしたというのなら彼の目は節穴だと言わざるを得ない。
……だが、彼が共犯者だとしたら辻褄が合う。
そう考えた浦崎は彼の住所を調べ、私にメールを送ってきた。
『でも、なんで刑事さんは貴女にメールを送ってきたのかしら? 普通に考えたら、捕まえてから報告でもいいと思うのだけれど』
「私にあいつの考えがわかるはずないだろ。私が必要だと感じた理由でもあるのか、もしくはただの気まぐれだ」
『もし幸田権平が暴れたらどうするの?』
たしかにそんなことになれば、運動神経皆無の私ではすぐにやられてしまうだろう。かといって一二三が連れていけばどうにかなるという問題でもない。
やはり、浦崎が私を幸田の自宅に誘うメリットは皆無だ。……一つの可能性を除いて。
「あるいは、浦崎はこの後の展開を察しているのかもな」
『どういうこと?』
「……行けばわかるさ」
そして、私の予想は的中することになる。
私も浦崎も犯人がどんな人間なのか、現場を見てある程度理解している。だからこそこんな残酷な想像ができたのだ。
●
「いやぁ、どうもどうも」
「遅いぞ、探偵」
幸田の住むアパートの入口には浦崎だけでなく岸部も待っていた。
岸部は不機嫌そうな表情で私を睨む。
「なんでお前もいるんだ」
「俺は仕事だからだよ。逆になんでお前が来る必要があったんだ?」
岸部も私たちと同じ疑問を抱いていたようだ。
「まあまあ、いいじゃないですか。それより、幸田権平がいるのは三階だそうですよ」
浦崎は強引に話を切り上げるとアパートに入ってしまった。
仕方なく私と岸部も彼の後をついていく。階段を上り、幸田のいる三階へ向かった。
「令状はあるのか?」
「そんなものありませんよ。なのでまずは任意同行からです」
「任意、か……」
任意とは名ばかりで、実際はほとんど強制のようなものなのだろう。きっと「やましいことがないのなら協力できますよね」とでも言って有無を言わせずに連行するのだ。
……と言っても実際にそんな光景を見たことはない。見たことがあるとすれば、それは小説の世界か一二三と共に見たテレビドラマの中での話だ。
「まぁ、お前が想像してる通りのことを、きっと浦崎さんはするんだろうな」
「なら増々私がここに来た意味がわからないな。幸田権平が暴れたりしたら、私はすぐに退避するからな」
「へいへい……」
くだらない会話をしていると、浦崎が扉の前で立ち止まった。ここが件の部屋なのだろう。
浦崎がインターホンのボタンを押して音を鳴らす。しかし反応はない。
「留守ですかね?」
「鍵は掛かっていないようですね」
扉が途中まで開く。しかし唐突にその動きは止まった。
「チェーンが掛かっているようだな」
すると浦崎は扉の隙間から部屋の中を覗き込んだ。
警察官だとしても、これは完全にアウトな行為だと思うのだが。別に私もそのことを指摘せずに放置した。
「ワンルームですから、これで部屋の様子…が……」
「どうかしたのか?」
「……岸部くん、すぐに連絡を。それと樹里ちゃんは大家のところに行ってチェーンカッターを持ってきてください」
「は、はい!」
岸部がスマートフォンを取りだす。
私も何が起きているのか察しがついていた。しかし、実際にこの目で確認するために私は浦崎を押しのけ、部屋の中を覗いた。
「やはりな」
狭い部屋の中央で男が宙を浮いていた。首には天井からぶら下がる縄が括られている。
つまりは首吊りだ。
そしてその隣には女が倒れていた。
「予想通りだが……死体が一つ多い。少し厄介なことになってきたな」