3話 私だけが知る彼女の表情②
『──お前は足手まといだ』
その言葉が頭の中で何度も流れる。
あれからバスに乗って帰宅した後、私はすぐに寝室のベッドの中に入った。しばらくスマートフォンをいじっていたのだが、樹里は来なかった。
まだ何かやることがあるのか、それとも気まずいのか。結局私は諦めて目を閉じた。そして意識は深い底に沈んでいった。
「あの子が本心で言ってると本気で思ってるわけ?」
『双貌の魔女』がぼやきながらティーカップに紅茶を注いだ。
「思ってないよ。でも、だから嫌なんだ。樹里ちゃんにあんなことを言わせちゃったのが」
たしかに私に樹里のような知能はない。私だって足手まといであることには気づいている。
それでも、彼女があんな発言をしたのには何か別の理由があるように思えた。それが悔しくて仕方がない。
「多分、これ以上続けるのは危険だってことなんだろうけど、だったら私だって樹里ちゃんのことを放っておけないよ」
「それで、一二三さんはどうしたいんですか?」
私の前に置かれていたティーカップを、ゴスロリ姿の少女が奪い一気に飲み干す。
四条那由多と同じ顔をした魔女、『那由多の魔女』だ。彼女は幼い頃からの虐待に耐えられなくなった那由多が生み出したもう一つの人格とも呼べる存在だ。
「樹里ちゃんの力になりたい」
「危険な目に遭うとしても?」
「私だけじゃなくて、樹里ちゃんも危ないって思ったら全力で止めるよ。でもその前に……」
まだ私は樹里の考えを聞いていない。
何故私に足手まといだと言ったのか。何故一人で捜査を続けようとしているのか。本心で私を邪魔だと思っているのならそれでもいい。
そして私も樹里に気持ちを伝えていない。
私が何故樹里の力になりたいのか。何故樹里と一緒に謎を解きたいのか。当然その答えはどうしても「私が樹里のことを好きだから」というものに帰結してしまうのだが。
だからこそ、今の私がやるべきことは一つしかない。
「まずは樹里ちゃんと話し合わないと。これからのことを考えるのはその後だよ」
「結局、いつもの惚気話に行きつくわけね」
「……ですねぇ」
魔女二人が呆れたように笑う。
「なら、こんなところにいる場合じゃないと思うのだけれど」
「そうだよね。早く現実世界に戻って、樹里ちゃんに伝えなきゃ」
ただ、どうしても一昨日のことを思い出してしまう。
きっと無理矢理起きるためには、またあの時と同じ目に遭うのだろう。現実の出来事ではないとはいえ、やはりそう何度も経験したいものではない。
「大丈夫、今日は私達も機嫌いいから」
一昨日は機嫌が悪かったからあんなことをしたのだろうか。
そして『双貌の魔女』が指を鳴らした。すると世界が光に包まれた。
「ナユは一二三さんのこと応援していますから。きっと『もう一人の私』もそう思っていますよ」
「ま、私達も貴女の味方よ」
二人の言葉が終わると、私の意識は一瞬で浮上した。
★
目を開ける。
なんとかして寝やすい体勢を探してかれこれ一時間は経過している。
「やはり、安物の硬いソファーじゃ眠れないな……」
そう結論付けたのだが、だからといって寝室で寝るという選択肢を選ぶことはできない。
一二三にあんなことを言ってしまった手前、気まずくて一緒に寝ることなんてできるわけがなかった。
勿論あの言葉は私の本意ではない。だが、どうしても彼女を引き離さなければならない理由があるのだ。
あの時浦崎に見せられた数枚の写真を思い出す。
『これらの写真はどれも宿毛右今の衣服に入っていたものです。……犯人からの警告と考えるべきかと。これ以上深入りすれば命はない、そう言いたいんですよ』
どの写真にも一二三が写っていた。しかしカメラ目線のものは一枚もない。それどころか物陰から気づかれないように撮影したようなものばかりだ。
……つまり、盗撮写真だ。
私は確信した。やはりこの事件は『双子塔連続殺人事件』と同じ人物が裏から糸を操っている。
双子塔の時も、きっかけは一二三の盗撮写真だった。犯人は彼女が私の弱点であることを理解しているのだ。だからまた同じ行動で、今度は私を牽制してきた。
「やらせない。絶対に犯人の思い通りにはさせない」
そう決意した私はソファーから立ち上がった。
今ならきっと一二三も寝ているだろう。その隙に枕だけ取ってきて、リビングのカーペットの上で寝ればいい。床の上で寝るのはお世辞にも寝心地が良いとは言えないが、このままソファーで寝る方法を模索するよりはマシだ。
ゆっくりと寝室の扉を開け、中に入る。
私が近づいても一二三は動かない。やはり寝ているようだ。
彼女を起こさないよう慎重に私の使っている枕を取ろうとした瞬間、一二三が私の腕を掴んだ。
「……寝ているフリをしてたのか」
「うん」
一二三がニヤリを笑いながら起き上がった。
正直に言うと、私は彼女に恐怖していた。もしかしたら私の言葉のせいで、彼女に嫌われたのではないかと怯えていた。
「なぁ、さっきはすまなかった」
「別に気にしてないよ……って言ったら嘘になるかな。私が本当に足手まといだと思ったならそれでもいいんだけど、やっぱり事情を教えてほしいなって」
「それは……」
言えない。一二三が殺されるかもしれないなんて。
しかも私はそれでも捜査を続けようとしている。一二三が捜査から離れれば安全というわけではない。犯人の目的は私の行動を封じること、私が捜査を続ければ一二三が危険に晒されてしまう。
……それでも、私は謎と一二三を天秤にかけて、謎を選んでしまった。
「言いたくないならいいよ。なら、一つお願いしてもいいかな」
「なんだ?」
一二三が髪を撫でる。とてつもなく嫌な予感がした。
だが、私に彼女の願いを断る権利なんてない。
「……服、脱いで」