3話 私だけが知る彼女の表情①
「……わかりました。そこまで言うのなら、最初から全てお話します。最初の事件は十年前、山奥の小屋で元資産家の男性が殺害された事件から始まりました」
浦崎刑事は語り始めた。十年前に起きたという最初の事件のことを。
「二〇〇八年三月、M県の田舎町で事件は起こりました。匿名の通報があり、地元の警察官が駆けつけたところ……」
「死体があったんだな」
「えぇ、元資産家の神楽坂門司さんが頭を斧のようなもので割られているのが発見されました」
頭を斧で割られる……。きっとただ頭から血を流して倒れているだけではなかったはずだ。
頭の中身が周りに飛び散っていて、現場は凄惨なものだったのだろう。想像するだけで胃液が逆流しそうになる。
「被害者は誰かから恨みを買っていたんですか?」
もしかしたら犯人は殺す相手は誰でも良い最低な人間なのかもしれない。実際、この事件が双子塔での事件と関係があるなら、その可能性も大いにある。
……違う。私はすぐに自身の考えを否定した。
あの時実行犯には考えがなくても、黒幕には何か思惑があったはずだ。
実際、双子塔での事件には芦田恭一、宮代相馬、本物の鶴居祥子──正確には彼女は塔へ行く前に殺害されていたのだが──、百瀬宗太の四人、桔梗・蓮華姉妹の過去に関係している人物が集められていた。なら、資産家殺しにもなんらかの思惑があってもおかしくはない。
「まぁ何と言いますか、かなりあくどいことをしてきた人で、誰から恨まれていても違和感はないような状態でしたね」
「元々経営していた会社もパワハラで訴えられて、その後倒産したくらいだしな」
つまり容疑者は冗談抜きで何百人もいたのだろう。捜査が難航したのは容易に想像できる。
「その現場にもあれがあったのか?」
「えぇ、最初は誰も気に留めていませんでしたがね」
あれというのは当然アルファベットのプレートのことだ。
プレートが犯人からの挑発だと判明してからは、マスコミにはその存在を伏せているらしい。ということはやはりあの三つの事件は十年前から起きている連続殺人事件と同じ犯人によるものと考えていいだろう。
「それからおよそ一年間で十件、同様の事件が起こり続けました。と言っても殺害方法も被害者も関連性はなし、共通点は現場にプレートが置かれているくらいでした」
「そして、二〇〇九年四月の事件を最後に連続殺人事件の幕は一度下りた」
そう話す岸部刑事の表情が曇った。
近衛刑事もその理由を知っているのか、悲しそうな顔で彼の肩を叩いた。
「その時死んだのは岸部行村さん、こいつの父親だ」
「岸部行村が殺害されてから十年間、同様の事件は一切起こらなかった……というわけか」
「えぇ、しかし三週間前に起きた芦田恭一が殺害された事件で再び幕が上がりました。しかも今回は事件と事件の合間がかなり短いんです」
私たちはこの三日間で三人の死体を見ている。前回が一年かけて十人が犠牲になったことを考えると、たしかにペースが速すぎる。
「芦田恭一が死亡してから三週間、彼を含めてもう六人が犠牲になっています」
「つまり、まだ私の知らない犠牲者があと二人いるんだな?」
「そうなりますね。詳しい被害者のデータは後で送りますから。……それよりも見てほしいものが。こちらに来てもらってもいいですか?」
すると浦崎は樹里を連れて会議室を出ていってしまった。
「俺たちもこれ以上の情報はほとんど持っていない。十年前の事件については完全にお手上げだよ」
「……そうなんですか」
一年で十人も殺害した異常者……、手掛かりとなるのは現場に必ず残されている二枚のプレートだけ。思索に耽るのだが警察が長年調べてわからないことが短時間で私に解けるはずもない。
五分ほど無言で待っていると樹里が戻ってきた。浦崎は仕事に戻ってしまったのが、戻ってきたのは樹里一人だけだ。
「帰るぞ」
樹里が私の腕を掴み、強引に引っ張ってきた。
「ど、どうかしたの?」
「どうもしない。ただこれ以上得るものがないなら、ここにても無駄なだけだ」
たしかに浦崎から送られてくるデータ以外で有益な情報はもうないのかもしれない。だが今の樹里はやはり不自然だ。
一体彼から何を見せられたのだろうか。
私は疑問に思いながらも、彼女に連れられ警察署を後にした。
バス停までの道を歩いていると、今度は急に樹里が立ち止まった。
「なあ、お前はこの事件のことどう思っている?」
「どうって、そりゃ許せないよ。私たちが知ってる人がもう三人も犠牲になってるんだし」
栄一が死亡した時、心のどこかで喜んでいる自分がいたのは事実だ。しかし、もう事態はそれどころではない。
一刻も早く犯人を捕まえなければまた犠牲者が出てしまう。新たな犠牲者が私たちの知り合いではないという保証はもうどこにもないのだ。
「もしかしたらナユちゃんや茜さん、それに美鈴だって危険な目に遭うかもしれないわけだし。絶対に捕まえなきゃ」
「引くつもりはないんだな」
「勿論、樹里ちゃんが続けるのなら私も続けるに決まってるでしょ」
「……そうか。なら、これ以上はダメだ」
そう言うと樹里は悲しそうに微笑み、背伸びをして私の頬にキスをした。
周りにいた通行人の視線が身体中に突き刺さる。
「なっ……、いきなりどうしたの⁉」
「一二三、お前はもう事件に関わるな。ここからは私一人でやる。お前は──」
聞き間違えだと思いたかった。
樹里が私にそんなことを言うはずがない。
しかし、彼女は私が混乱しているのを理解したのか、もう一度はっきりと言った。
「──お前は足手まといだ」