10話 恩人
一人きりで本を読む日々。
同年代の人間なら学校へ行っている時間帯、だが私は学校には通っていない。
別に監禁されているわけではない。両親の望む通り、義務教育は済ませた。……あの地獄の日々を耐え続けた。
「……退屈だ」
魂が腐っていく感覚がする。
どんなに本を読み退屈を紛らわせても、それはただのその場しのぎでしかない。
なんとなくテレビを点けた。
ニュースキャスターが淡々と今日の出来事を伝える。
……今日もどこかで人が殺された。
犯人はすぐに捕まった。警察が優秀なのか犯人が馬鹿なのか……。どちらにせよ、現実世界に小説に出てくるような探偵は必要ないらしい。
「だったら、私はどう生きればいいんだろうな」
退屈から解放してくれる唯一の存在、それが謎だ。
幼い頃、偶然遭遇した事件。当時、今よりも退屈で死にそうな毎日だった私は、何故かその事件に惹かれてしまった。そしてそれを解決してしまった。
それからはもう虜だ。両親に気づかれないように謎を探しては、祖母の権力を使って首を突っ込み解き明かすようになった。
誰かが悪意によって起こした行動、それを解き明かす瞬間だけが至福の時だ。もう、私は普通の世界では生きることのできない異常者になっていた。
だが、現実はミステリー小説のように謎で溢れているわけではない。だからこそ、私は退屈で虚無な日々を過ごして魂を腐らせている。
こんな私が必要とされる場所、日本ではどこにもない。海外の危険な場所へ行ったところで、非力な私ではすぐに殺されてしまうだろう。
「私の居場所は、あそこしかないんだ」
……目を閉じる。彼女が私を呼んでいた。私だけの世界。ここだけが私の居場所だ。
★
「今日は機嫌が悪そうだな。『真実の吸血鬼』」
「……いつも通りだ」
『幸運の魔女』は薄気味悪い笑みを浮かべながら、紅茶を啜る。いつもの遊戯世界、だが今は私たちが語り合うような謎なんてない。
私も紅茶を口にする。……味なんてしない。
……精神世界なのだから、最高級品のような味がしてもいいのに。それほど私は普段から味わって食事をしていないという証拠だ。
「お前は死んだというのに随分と元気そうだな」
「盤上での話だ。我は無限の刻を生きる魔女、我を殺すことのできるものなど存在しない」
先日祖母である赤崎サチヱが死んだ。だからといって彼女を模した存在である魔女が死ぬわけではないようだ。
「一つ、予言をしてやろう」
「予言……?」
「あぁ、盤上世界の駒の真似だがな」
サチヱには片手で数えられる回数しか会ったことがない。本当なら、遺言状の開封は栄一と加奈子に任せるつもりだった。
しかしこの予言をきっかけに、私はあの島へ行くことになる。
「あの島で、貴様は運命の出会いをすることになる。貴様が求めてやまなかった少女にな」
今一番会いたい人物。それは加奈子から何度も聞いた少女。
「……四条一二三」
赤崎家から追放された男、赤崎の姓を捨て今は四条と名乗っている加奈子の兄、武司の娘。彼女に会える……?
「ははっ、ただの願望だな」
私にはサチヱのような未来予知の能力なんてない。だからこれは、そうなったらいいなと私が無意識に思っているだけだ。
……私には何の力もない。ただこうやって自分の世界に閉じこもるだけだ。
だが、どうしても魔女の言葉を妄言と切り捨てることができない。もし、本当に彼女と会うことができたら……。
きっと、それは運命に他ならない。
★
目を開くといい匂いがした。キッチンへ行くと、いつの間にか帰ってきていた加奈子が料理を作っていた。
「今日は早いんだな」
「うん。最近あまり帰れてなかったしね」
私はサチヱの遺産なんて、心底どうでもいい。だが、加奈子には遺産を求める理由があった。きっとそれには私たち、家族を守りたいという願いが込められているのだろう。
「……ねえ、樹里」
「なんだ?」
神妙な顔つきで彼女が言う。
「話があるの……」
そして私は知ってしまった。赤崎加奈子、そして四条武司の犯した罪。そして四条一二三の秘密を……。
●
店主の老婆に代金を渡し、ベンチに座る。火照った身体に炭酸のジュースを流し込んだ。
フェリー乗り場に向かう際中、私は両親とは別行動を取って駄菓子屋で休憩をしていた。
正直に言うと行きたくなかったのだ。四条一二三はやって来ない。その現実に直面するのが怖くて足が動かない。
「……あっ」
少女が私のことを見ていた。
綺麗な黒髪と鮮やかな水色のインナーカラーの少女。
……心臓の鼓動が早くなる。
私は彼女の幼い頃の写真しか見たことがない。それでも、理解できた。
……四条一二三。彼女が私の前に立っていた。
「……何か用か?」
あくまで冷静に対応する。だが鼓動はさらに早くなる。
「ご、ごめんっ! えっと……、君ってここら辺に住んでいる人?」
「いや、違う」
「そうなんだ……」
……会話が続かない。私の返答が悪かった。
一二三がアイスを買い、私の隣に座った。
彼女のことを直視できない。私は目を逸らすと、ラムネを口に放り込んだ。
「じゃあ、君も旅行で来たの?」
「まあ、そんなところだな」
また会話が途切れる。早く言わなければ、私もお前と同じ赤崎家の人間だと。
……どうして私はこんなにムキになっているのだ。
……そうか。
今まで、彼女なら私を理解してくれるかもしれないと思っていた。しかし、彼女に抱くこの感情がなんなのかわからなかった。
私を目の前にして普通に話している一二三の姿を見て、私はこの感情を理解してしまった。
この時はまだ、戸惑い否定していた。それでも島で一二三と話していて、この感情は治まるどころか更に強まっていく。もう否定することなんてできないほどに。
初めて会ったというのに、こんなのおかしいのかもしれない。
だが、この気持ちはきっと……。
「私は赤崎樹里。お前と同じ赤崎家の人間だ」
……きっとこれが恋なんだ。