2話 死者からのメッセージ①
「ただいまぁ……」
帰宅すると、玄関には制服姿の少女が立っていた。
少女は頬を膨らませながら私のことを睨む。
「どこに行ってたんですか⁉」
「ごめん、ナユちゃん……」
私がナユと呼んだ少女の名前は四条那由多。一応は私の親戚にあたる子なのだろうか。
正直に言えば、私の出生や幼い頃の環境は自分でもややこしいと感じている。ただ一つ確信を持って言えることがあるとすれば、那由多も樹里と同じように、私にとっては妹同然の存在だ。
那由多は四月の初めまで、山奥にある屋敷で暮らしていた。しかし、今の彼女はここからすぐ近くの家に私たちの友人と一緒に暮らしている。
その原因は屋敷で起きた事件。『四条家連続殺人事件』のせいだ。
しかし、今の彼女はとても生き生きとしている。もうあの時に見た不気味でまるで人形のような少女はどこにもいない。
「仕方ないだろ。事件の捜査をしていたんだから」
そう答えた樹里は大きく欠伸をしながら靴を脱ぎ散らかした。
そして彼女はリビングには行かずすぐに寝室に入ってしまった。
「……何かあったんですか?」
「うん、色々とね」
事実を話すべきか、私は迷っていた。
これは樹里の問題だ。むやみやたらに他人に教えていいことでもない。それに、那由多はまだ中学生だ。こんな異常な世界に二度も巻き込むことなんてできない。
「無理に訊いたりはしないですけど、一二三さんが何か困っているのなら、ナユはいつでも力になりますからね」
「うん、ありがとう……」
年下の女の子に気を遣わせてしまった。私は那由多の頭を撫で、ぎこちなく笑った。
「まぁ、なんというか……浦崎刑事から依頼があってね」
樹里の父親が殺されたということは伏せ、今日の出来事をかいつまんで説明した。
冷凍倉庫に突然現れた遺体、常に監視されていた倉庫入口、入口から出るところ姿だけが映っていた謎の火傷跡の男。自分で説明していても、やはりどうやって犯人が侵入したのかがわからない。
「それは……共犯者がいたんじゃないですかね?」
「やっぱりそう思う?」
実は最初からその可能性は考えていた。しかし、そうなるとわざわざ犯人がカメラの前に姿を現したのがわからなくなる。
しかも目撃証言によると、犯人の顔には大きな火傷跡がある。それを見られたということは、かなり容疑者は絞り込まれてしまう。
「最後に来たトラックの運転手が共犯者で、積荷に紛れて侵入すればカメラに映らなくてすみますよね。箱の中に遺体と氷、そして犯人自身が隠れたら簡単に可能なはずです」
「そうだけど……。だったら犯人はトラックで一緒に帰ればいいはずだよね? なんでわざわざ何時間も冷凍倉庫の中で待機して、監視カメラの前に出る真似なんてしたんだろう……」
「それは……」
那由多も言葉が詰まる。
犯人には栄一を殺したこと以外に、何か別の思惑がある。そんな予感さえした。
そう考えると、やはり私たちはまだ何かを見落としているのかもしれない。だから樹里は見当がついていてもそれを言葉にしようとはしなかったのだ。
「とりあえず、ご飯にしましょう。今温めてきますね」
私は一旦樹里のいる寝室に入り、シャツを脱いだ。そして部屋着に着替える。
樹里は可愛らしい寝息を立てながらベッドで横になっていた。
しかし、彼女は休んでいるわけではない。夢の中でも、彼女は思考を続けている。
私も那由多も彼女と同じようにあの世界に行くことができる。だが、毎日のように行くことはできない。
樹里は特別なのだ。……それは恐らく私たちとは比べものにならないほど、現実世界に執着がないということの裏返しだ。どんなに彼女が成長しているとはいえ、彼女の心の奥底にある傷跡は簡単には治らない。
そう考えるとなんだか歯がゆくなってしまう。
すると枕元に置かれていたスマートフォンが通知音を鳴らした。しかし樹里は寝たままだ。
「樹里ちゃん?」
「んっ…んん……。むぅ……」
私は樹里の肩を揺すったが、彼女は少しうめき声を上げるだけで目を開けようとはしない。
……ふと、暗い部屋で明るく光っているスマートフォンの画面を見た。先日私が樹里のスマートフォンを無断で見た一件で、彼女はスマートフォンにパスワードを設定した。
しかし、私はパスワードの数字を知っている。彼女に教えてもらったわけではない。先日興味本位で入力したら突破できてしまっただけだ。
「樹里ちゃんが悪いんだからね。こんな簡単な数字にするから」
パスワードは0617、この数字が意味しているのは六月十七日、私の誕生日だ。……なんというか、本当に可愛い。
ただ、私の誕生日を樹里に教えたことは一度もない。普通に考えれば私の知り合いの誰かから教えてもらったのだろうが、少しだけ怖い。
先程来た通知はメールが届いたことを知らせるものだったらしい。しかし、それを見る前にやることがあった。
「折角だし少しだけチェックしなきゃ」
まるで束縛の強い彼女だ。慣れた手付きでSNS、メッセージアプリ、そして画像フォルダを巡回する。
樹里に限ってそんなことをするとは思えないが、やはり実際に確認するまでは安心できない。どうしても不安に駆られ、悪いと思いつつも私は定期的に彼女のスマートフォンの中身を覗いていた。
特に私以外と怪しいやり取りをしている様子はない。それどころか、SNSでは今でもたまにやっている動画配信の宣伝のみ。メッセージアプリで会話しているのは私だけ。逆に心配になってしまう。
そして画像フォルダには野良猫の写真しか入っていない。
いや、一応猫以外の写真もある。……人間の死体の写真だ。当然樹里が事件の捜査中に撮ったものだ。その中には今日調べた栄一のものもある。
「……それより、メールだ」
メールボックスを開き、先程届いたものを確認する。
「えっ……?」
メール本文にはご丁寧に差出人の名前が書かれていた。そしてそれは私も知っている名だった。
『冷凍倉庫で起きた事件について、赤崎さんに伝えたいことがあります。今夜下記の住所に来てください。 宮代相馬』
本文の最後には都内のどこかの住所も書かれていた。
宮代相馬、私は彼と会ったことがある。
『双子塔連続殺人事件』、そう呼ばれている事件現場に彼はいた。彼はその事件の生き残りだ。
「でも、なんで宮代さんがメールを……?」
宮代と私たちは事件後連絡先を交換したわけではない。
なら何故彼がこの連絡先を知っていたのか。その答えは簡単だ。
樹里のメールアドレスはSNSで公開されている。それだけだとただの晒し行為のように思えるが、このアドレスは仕事用のものだ。恐らく宮代も樹里のアカウントを見てアドレスを知ったのだろう。
「どうしよう。樹里ちゃんは寝ているし」
冷凍倉庫で起きた事件、つまりは栄一が殺された事件だ。
事件について、宮代は何かを知っている。しかし何故?
「……行ってみよう」
「一二三さん、夕食の準備ができましたよ」
那由多が部屋に入ってくる。
「ありがとう。ナユちゃん」
言えない。やはり那由多を危険に巻き込むことはできない。
私は那由多の作った夕飯を食べた後、一人でこっそりと家を出た。
●
「ここかな……?」
駐輪スペースに自転車を停める。
メールに書かれた住所へ向かうと、古びたアパートにたどり着いた。そして二階に上がる。恐らくここに宮代が住んでいるはずだ。
「よくよく考えたら、一人で行くのって本当は危険だったんじゃ」
深夜に男性が暮らしている部屋に女性が一人で行く。何をされても文句を言えない状況だ。せめて茜や美鈴を連れていくべきだっただろうか。
なら、一旦帰るべきか。だが、どうしても宮代の知る情報が気になってしまう。
「危ないって思ったらすぐ逃げればいいんだし。うん!」
私は覚悟を決めて、扉をノックした。
「宮代さん。私です! 一二三です!」
しかし返事はない。
ここに呼んだのは宮代自身だ。なら留守にしているのはおかしい。私はドアノブを握った。
「あれ……?」
扉には鍵もチェーンも掛けられていない。しかし、扉が少し開いたところで動きを止めた。
隙間から室内を覗くが暗くてよくわからない。だが人の気配は感じられなかった。もしかしたら本当に留守なのだろうか。だとすれば鍵をかけないのは不用心としか言いようがない。
「宮代さん! 入りますよ!」
もし本当に出かけているのだとしたら中で待ち帰ってきたら謝ればいい。中にいるのなら居留守にしていた理由を問いただす必要がある。
私は力を込めて、強引に扉を引っ張った。すると扉はあっけなく全開になった。思わず身がよろけてしまう。
そして、部屋の中からプツンと何かが切れる音がした。
「──え?」
何かが高速でこちらに飛んできた。
……そこで私の意識は途切れた。