1話 孤独の始まり①
「ここが宮森さんの住んでいた部屋です。……まぁ、既に家具などは業者さんに処分してもらっているので何もないのですが」
「構わない、少し確認したいことがあっただけだからな」
マンションの管理人の男が鍵を挿し扉を開ける。彼の言葉通り、部屋には家具が一つもなかった。何もない、殺風景な部屋だ。
私はベランダに出ると外の風景を眺めた。すぐ近くには線路があり、電車がけたたましい音を鳴らしながらその上を走る。
「ここから宮森さんは……」
私は彼女と会ったことがない。それでもここから彼女が身を投げだした。そう考えるだけで身がすくむ。
「一二三、どうかしたのか?」
「なんでもないよ。でも、なんで今になってここを調べようと思ったの?」
「ちょっとな。宮森麗奈の死には不自然な点も多い。……それにあの時現れた、宮森麗奈を名乗る何者かのこともあるしな」
白髪の少女は呟いた。
彼女の名前は赤崎樹里、本来ならまだ高校に通っている年齢なのだが、彼女は学校には通っていない。彼女の職業は探偵だ。
そして私は四条一二三、樹里の助手をしている。彼女とは違い、私はもはや形だけではあるものの、一応身分は学生だ。
四月が終わり、五月が始まってしまった。本当ならいい加減就職活動をしなくてはならない時期なのだが、今の私は大学にもほとんど行っていなかった。
……嫌なことを思い出してしまった。思考を振り払い、私は別のことを考えた。
私たちがここにいる理由、それは一ヵ月程前に起きた事件が関わっている。
『四条家連続殺人事件』、世間ではそう呼ばれている事件が起きた時、私と樹里は別行動をとっていた。そして樹里が調査中に出会ったのが、この部屋に住んでいた宮森麗奈を名乗る女性だ。
しかし、樹里が麗奈と出会うことは不可能なのだ。宮森麗奈は樹里が会う数週間前に、この部屋のベランダから飛び降り、自ら命を絶ったそうだ。
つまり、樹里が会ったのは偽物ということになる。だが、誰がなんのために死んだ女性の名を騙っていたのか、それはまだ私たちも答えを出せないでいた。
「やっぱり何もないんじゃ、調べようがないよね。証拠があったとしても、処分されちゃってるわけだし」
「そうだな。だが、六巳百華はここで何かをしたはずなんだ」
「百華さんが……」
六巳百華、私の姉のような人だ。彼女は『四条家連続殺人事件』で死亡している。つまり、この謎を解いたとして、仮に犯人が百華だと判明したとしても、彼女が捕まるわけではない。
これは樹里の自己満足、彼女の好奇心を満たすための調査だ。別にそれをどうこう言うつもりは毛頭ない。だが、真実にたどり着いたところで誰かが救われるわけでもないのが、なんだか虚しく思えた。
「宮森麗奈が飛び降りる十分前、入口の防犯カメラに六巳百華がマンションから出る姿が映っていたんだな?」
「えぇ、そう警察の方にもお伝えしましたが」
管理人の男は私たちを怪訝そうな目で見ながら答えた。
まあ、若い女二人がこんなことをしていたら怪しく思うのが普通なのかもしれない。こうして私たちがここにいるのは祖母のおかげと言ってもいい。
「でも、それだけだとやっぱり自殺なんじゃ……。百華さんが関わっているとしても、口論になってその後衝動的に……みたいな」
百華のことを庇っているわけではない。しかし、今のところ彼女が犯人だという証拠はどこにもない。
「あぁ、普通に考えればそうだろうな。部屋に遺書が無かったとはいえ、必ずしも自殺する時に遺書を用意するとも限らない。衝動的なものであればなおさらだ。それでも、どうしても納得できないんだ」
「他の人の死にも百華さんが関わってるかもしれないから?」
樹里が頷いた。
彼女が調べている謎はこれだけではない。六巳百華の大学時代の関係者たちが、近い時期に次々と事故や病気などで亡くなっているのだ。宮森麗奈はその一連の不審死の最後の死者だった。
そして宮森の死と同様に、他の関係者たちの死の直前にも百華の姿が目撃されている。しかし、彼女が関わっている証拠は今のところ見つかっていない。
警察は百華の存在をただの偶然として処理してしまったのだ。
「だが、流石にここで証拠を探すのは不可能だろうな。仕方ないが他の現場を調べるしかなさそうだな」
そう樹里が言うと、スマートフォンから着信音が鳴った。何もいじっていないデフォルトの音、樹里のスマートフォンだ。
彼女は一度舌打ちをすると、電話に出た。
「なんだ、私は今……は?」
「樹里ちゃん?」
樹里が目を大きく見開いた。私の声も耳に届いていない様子だ。
「どういうことだ。だってあいつは……あぁ、わかった。今すぐにそっちへ向かう。現場はどこだ?」
「現場って……、もしかして事件?」
樹里は時々警察に協力して事件を解決していた。今回もその可能性が高そうなのだが、そうなると彼女の反応は不自然だ。
電話を切った彼女は再び舌打ちをした。
「浦崎刑事から?」
「そうなんだが……、それよりも緊急事態だ」
浦崎隼人刑事、私たちに度々情報を提供してくれる協力者とも呼べる存在だ。
しかし、今回は樹里の求めていた情報を教えてくれたわけではなさそうだ。そのことを彼女の強張った表情が物語っていた。
「何かあったの?」
「……赤崎栄一、私の父が何者かに殺された」
「え……?」
「自殺じゃない。明らかな他殺だ。訳がわからないだろ? だってあいつは──」
「捕まってるはずなのに」
赤崎栄一、樹里の父親で、同時に私が今でも憎み続けている人物だ。
去年の夏、私と樹里が初めて出会った場所で遭遇した事件、『俯瞰島連続殺人事件』の犯人が栄一だ。彼は私と樹里の母親、つまり自身の妻を殺害している。
事件は樹里が解決して、栄一は現在も獄中にいるはずだ。しかし、そんな彼が何者かによって殺害された。それは明らかな異常事態だ。
「しかも現場は刑務所から離れた場所にある冷凍倉庫らしい。……とにかく、今回の調査はいったん中止だ。一二三は先に帰っていろ」
たしかに、この事件は私にはあまり関係のないことなのかもしれない。しかも最低なことに、憎んでいる人物の死に少しだけ喜んでいることも事実だ。
……そうだとしても、今の樹里を放っておくことはできない。私は彼女の手を強く握りしめた。
「私も一緒に行く。樹里ちゃんを一人にはしておけないよ」
「だ、だが……」
「大丈夫だって。それより、早く行かなきゃ」
私は樹里の持っていた鍵を受け取り、それを管理人に返却した。
管理人は不審そうに私たちをのことを見ていたが、私は早口でまた来ることを伝え、マンションを後にした。
丁度通りかかったタクシーに手を振って停車させる。そして車内に乗り込み、すぐに目的地を伝えた。運転手は一度聞き返したのだが、私たちの真剣な表情を見るとすぐに車を走らせた。
こういう時、いつも車の免許を取っていなかったことを後悔してしまう。
「誰が、誰がやったんだ……」
樹里が爪を噛む。
「刑務所の外で見つかったってことは、栄一さんは刑務所から逃げた……つまり脱獄したってことだよね」
「そうだな。だが単独では脱獄なんて不可能だ。つまりそれを手引きした何者かが存在するはずだ」
「何者かが……」
脱獄を手引きすることができる人間なんて限られている。真っ先に疑われるのは警察官だ。
手引きした人間と、殺した犯人が同一人物かはわからないが、少なくとも脱獄と殺人の二つの事件には大きな繋がりがあるはずだ。
「しかし、まさか栄一が殺されるとはな。まぁ、人殺しにはお似合いの末路だ。一二三もせいせいしただろ?」
樹里はまるで自分が冷静とでも言いたげな様子で私のことを見た。しかし、それ自体が彼女が取り乱している証拠だ。
だが、そんな彼女を見ても私にはただ手を握ることしかできない。
何故なら、彼女の言葉は事実だったからだ。
たしかに樹里の父親が殺されたのは一大事だ。栄一が人殺しだとしても、彼を殺害した犯人の行いは決して許されるものではない。
……それでも、今までずっと喉に引っかかっていたものが取れた気分になってしまう。過去の事件と今回の事件はまったくの別物だ。そう自身に言い聞かせても、最低な感情は心の奥底で湧き続ける。
だからこそ、今の私では樹里にどんな慰めの言葉を与えたとしても、それはただの偽善でしかない。
今の私に、彼女を慰める資格なんてなかった。