0話 プロローグ、或いはエピローグ:無慈悲な銃声
──走る。
「樹里ちゃん」
──走る。
「樹里ちゃん!」
ひたすら走った。
心臓が爆音を鳴らし、それと共に全身も悲鳴を上げている。それでもただ走った。
「樹里ちゃん‼」
彼女がどこにいるのか、その見当は既についている。だが、間に合うかが問題だった。
恐らく彼女は犯人と決着をつけるために私を置いて部屋を出ていったのだ。……もう戻らないつもりで。
「嫌だ…嫌だよ……。絶対に嫌だッ!」
もう何も失いたくない。
過去の私が父を失ったように。その直後に母親を失ったように。今度は最愛の人を失おうとしている。それだけは御免だ。
「走れ……、走れ!」
限界はとっくに超えている自分の身体に再び鞭を打つ。
呼吸もままならず、視界が滲む。しかし倒れている暇なんてない。
「なんでこんな時に限って誰もいないわけ⁉」
いつもなら魔女たちが私の脳内で騒いでいただろう。しかし、今は誰もいない。ただ私の思考だけが脳内で反復している。
何故彼がこんな事件を引き起こしたのか。動機と犯人を特定した今でもにわかには信じがたいことだった。恐らく彼女も私より先に同じ答えにたどり着いているはずだ。
だからこそ、私は今彼がいる場所に走っていた。そこに彼女もいると信じて。
──銃声が鳴った。
「え……?」
思わず足が止まる。頭の中で必死に最悪な結末を考えないようにする。
「大丈夫、きっと聞き間違い……」
するとそんな私を嘲笑うように、無慈悲にも二発目の銃声が鳴った。
早く行かなくては。そう思っているのに一度止まってしまった足は簡単には動こうとしない。立っているだけでも精一杯だ。
まだ手は動く。私は拳を握り締め、力の限り自分の足を殴った。
「樹里ちゃん‼」
痛みで麻痺した両足を無理矢理動かし、私は再び歩き始める。
実際の距離は大したことがないはずなのに、気が遠くなるほど長く思えたトンネルを抜けると、開けた場所に出た。
……私は目を見開き、必死に叫びそうになるのを堪えた。
そこには肩から血を流す犯人と、血の海の真ん中に倒れている白髪の少女がいた。少女は胸を押さえながら苦しそうに呼吸をしていた。
撃たれた弾丸は二発。一発目は犯人の右肩、そして二発目は少女の胸を貫いた。
「な…んで……」
「喋らないで! 今救急車を呼ぶから!」
まだ間に合う。彼女は助かる。そう信じるしかなかった。
すると犯人は笑いながら銃を私に向けた。そして犯人が引鉄に指を当てる。少しでも力を加えれば弾が発射され、私の命を簡単に奪ってしまうだろう。
「ぃ……ふみ……ろ。……一二三! 逃げろッ!」
少女は必死に叫ぶが、もう私は動くことができなかった。
……どうしてこんなことになったのだろう。
私は事件の始まりを思い出していた。もしかしたら、これが人生の最後に見るという走馬灯というやつなのかもしれない。
初めはいつものように、白髪の少女の調査に付き合っていた。誰かからの依頼ではなく、少女の個人的な調査だ。
しかし、突然刑事から届いた電話で事態は急変した。
もしあの時、こんな結末になるとわかっていたら、私は彼女を止めていただろうか。
──そして、三発目の弾丸が解き放たれた。