黒歴史
「美鈴、スマホ見せて」
喫煙所に入ってきた一二三が細長いタバコに火を点けながら言った。そして苦しそうな顔で煙を吸う。
……嫌なら吸わなければいいのに。
「なんで?」
「最近あんまり二人で一緒にいられなかったし、不安になってきて……」
……始まった。
一二三は定期的に私のスマートフォンの中身を見ようとしてくる。別に見られて問題になるようなものはないのだが、やはり私にもプライバシーというものがある。しかし、彼女はそんなものお構いなしだ。
だが、同時にまだ確認を取ってくれるだけありがたいとも思う。世間には了承も得ずに勝手にスマートフォンを覗いて浮気していないか調べる女性もいると、よく耳にすることがある。
大学二年生の冬、一二三と私が付き合い始めてからもうすぐ半年だ。
四条一二三、私と同い年の女性だが正直に言うと彼女はかなり子供っぽい。女児向けのアニメを好んでいたり、食べ物の好き嫌いが多かったり、時々中学生くらいの親戚の子供を相手しているような気分になる。
ただ、私はそんな彼女のことが嫌いではない。それでも、今の彼女をどう思っているかと尋ねられると返答に困ってしまうというのが本音だ。
彼女は私の前では無理をしている。必死に自分を殺して、私の好みになるように演じている。それが嫌で仕方がなかった。
「別にこの前見せた時と大して変わってないよ」
私は自身のスマートフォンを一二三に手渡した。一二三は慣れた手付きでパスワードを解除し、片っ端からアプリを開いていく。
ちなみに私は彼女にロック解除のパスワードを教えていない。一緒に飲みに行った時に、酔って教えてしまったのだと信じているが、実際のところはわからない。
「この人誰?」
「バイトの先輩」
「……ほんとに?」
明らかに一二三は私のことを疑っている。たしかに、いきなりメッセージアプリに男性の知り合いが増えていたら、浮気を疑ってしまうのも無理はない。
「ほんと、休み変わってもらうために店長から連絡先教えてもらっただけだし、なんなら今消しても問題ないよ」
「そ、そこまでは……」
やはり甘い。
「そうだ、今度は一二三のスマホ見せてよ。私のだけ覗かれるなんて不公平だし」
「え? いいけど特におもしろいものなんて何もないよ」
あっさりと一二三は私に可愛らしいケースに入れられたスマートフォンを渡してきた。
パスワードはかけられていなかった。
「ゲームばっかじゃん……」
私は呆れながら呟いた。
ホーム画面にはソーシャルゲームのアイコンがいくつも配置されていた。一二三がプレイしているのを毎日のように隣で眺めているが、私にはどれがどれだか判別できなかった。
「というか、私以外に話す相手いないの?」
メッセージアプリを開くと、私以外の会話履歴は表示されていない。
「だって、私友達いないし」
……笑えばいいのか心配すればいいのか、わからなかった。
●
「──ってことがあって」
「これ以上聞きたくない!」
私は両手で自身の耳を塞いだ。
大学四年生になり、美鈴の髪もすっかり黒くなってしまった。
「わざわざ私の前で黒歴史の話しないでよ!」
あの頃の私はどうかしていたとしか思えない。
勝手な思い込みで不安を抱いて、美鈴に迷惑をかけていた。最低の人間だ。
「お前相手には許可を取ってたんだな」
樹里はずっと興味深そうに美鈴の話を聞いていた。正直それが一番の精神へのダメージになっていた。
「え? もしかしてアンタ相手だと許可なしでスマホ見てるの?」
美鈴がジッとこちらを見つめた。
……穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
「それは、その……」
「アンタ信用されてないんじゃないの?」
「お前には関係ないだろ。いい加減一二三のことは諦めろ」
聞こえない。私には何も聞こえない!
必死に自分にそう言い聞かせて、この修羅場から逃げる方法を考えた。しかし、逃げようとすれば二人の矛先が再びこちらに向かうことは目に見えていた。
「なら、直接本人の口から聞いたら?」
「それもそうだな」
……このままじっとしているのも不正解だったようだ。
「まぁ、なんというか……。樹里ちゃんのことを知りたいと思ったら自然と身体が動いていて……。ごめん!」
恥ずかしさで頭が沸騰しそうなほど熱くなる。
気づくと私は部屋を出て、外に逃げ出していた。
しばらく走り、近所のコンビニの前で立ち止まってため息を吐く。
「結局、変われてないのかな……」
あれから美鈴以外の友人も作り、黒歴史だと忘れようとしていたあの頃の私はどこにもいない。そう思い込んでいた。
しかし、根本的には何も変わっていないのかもしれない。
今の私は樹里に依存している。彼女の優しさに甘えてしまっているのだ。
……彼女がいなくなり、依存することができなくなった時、私はどうなってしまうのだろうか。勿論、この時の私は想像すらできなかった。