私の知らない彼女の一面
「にゃぁ~、一緒に帰ろうよぉ」
……通行人の視線が痛い。
それでも気にせず、私は自分でも恥ずかしくなるような声を出しながら猫じゃらしを左右に揺らす。しかしビルの隙間に隠れている赤い首輪をした太り気味の猫は視線を動かすだけで一歩も動こうとはしない。
「樹里ちゃん、どうしよう……。せっかく見つけたのに」
「……知るか、そんなこと」
白髪の少女、赤崎樹里が素っ気ない返事をした。
何故こんなことになっているのか、その発端は数日前に来た私たちへの依頼だ。
依頼主はブランド物の衣服やアクセサリーを身に着けたいかにもお金持ちといった風貌の女性。そして依頼内容はいなくなってしまった飼い猫の捜索だ。
探偵に毎回血生臭い事件に関する依頼が舞い込んでくるかというと、決してそんなことはない。現実は小説のようにはいかず、大抵は地味な作業ばかりだ。
……しかし、これはこれで小説に出てくる冴えない探偵のような気もするが。
「前金だってもらってるんだし、逃げられましたすみませんじゃ済まないんだからね⁉」
「そ、それはわかっている。だが……」
樹里が目を逸らす。その表情は一見いつも通りにも思えるが、なんだか無理矢理表情を作っているような気もした。
「もしかして、樹里ちゃんって猫好きなの?」
「そんなわけないだろ!」
樹里の反応を見て、私の中で想像が確信に変わった。
彼女にはこれといった趣味や嗜好はない。強いて言えば時間を潰すことのできる読書、そして痛みを伴うレベルの辛味を好んでいる。しかしこれらは彼女自身が望んでいることというわけでもない。彼女にはこれしか選択肢がなかったのだ。
樹里は退屈を酷く嫌っていた。彼女が魂の腐食と呼ぶそれを解消するには謎を解く以外方法がなかった。だが日本は比較的平和な国だ。事件なんてそう都合よく起きたりはしない。
だからこそ、退屈を誤魔化すために樹里は本の世界へ逃げた。
そんな生活を十年以上しているうちに、味覚もほとんど感じなくなってしまったらしい。
今では徐々に回復して日常を謳歌している彼女だが、やはり時々以前のような彼女に戻ることもあった。
……しかし、どうやらそれは私の考えすぎだったようだ。赤崎樹里にも普通の女の子のような一面があるのだ。
「別に誤魔化さなくていいよ。いつもスマホでペットの動画見てるの知ってるし」
「なっ……、お前勝手に私のスマホをいじったのか⁉」
「パスワードをかけないのが悪いんだよ」
樹里の顔が真っ赤に染まる。
別に隠すようなことでもない気がするのだが、もしかしたら私の前では強気な女性というのを演じたかったのかもしれない。そう考えると途端に彼女が愛くるしく思えてきた。
「仕方ない。報酬金のためだ」
樹里はしゃがむと猫のいる隙間を覗き込んだ。
そして一度深呼吸をすると、恥ずかしそうに声を出した。
『ニャァ~』
「え……?」
私は目の前の光景が夢なのではないかと疑った。
樹里が猫の声真似をしている。しかも本物そっくりの声で。
私の呼びかけには一切応じなかったというのに、猫は樹里の声を聞くとのっそりと起き上がりこちらへ歩いてきた。そして猫は樹里の足に頭をこすりつけた。
……まさか、彼女にこんな特技があったとは。
「恥ずかしいから嫌だったんだ」
そう言いながら樹里は猫を抱きかかえた。猫は嫌がる素振りを見せず、それどころか目を閉じて完全にリラックスしていた。
「なぁ、一二三。こいつはお前が持っていてくれないか?」
「なんで? 樹里ちゃんが抱いてた方が暴れる心配もなさそうだけど」
「それは……クシュッ」
樹里が唐突に可愛らしいくしゃみをした。そして猫を抱く彼女の腕には軽く蕁麻疹が出ていた。
「……もしかして、アレルギーなの?」
「だから現実の猫は好きじゃないんだ……」
私は持っていたティッシュで樹里の鼻を拭いた。まるでやんちゃな小学生男児の世話をする母親の気分だ。
そして私は彼女に無理矢理押し付けられる形で猫を抱えた。心なしか私の抱かれた猫の鳴き声は先程より機嫌が悪そうに思えた。
「ほら、さっさと帰るぞ」
「うん。それにしても樹里ちゃんが声真似が得意なんて思ってもいなかったよ」
「別に、得意なわけじゃない」
猫から解放された樹里はいつものような無表情に戻っていた。
しかし、今日は私の知らない彼女の一面をいくつも見ることができたような気がする。それだけで満足だ。
二人で特に何か話すこともなくただ帰り道を歩く。
散った桜の花びらが歩道をピンク色に染めていた。
これは桜の季節が終わる頃、私と樹里が最後の事件に挑む少し前の話。




