17話 嵐の孤島、幸運の魔女 その伍:無人
部屋に戻った浦崎がため息を吐く。その様子を見た私も落胆しながら、タバコに火を点けた。
一通り取調べは終わったが成果はなし。被害者の従業員二人に恨みを持つ人間は見つからなかった。そして何より、チェーンによる密室の謎が残っている。
「本当にチェーンは外から掛けることができないんですか? 地下室ですし、掛けているところを見られるリスクは低いと思うんですがねぇ」
浦崎が目を細めた。恐らく彼は富田のことを疑っているのだろう。
「それに、内部犯だとしたら残ってるのは二人だけじゃないですか」
サチヱと同じように、浦崎も脅迫状は従業員によるものだと考えていた。そして二人が殺され、内部犯として残る容疑者は富田と櫻子だけだ。
しかし櫻子は除外され、浦崎の中では自動的に容疑者が一人にまで絞られていた。
「それは本格的に捜査が始まってから調べることだ。今は取調べでの発言を信じるしかないよ」
「へいへい……」
あくまで今の自分たちがやるべきことは犯人を捕らえることではなく、次の事件を止めること。それが私の考えだ。
勿論犯人を捕まえるのに越したことはないのだが、今の自分たちだけではできることに限りがある。ならば、通報によって駆けつけた警察官たちに任せるべきだろう。
しかし、そんな私の甘い考えを冷笑するかのように、波しぶきが勢いよく窓にぶつかった。
海は大荒れで、船を動かすことはできないだろう。つまり雨が治まるまでは、この島は世界から隔離された巨大な密室ということになる。
私がラジオの電源を点けると、丁度台風についてのニュースが流れた。
『大荒れの天気は、明日の昼頃まで続く見込みです』
「長丁場になりそうですねぇ」
毛布を抱えた浦崎が心底嫌そうに呟いた。
第二の事件を未然に防ぐことも重大な役目だが、現場の保全も重要なことだ。そこで私たちは手分けして二つの使命を全うすることになった。
「そういえば」
「なんだ?」
「岸部さんはあの富田って男とどんな関係なんです?」
浦崎は私から事情を聞かないまま、ほとんど無理矢理と言ってもいい形でこの島に来ていた。今更だがこんな状況に巻き込んだことを後悔してしまう。
「あれ、言ってなかったっけ」
「言ってないですよ。ただ知り合いに会うからお前も来いとだけ」
私は頬を掻きながら、浦崎にこの話をしていいのか迷っていた。
岸部行村という刑事は正義感の塊、まさに警察官の鑑と言ってもいい男だ。そんなイメージを周りは私に抱いているのだろう。
自身でもそんな人間になれるように心がけていた。
だからこそ、これは私にとっては唯一の過ちと言っても過言ではない。
「……あれはもう五年くらい前の話なんだがな」
覚悟を決めた私は浦崎に語り始めた。
「その日俺は非番で、近所の商店街で買い物をしてたんだ」
私は今でも、五年前交番勤務だった時に体験した出来事を昨日のことのように思い出すことができた。
「本屋から高校生が出てきたんだ。随分とキョロキョロしていて、怪しいと思ってな。話しかけたら血相を変えて逃げ出しやがった」
「それで追いかけたんですか?」
「勿論。それで捕まえたら制服の中に本を隠していて……、説教しようとしたんだがな。そいつにも事情があって」
「事情?」
万引きは犯罪、それは当然だ。しかし、私はその少年に同情してしまったのだ。
「泥だらけの学ランに傷だらけの顔を見て……、放っておけなくなったんだ」
「まさか万引きを見逃したんですか?」
「そんなわけないだろ。ちゃんと盗んだ本を返して、謝らせたさ。店主もその学生の事情を知ってたのか、二度としないことを誓わせて終わったんだ」
「……でも何故万引きなんて」
「くだらない度胸試しみたいなもんだよ。それを不良グループが気弱なやつに強要するんだ。逆らったらもっと酷い目に遭わせてやるってな」
私にも心当たりがあった。それは私の苦い過去なのだが、流石にそこまで浦崎に言う気にはなれなかった。
「その少年というのが、富田なんですね」
「そういうことだ。まあそれからも目をかけてて、つい最近就職したって聞いてこの島に行くことになったんだ。お前にも紹介したくてな」
「それが、まさかこんなことになるなんて……」
あの占い師が脅迫状を取り出してからというものの、状況は目まぐるしく変化し続けていた。
それを彼女のせいだとは思ってはいないのだが、それでも私たちは赤崎サチヱという女性に対して、複雑な感情を抱いていた。
「ほんと、胡散臭い女ですよね」
「まぁ、流石にそれには同意だな。あの頭が本物だというのが余計に質が悪い」
私たちはサチヱが実際に事件を解決しているところを以前に見ている。だからといって、絶対的な信頼を置けるかは別問題だ。
「上層部からの信頼は厚いようですけどね。いくらなんでもあんな変人に頼るなんて……」
島に隠居している魔女。それが私たちがサチヱに感じている印象の一つだった。
サチヱが占い師として多くの場所で活躍していたのは十年前、彼女はテレビで活躍する一方、秘密裏に政界や警視庁の人間とも繋がっていた。その権力を使えば、簡単に事件の捜査を単独ですることができるだろう。
それをしないことだけが、私たちが唯一安心している点だった。
しかし、彼女の顔は一つだけではない。赤崎サチヱには三人の子供がいる。子供たちにとってサチヱは立派な母親らしいのだが、私にはにわかに信じがたかった。
すると、扉をノックする音がした。
「少しいいかい?」
「……どうぞ」
部屋に入ってきたのは、私たちが丁度話していた人物だった。
「サチヱさん、どうかしましたか?」
「少し気になることがあってね。現場をもう一度調べたいんだが」
「……少しだけですよ」
私が答えると、浦崎が私の耳元で囁いた。
(本当にいいんですか……?)
(独断で動かれるよりはマシだからな)
そして毛布や缶詰を持った私たちと、手ぶらのサチヱは再び地下へと下りた。そして現場の扉を開く。
しかし、室内には私たちが予想していない光景が広がっていた。
「……どこに」
私の手から毛布が滑り落ちた。
「どこに消えたんだ⁉」
室内には誰もいなかった。
それは物言わぬ抜け殻になってしまった二つの物体、つまり西と樋野の遺体も例外ではなく、部屋はもぬけの殻となっていた。




