15話 嵐の孤島、幸運の魔女 その惨:二重密室
「ずっと話してたら少し喉が渇いちゃった。棚にコップがあるから、お水を入れてくれないかな?」
「わかりました。ちょっと待ってください」
私はパイプ椅子から立ち上がり、棚に置かれていたコップを取った。そして蛇口をひねって水を注ぐ。
コップを手渡すと琴子は水を一口飲んだ。その様子を私はじっと見つめていた。
「どうかした?」
「な、なんでもないです」
すると琴子が怪しげな笑みを浮かべながら起き上がると、私に顔を近づけた。
……まつ毛長いなぁ。
別に彼女に見惚れているわけではない。ただ、私は過去の樹里と琴子の関係のことを考えていた。
当時の樹里にとって、日守琴子は唯一の友人であり、そして初恋の相手でもあった。別にそのことに妬いているわけではない。たしかに妬いている時期もあったが、今はもう感情を整理することができている。
ただ、何故樹里が琴子のことを好きになったのか、それがずっと疑問だった。
しかし、初めて起きた彼女と話して、なんとなくその理由がわかった気がした。
日守琴子は独特な雰囲気を纏う女性だ。こちらを見透かしているような瞳で見て、こちらが欲している言葉を口にする。きっと樹里もそんな彼女で自身の孤独を埋めていたのだろう。……それでも、琴子は最後に樹里を突き放した。
「じゃあ少し時間を進めて、事件の直前からのことを話すね」
「……お願いします」
琴子に気を許してはいけない。彼女は人殺しなのだ。樹里の心を孤独に追いやった、人の形をしたバケモノだ。
私は自身にそう言い聞かせ、再び冷たくて硬いパイプ椅子に座った。
●
古い時計の長針が頂点にたどり着き、音を七回鳴らす。午後七時、そろそろ夕食の時間なのだが、誰も扉をノックしない。
そのことを不審に思った私は、部屋から出て階段を下りた。
すると、広間には一人でタバコを吸うサチヱがいた。私は彼女に近づくと、自分のタバコに火を点けた。
「雨、止みそうにありませんね」
無理に話しかける必要はなかっただろうか。
話題のタネが見つからず、私は窓から外の景色を眺めながらつい当たり障りのないことを口にしていた。
「……そうね」
「サチヱさんは本当に事件が起こると思いますか?」
「あんたは疑っているわけ?」
私は頬を掻いた。完全に図星だった。
「まあ、正直ただのイタズラの可能性が高いと思っています。ここには招待された宿泊客しかいませんし、お昼に言った内部犯や神楽坂さんによる自作自演の可能性も低いんじゃないでしょうか」
「別に刑事さんの考えを否定する気はないけど」
「というか、あんなことを言う必要なんてなかったんじゃないですか? 事実だとしても警戒されたら犯人も尻尾を出さないかもしれませんし」
「事件を防げるなら、それでもいいさ」
たしかに犯人が宿泊客か従業員だとしたら、赤崎サチヱの存在自体が抑止力になる。仮に神楽坂門司によるものだったとしても、先程の彼女の発言によって計画は瓦解したことだろう。
しかし、そのやり方にはやはり関心できない。
傍若無人な態度を取った彼女は、結果的にこの島で完全に孤立してしまった。
「そんなことより、夕食がどうなっているのか確認しに来たんじゃないのかい?」
「な、なんでそれを……って聞いても『見えたから』としか言わないですよね」
するとサチヱが首を横に振り、食堂の扉を指差した。
「見る必要もない。あんた、さっきから何回も扉の方に視線を動かしていたよ」
「……そこは予知であってほしかったです」
サチヱの観察眼も本業の占いで役に立っているのだろう。
すると食堂の扉が開き、中から富田が不安そうな表情で出てきた。
「あっ……、赤崎様と岸部さんでしたか……。すみません、御夕食の準備はまだ……」
「何かあったのか?」
私は富田に訊ねた。
サチヱは興味なさげにタバコの煙を吐いた。
「その…他の二人がどこにもいなくて……」
「……まさか」
脅迫状の存在が私の頭によぎった。
しかし、犯人のターゲットは神楽坂門司だ。従業員である西と樋野は関係がない。それどころかサチヱは彼らが犯人ではないかと疑っていた。
「とりあえず捜そう! サチヱさんも手伝ってください!」
「仕方ないな」
そして捜索が始まった。
私は浦崎に、サチヱと富田は宿泊客と神楽坂夫妻に声をかけた。その後ホテルにいる全員で消えた西と樋野を捜したのだが、二人はどこにもいない。
しかし、まだ私たちが見ていない部屋が一つだけあった。
「いるとしたら、後はここだけなのですが……」
門司が扉を見つめる。
二人を捜して最終的にたどり着いたのは地下にある従業員用の待機室の前だ。この中に二人がいる。
門司はオーナーとして従業員を叱る覚悟を決めたのか、一度深呼吸をして扉を開けようとした。しかし、扉は途中で動きを止めた。
「あれ、チェーンがかかっ…て……」
チェーンに拒まれ、室内に入れない。だが問題はそこではなかった。
怯えた顔で固まった門司を不思議に思った私は扉の隙間から室内を覗いた。……そこには異常な光景が広がっていた。
私は扉から離れて浦崎とサチヱの顔を見た。二人は既に何が起きているか察しているようだ。私も遅れて心の中でスイッチを仕事時の状態に切り替え、全員に言った。
「皆さん、絶対に中を見ないでください」
「中に何かあるんですか?」
好奇心に負けた紫藤が、私の忠告を無視して室内を覗いてしまった。
そしてその場に尻餅をつく。
「あ、あああぁぁ……」
「落ち着いて聞いてください。……室内には西さんと樋野さん、二人の遺体があります」
「え? な、何かの冗談だよね……?」
「残念ながら、事実です」
谷木と渡井はまだ室内の様子を見ていない。しかし、中から漏れてくる死の臭いが嫌でも彼女たちに現実を突きつけた。
「どうして、どうして私がこんな目に……」
「やはり、犯人はこの中にいる。そして神楽坂門司以外も殺すつもりか」
この場で冷静なのは私と浦崎、そしてサチヱだけだった。
こうして、嵐によって外界から断絶された孤島での悲劇が始まった……。