9話 色の無い世界 その壱:変色③
那由多と一旦別れ、大学付近から住宅街に戻った私は調査のためにとある家のインターホンを押した。
本当なら私が来るのは間違いなのかもしれない。調べたいことがあるというのも言い訳だ。
『……はい』
声だけで落ち込んでいるとわかる女性の返事が聞こえた後すぐに、ゆっくりと扉が開いた。
「あの、どちら様でしょうか」
「はじめまして、探偵の赤崎一二三です。能登春馬さんの依頼で、千代さんの捜索をしています」
「貴女が例の……」
女性が私の顔をジッと見つめる。
どうやら能登が事前に私のことを伝えていたようだ。
「それで、娘は見つかったんですか⁉」
母親が縋るような目で私のことを見る。
正直答えづらいのだが、ここで嘘を吐いたところでどうせすぐに警察によって連絡が来るだろう。なら辛いことを先延ばしにするより、今言ってあげることが優しさなのだろうか。
……違う。ただ私がこの罪悪感から逃げたいだけだ。
「千代さんは少し前に見つかりました。……残念ながら遺体で」
「……え?」
母親は理解できないといった表情で固まる。
無理もない。残酷な真実を唐突に告げられてもすぐに理解することはできないだろう。
「恐らくもうそろそろ警察から連絡があると思います。……こんな結果になってしまって、本当に申し訳ありません」
「いえ……、探偵さんが悪いわけでは……」
「犯人を捕まえるためにも、少しでも情報が必要なんです。千代さんの部屋を見せてもらってもいいですか」
頷き、家の中へ案内される。
勿論心中では私のことを恨んでいるのだろう。依頼を受けた時点で古間と北城の二人は死亡していた可能性が高い。
だがそれを言い訳に責任逃れをするつもりはない。この事件に関わってしまった以上、犯人を見つけるまで逃げないのが私の……そして彼女の信念だ。
案内された私は、一人で古間千代の部屋に入った。
テーブルの上に散乱した化粧品、机の上に積まれた参考書やノート、ベッドの上に脱ぎ捨てられているルームウェア。つい先程まで誰かいたかのように、部屋には生活感が溢れていた。
「あれ?」
化粧品たちと共に、私が古間の遺体が持っていたものと同じデザインのリップクリームが置かれていた。
蓋を開けると、こちらはかなり使った形跡がある。
しかし、何故使いかけのものを放置して、現場では新品同然のものを持っていたのだろうか。
「まあ私も使い切った試しがそんなにあるわけじゃないけど」
消しゴムや鉛筆なんて昔から使い切った試しがない。途中で失くしてしまうのがほとんどだ。
失くしてしまった後で新品を買うと、何故か探したはずの場所から出てくる。そんな経験が何度もあった。
それでも、やはり違和感は否めない。
もう一度部屋を見渡す。もうここにあるものを使う人間はいないのだ。
……きっとあの母親はしばらくの間、部屋をそのままにしておくのだろう。いつの日か、娘がひょっこりと帰ってくるのではないかと信じて。
『いい加減、貴女も受け入れるべきじゃないの?』
私かいないはずの部屋に女性の声がした。それは千代の母親のものでもない。
『もうあの子は帰ってこない。そう言われたでしょ?』
「……うるさい」
『私達は貴女のことを思って』
「……黙れ」
『そうやって意固地になってるからまたあいつが』
「黙れって言ってるでしょッ‼」
きっと傍から見れば一人で暴れる異常者に見えるのだろう。しかし、私にとっては本当に目の前には女性が存在していて、今もああやって私のことを責めているのだ。
「樹里ちゃんはまだ死んでない、だから…だから……ヴッ」
私は急いで部屋を出て、トイレに駆け込んだ。
そして便器に顔を突っ込み、胃の中のものを吐き出した。
「うおぇっ…うぅ……」
吐瀉物と共に、彼女との大切な記憶が流れていく気がする。
必死に手で口を押え、胃液を飲みこむ。喉が焼けてヒリヒリした。
トイレから出て吐瀉物で汚れた手を洗っていると、インターホンが鳴った。
しかし千代の母親は出ようとしない。ただリビングで泣いてるだけだ。
「……私が出てもいいのかな」
彼女の知り合いだとしたら怪しまれるかもしれないが仕方ない。どうでもいい来客なら追い返そう。それくらいの気持ちで扉を開けた。
「……げっ」
来客は予想外の人物だった。
……いや、彼が来るのは時間の問題だっただろう。しかしあまりにもタイミングが最悪だ。
「なんでお前がここに⁉」
「それはこっちの台詞……ではなく、貴方が来るのは妥当ですね。近衛刑事」
近衛刑事が嫌そうな顔をしながら、部下に車へ戻るよう指示する。そして部下が離れたのを確認すると、家の中に入り玄関の扉を閉めた。
「それで、お前は依頼でここに来たのか?」
「まぁ、そんな感じです。近衛刑事も事件の捜査で?」
「……たく、ここに来たのが俺じゃなかったらお前捕まってたぞ」
「何故ですか?」
とぼけると近衛刑事が露骨に顔を歪めた。
……まあ流石に私たちの不法侵入はバレているか。
「現場に怪しい女が二人、そして片方は白髪の若い女って言われたらお前を想像するに決まってるだろ。もう一人は那由多あたりか?」
「はて、なんのことやら。記憶にありませんね」
それでも私はとぼけ続けた。
近衛刑事も私がこんな態度を取り続けると最初からわかっていたのだろう。一度ため息を吐くと、「それよりも」と呟き私に数枚の写真を手渡してきた。
写真には現場の様子が収められている。
「一度見たとはいえ、あった方がいいだろ?」
「ありがとうございます。まあ現場には一度も行っていないのですが」
「……わかった、そういうことにしておいてやるよ。とりあえず情報交換といこう」
「いいですよ。それで、被害者はやはり二人とも毒殺ですか?」
「あぁ、だが肝心の毒物が見つからない。それに犯人の侵入経路もだ」
「えっ、あのリップクリームは?」
「はぁ……。遺体も勝手に調べたのかよ」
つい口が滑ってしまった。しかし、本当に犯人はどうやって毒物を二人に与えたのだろうか。
そして部屋から脱出した方法もわからなくなる。
「と、とにかく! まずは犯人が誰かということから考えていきましょう」
「後で覚えてろよ……。北城はかなり恨みを買っている。動機のある人間はかなり多いだろうな」
「学生、卒業生は当然ですけど、他の人からも買ってそうですしねぇ」
「結局そっちも情報はほとんどなしか。まあいい、とりあえず後で説教くらいは覚悟しとけよ。ほんと、担当が俺でラッキーだったな」
「……はぁい。じゃあ私はおいとましますね」
本当ならもう一度あの部屋を調べるべきなのだろうが、恐らくそうしたら私の心は今度こそ粉々に砕け散ってしまうだろう。
彼女のためにも、歩みを止めるわけにはいかない。それは理解しているのだが、私は本能に従い近衛刑事を押しのけて外へ出た。




