9話 色の無い世界 その壱:変色
引き受けると言っても私たちにできることは限られている。
まずは行方不明になった古間の自宅付近での聞き込み調査だ。通行人に話しかけ、古間の写真を見せる。そして彼女を数日以内に見かけなかったか訊ねる。その繰り返しだ。
地道な作業だがやるしかない。私と那由多は二手に分かれて、聞き込みを始めた。
気づけば聞き込みを始めてから二時間ほど経ち、時刻は十二時になっていた。
私は一度那由多と合流したが、彼女は私を見るなり首を横に振った。成果無しというわけだ。
「私も、少なくともここら辺にはいないみたいだね」
合流する前にコンビニで買ったエナジードリンクの缶を開け、飲み口にストローを入れる。
昔から定期的に飲んでいたのだが、ここ最近は特に飲む機会が増えた気がする。
「健康に悪いですよ」
那由多が冷たい目で私が両手で持つ缶を見る。
「健康でいたところでねぇ……」
ついつい本音が漏れてしまう。
那由多は私の言葉になんて答えればいいかわからない様子だ。
「ま、依頼がある日くらいは無理矢理にでも元気でいないとだし」
「それはそうですけど」
しかし必死に働いたとしても成果がゼロでは何もしていないのと同じだ。だからこそ、次の場所へ移るべきだろう。
古間は大学生だ。つまり、彼女の通っている大学へ行けば能登の知らない情報が手に入るかもしれない。そう考えた私は早速近くのバス停へ向かった。
バスに揺られながら、私は近衛刑事にメールを送っていた。勿論用件は今回の依頼についてだ。
警察は能登を門前払いしたそうだが、近衛刑事を起点に警察組織を動かすことができれば人手が増え、その分古間を探すのも容易になるだろう。
だが一つ問題があるとすれば、近衛刑事が私のことを嫌っているということだ。
彼とは二年前からの付き合いだが、あまり良い関係を築けたとは言えない。それは私が大切な人を失った直後、かなり荒れていた時期があったからという理由もあるのだが、それ以上に彼は探偵というものを信用していなかった。
「……動いてくれるといいけど」
「ナユ、あの人のこと嫌いです。いつも上から目線で、ナユたちのことを見下していますし」
「うぅん、私もちょっと苦手かな。刑事としては立派な人だと思うんだけどね」
正義感の強いところは過去に親交のあった刑事とそっくりなのだが、融通の利かなさがその部下に似てしまっているのだ。
祖母の名を使えば捜査に介入することはできるが──それでも十分な特権なのだが──やはり私個人から何か頼んだとしても聞いてくれるようなことはしないだろう。
そんなことを考えていると、大学付近の停留所にバスが近づいていた。
●
「千代? たしかに今週は一度も来てないけど……」
学生が警戒した表情で私の顔を見る。
いきなり見知らぬ白髪の女性が学生の情報を聞いてきたら当然不審に思うだろう。私はそれを解くために名刺を差し出した。
「赤崎一二三…さん。探偵……?」
「うん、探偵だよ」
すると学生は更に眉間にしわを寄せた。
……まあ探偵なんて怪しい職業に思われても仕方がないだろう。
「千代さんの彼氏、能登春馬さんに頼まれて色々と調べているんだ」
「あぁ、あの可哀想な人に依頼されたんだ」
「可哀想な人?」
「そ、千代のやつ実は最近浮気してるみたいなんだよね。しかも教師と」
これは重要な情報だ。私はその教師が誰か訊ねたが、学生は言いづらそうな表情で「そこまでは」と呟き、足早に去ってしまった。
明らかに彼女は何か知っている様子だったが、無理に追いかけて吐かせることはできない。
次は誰から話を聞くか考えていると、タイミングよく那由多が戻ってきた。
「一二三さん、成果はありましたか?」
「うん、一応はね。ナユちゃんは?」
すると那由多はニッコリと笑って頷いた。
「千代さんと同じタイミングで無断欠勤を続けている教師が一人いるそうです」
「なるほど、その人が例の浮気相手……」
「浮気相手?」
那由多が首を傾げたので、私は先程の話を軽く説明した。
恐らくその教師が古間の行方不明に関わっている可能性が高い。それどころか彼女は現在その教師と共にいる可能性だってある。
「住所は聞けた?」
「他の教員の方にも聞きました。この近くです。……でも行っても反応がないらしく、留守にしてるみたいで」
「……行ってみよう」
……強烈に嫌な予感がした。
そして、こういう予感は毎回当たってしまう。まるで魔女が嘲笑いながら人間という名の駒を動かしているのではないかと勘ぐってしまうほどに。
●
大学から徒歩十分ほどの位置に建つアパート、そこが例の教師の自宅だ。
「まさかあの人にこんなに可愛らしい親戚がいたなんてねぇ」
「よく言われます」
大家の老婆が笑いながら扉に鍵を差し込む。
当然部外者である私たちが部屋に入ることはできない。そこで私たちは大家に一つ嘘を吐いた。
私たちは彼の親戚で、仕事で手が離せない彼の代わりに生活用品を取りに来た。しかし肝心の鍵を借りるのを忘れてしまった。そう言って大家に扉を開けさせているのだ。
当然合鍵を渡されるわけではなく、大家が立ち会うという条件で許可してもらった。
件の教師の名前は北城尚人。彼には黒い噂が多かった。
一つは単位と引き換えに学生と身体の関係を迫っているということ。
そしてもう一つは卒業後にそのことで脅し、卒業してからも関係を無理矢理続けさせているということだ。
「やっと開いた」
大家がそう言ってドアノブを捻った。
扉が開き、室内の様子が明らかになる。そして同時に、異臭がした。私たちはこの臭いを何度も嗅いでいる。
……死の臭い。
「警察を呼んでください、今すぐに」
私は冷静に告げ、困惑する大家を残して那由多と共に室内に入った。
「遅かった…しかも二人とも……」
嫌な予感は見事に的中してしまった。
リビングに二人の男女が倒れている。一人は写真で見た古間千代、そしてもう一人の中年男性が北城尚人だ。
肌は変色していて、死後それなりに時間が経過していることが見て取れた。
「千代ッ‼」
突然男の叫び声がした。
入口を見ると、青ざめた表情の能登が立っていた。
「能登さん⁉ なんでここに!」
「どうして……どうしてだよッ!」
悲痛な声を出しながら、能登が古間の遺体に駆け寄る。彼は行方不明になった古間千代と再会することを求めていた。しかし、こんな結末は望んでいなかっただろう。
「でも一体誰が……」
現場は密室。今のところは他殺の証拠も自殺の証拠もない。
だがもし前者だとしたら……犯人は一体どうやって二人を殺したのだろうか。