21話 ネクストプロローグ:Z
「お先に失礼します!」
青年が上司に挨拶をしてタバコ臭いオフィスから出ていく。
時刻は午後十一時、まだ会社に残っている青年の上司たちは既に今夜はここに泊まりこむつもりでいた。
「芦田、最近かなり調子いいな」
上司の一人が呟く。
「あのホテルと島のことをまとめた記事、かなり読者からの評判も良かったらしいからな」
「ま、あいつには来ヶ谷の穴を埋めてもらわないと」
青年の名前は芦田恭一。以前に赤崎樹里と四条一二三が解決したホテル螺旋塔での事件に巻き込まれた人間の一人だ。
そして、上司が口にした来ヶ谷という人間は芦田と共に螺旋塔へ行き、不幸にも異常な犯人によって殺害されてしまった。
「期待に応えてもらわないと」
「そうやってプレッシャーかけまくるなよ?」
上司たちは笑った。現在、芦田の身に何が起きているのかも知らずに。
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芦田はいつもの帰り道を歩いていた。普段は彼以外通らない道なのだが、今宵は珍しく一人の男が彼の後ろを歩いていた。フードを被っていて、その顔はよく見えない。
「……夕飯どうしよう」
どうでもいいことを呟きながら、自然と歩くスピードを速める。芦田は自意識過剰と理解していたが、どうしても後ろを歩く人間が不気味に思えた。
すると、口笛が聞こえた。勿論それをしているのは彼の後ろを歩いている男だ。
聞き覚えのあるメロディ、芦田は頭の中でその正体を思い出そうとした。
「London Bridge is falling down……」
そのメロディの正体を思い出した芦田は、口笛に合わせて歌詞を口ずさんだ。
……すると口笛が止み、彼の背中に何かが当たった。
「え……」
突然の出来事に、芦田は何が起きたか理解できずにいた。ただ背中にできた赤いシミに触れ、地面に崩れ落ちた。
彼の真後ろにまで近づいていた男がしゃがみ込んで、彼の様子を確認する。
「な…んで……」
血のように赤い瞳をした男は芦田がまだ生きていることを確認すると、彼の首に包丁の刃を当てた。
……そして住宅街に、真っ赤な液体が飛び散った。
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「財布の中に名刺が入ってました。被害者は芦田恭一、この近くにある出版社で雑誌記者をしてたみたいですね」
「背後から刺した後、頸動脈を切ってトドメ……酷いことをしますねぇ」
浦崎刑事は遺体を調べたが特に目ぼしいものは何も見つけることができなかった。
「ん……?」
しかし、芦田の遺体ではなく彼の鞄の中から、浦崎は以前に何度も現場に残されていたものを発見した。
「アルファベットのプレート……、取材か何かで使うんですかね?」
彼の部下である岸部が首を傾げた。
鞄の中に入っていたアルファベットを模った金属の板は二枚、『A』と『Z』だ。普通なら被害者がなんらかの理由で持っていたものだと考えるだろう。
しかし、浦崎は別の可能性を考えていた。
「このことはマスコミには知らせないでください。それともう一つ、上にこう報告してください。やつが十年ぶりに現れたと」
「は、はい……!」
岸部は浦崎の剣幕に圧され、頷くことしかできなかった。
怯える部下のことを意に介さず、浦崎はプレートを睨みながら呟いた。
「今度こそ捕まえてやるからな、このくそ野郎……」
それは正義感に燃える刑事の姿とはかけ離れていた。その姿はまるで獲物を見つけた獣。そんな彼を見た鑑識たちも今回の事件がただの殺人ではないことを理解した。
「俺もお前と同じ気持ちだよ。一緒に行村さんの仇を取ろうぜ」
ベテランの鑑識官が浦崎の肩を叩く。
彼の言った行村という人間は、岸部の父親であり、浦崎の同期だった刑事だ。彼は十年前、当時捜査していた事件の犯人によって殺害された。
その時犯人がわざと残した証拠が、今回の事件と同じ『A』と『Z』のプレートだ。
「行村だけじゃありませんよ。芦田恭一さん、そして他の犠牲者たちの遺族の方々のためにも、絶対に捕まえましょう」
「……あぁ!」
十年前に世間を震わせた連続殺人事件。殺害方法も被害者も不規則で警察は犯人を特定できずにいた。
ただ現場には毎回必ずアルファベットのプレートが置かれる。それだけが犯人が自身に課したルールだった。
そして行村が殺されてから十年間、同様の手口による殺人は一切なくなった。
「プレートのことは世間は知らない。つまり、模倣犯なんかじゃないはずだ」
「えぇ、今度こそ……!」
かくして、最後の舞台の幕が上がる。
その舞台の中心にいるのが、浦崎も知っているあの白髪の探偵であることは、今はまだ犯人しか知らない。