20話 エピローグ:side N
気づけば事件から数週間が過ぎ、四月もそろそろ終わりを迎えようとしていた。花見のシーズンが終わると今度はゴールデンウィーク、世間は忙しいが私たちの生活は相変わらずだ。
依頼もなく、ただ退屈な日常を繰り返している。
以前の私なら、そのことに絶望していただろう。しかし、今の私はこの退屈な日常が嫌いではなかった。……むしろ好きだ。
最愛の家族、四条一二三と送る生活はとても楽しい。だが、彼女との生活は別に毎日刺激があるわけではない。基本的には同じことの繰り返しだ。
それでも、そんな生活の一秒一秒が愛おしくて仕方がない。勿論口には出さないが、心の中ではそう思っていた。
唯一心配なのは、逆に一二三が今までの私のように非日常を求めるようになってしまったことだろうか。もしかしたら、彼女を探偵事務所の助手にしてしまったのは間違いだったのかもしれない。
彼女は表面上はなんでもないようにしているが、心の奥底では焦っているのが私にはわかった。
玄関の扉を開ける。いつもなら依頼が来た時以外はほとんど家にいるのだが、今日は珍しく数時間ほど外出していた。
その用事は買い物だ。いつもならインターネットで買っていた本を、今日は本屋で直接見て購入していた。
そしてもう一つ、私はホームセンターのレジ袋を靴箱の上に置いた。読書以外の趣味を見つけようと、私はホームセンターで初心者向けの家庭菜園セットを購入していた。
「……ん?」
靴を脱いで揃えようとすると、見知らぬ革靴が目に入った。一二三のものでも、茜や美鈴のものでもない。誰か来客でも来ているのだろうか。
リビングに入ると、一二三と来客が楽しそうにゲームをしていた。そしてその来客は、私が数週間前に会った人物だった。
「あ、樹里ちゃんおかえり」
「お邪魔してます」
「何故お前がここにいる。……四条那由多」
那由多は俯瞰島の屋敷に預けられることになったはずだ。
「屋敷から抜け出してきたみたいで……」
「さっさと帰れ」
「島には何も娯楽がないので。昔の生活と一緒です」
それを言われたら何も言い返せない。
私は那由多のことを守るつもりであの島に預けた。しかし、それは彼女にとって過去にされていた監禁となんら変わりないことだ。
「……仕方ない。島の方には私から後で連絡しておくが、今日はここに泊まるつもりなのか?」
「いえ……、できれば今日だけじゃなくてずっと……」
「は?」
流石にそれは無理だ。そう言おうとすると、一二三が困った表情で頭を掻いた。
きっと彼女が既に言っているのだろう。
「さっきも言ったけど、三人で住むには狭いよ……。学校のこともあるし新太さんと桐子さんに言ってなんとかしてもらうから」
忘れかけていたが、那由多はまだ十三歳だ。本当なら義務教育の途中、しかし彼女は一度も学校には通っていない。
手続きが済み次第、彼女はどこかの学校に編入することになるが、あの島から通うとなるとかなり不便だろう。
「……一二三お姉ちゃんと一緒にいたいです」
「お姉ちゃん⁉」
那由多の発言に一二三が叫びながら彼女の肩を掴んだ。
「はい! 血は繋がっていませんが、一二三さんはナユのお姉ちゃんです」
「樹里ちゃん、やっぱり三人で暮らせないかな……?」
「……おい」
まさか一二三が妹というものに弱いとは予想外だった。
……一応私も妹なのだが。
「だって樹里ちゃんは絶対に私のことお姉ちゃんって呼んでくれないし」
「言うわけないだろ⁉」
そんな言葉、恥ずかしくて言うことはできない。
それに私は一二三のことを家族だとは思っているが、姉妹だとはあまり思っていない。
「……言ってくれないの?」
一二三が寂しがる子犬のようにこちらを見つめた。そして那由多は勝ち誇ったように笑みを浮かべている。
私は覚悟を決め、更にプライドや恥じらいを捨てて、その単語を口にした。
「お、おねえ、ちゃん……」
言葉を発した直後、私だけではなく一二三まで顔を真っ赤にして視線を逸らした。
こんなことを毎回言っていたら、恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだ。
「やっぱりやめよう! 今まで通りの方がいいよ!」
「そ、そうだな」
「……どうやらナユはお二人の惚気の当て馬にされちゃいましたね」
那由多が悲しそうに呟いたが、それに返事をする余裕は今の私たちにはなかった。
●
翌日、私は那由多を連れて茜の部屋を訪ねていた。
「えぇ、大丈夫ですよ。使っていない部屋もありますし」
「本当ですか⁉ ありがとうございます! ……なんか押し付けちゃったみたいですみません」
「気にしないでください。それに、昔から妹が欲しかったので」
そして茜は那由多に目線を合わせると「よろしくね」と言って笑った。
「一二三さん、ワガママを言ってすみませんでした」
「ナユちゃんは心配しなくていいんだよ。桐子さんに伝えたら、この方がナユちゃんのためになるって言ってたから」
那由多がもう一度私のことを『お姉ちゃん』と呼んでくれなかったことを残念に思いつつ、私は彼女に桐子に言われたことを伝えた。
「じゃあ、またすぐに会いに行くからね」
別れの言葉を告げて帰ろうとすると、那由多が私の服の袖を掴んだ。
「……また今夜、お会いしましょう」
怪しげな笑みを浮かべる那由多は、先程までの少女とは別の姿、まるで魔女のように見えた。
「そうだね」
実際那由多が島にいる間も、定期的に遊戯世界で会っていた。
あの世界も住人が一人増えて、随分と賑やかになった気がする。前の落ち着いた雰囲気の場所も好きだが、やはり今の方が更に好きだ。
樹里はどう思っているのだろう。私は帰ったら彼女にそれを聞くことにした。
……しかし、すぐに住人が一人減ることを、今の私はまだ知らない。