19話 エピローグ:side J
事件から一週間が経った。
私は一二三が大学へ行っている間に、駅近くの喫茶店を訪れていた。彼女は今日も講義をサボろうとしていたが、私が無理矢理行かせた。
……恐らくあの調子では四年での卒業は無理だろうな。そう心の中でぼやきながら、私は店内へ入った。
店員に待ち人の席を聞き、案内してもらう。すると今日は非番なのか、いつものコートではなくラフな格好をした中年男性がこちらに向かって軽く手を振った。
「いやぁ、わざわざすみませんねぇ」
「別に問題ない。それより、今日は浦崎一人なのか?」
「えぇ、見ての通り今日はただの一般市民の一人ですよ」
私はメニューを見ずに、アイスコーヒーを注文した。浦崎がパフェの写真が載っているメニュー表を指差していたが無視した。
「あの若い部下もいないんだな」
「岸部くんですか? 彼は今日もお仕事ですよ。私とは違って彼は若くて真面目ですからねぇ。いろんなところから引っ張りだこですよ」
「そうか、それで例のものは?」
早速本題に入ろうとすると、浦崎が「まあまあ」と言って一枚の写真を取り出した。そこに写っているのは、私の知っている人物だった。
「四条那由多、本名は六巳那由多でしたね。彼女は今うちで預かっています」
「何故お前らが? 事件が起きた屋敷はI県だぞ」
「あれ、御存知ないんですか? 樹里ちゃんたちって、警察組織内では結構な有名人なんですよ。だから貴女たちが活躍すると自動的に情報がこっちまで入ってくるんです」
悪い意味で有名なのは明らかだったが、それを敢えて聞くことはしなかった。
あれから一二三はずっと那由多のことを心配していた。このことを知らせれば、きっと喜ぶだろう。……なんだか少しだけ妬いてしまう。
だが、心配事が完全に解消されたわけではない。
「それで、その後はどうなるんだ。ずっとお前らが預かっているわけじゃないんだろ?」
「それがですね……、四条家の生存者は五木十矢だけなんですが、彼は事件の影響で入院していて。まぁ、どこかの施設に預けることになるんじゃないですかね」
「随分投げやりなんだな」
「いやぁ、そういうわけじゃないんですけどね。仕事柄、そういう子供はよく見ているので」
「……それもそうか」
流石に那由多のような存在を隠されていた子供は珍しいのだが、親が殺されたか逮捕されたかで身寄りを失ってしまう子供は何度も見ているのだろう。
もしかしたら、浦崎にとって那由多はよくあるケースの一つにすぎないのかもしれない。
小動物の子供を預かるのと人間の子供を預かるのでは話が全く違う。適当な人間が引き取るというわけにもいかず、やはり施設に預けるのが妥当なのだろうか。
「ただ、もしかしたら赤崎家の方に相談するかもしれませんね」
私の祖母で前赤崎家当主であるサチヱの夫は元は四条家の人間だ。つまり那由多は私たちの親戚ということになる。
「たしかに、あの島なら安全だろうしな」
億斗が最後に言っていことを思い出す。十矢の退院後に、その言葉通りのことが起きないと否定することは私にはできない。なら施設に預けるよりも、俯瞰島の屋敷に那由多を住まわせる方が彼女の身を守ることができるだろう。
「樹里ちゃんからも新太さんたちに言ってもらえると助かります。では……」
そう言って浦崎が鞄からUSBメモリを取り出し、私に手渡した。
「この中に樹里ちゃんが調査を依頼した男性たちの死因や日時をまとめたファイルが入っています」
「六巳百華が犯人という可能性はあるか?」
先日送られたメールには、百華が事件に関わっている可能性が高いと書かれていた。となれば、彼女が犯人である可能性もあるはずだ。
しかし、浦崎は首を横に振って否定した。
「流石にそこまではわかりません。ただ、いずれも現場近くで六巳百華の姿が目撃されています。これは明らかに不自然ですよね」
「それは同感だ。……だが事件性がないと処理されている以上、証拠がないんだな」
「察しが早くて助かります。六巳百華が事件に関わっているという物的証拠は何も出てきていません。それにもう一つ問題があって、これが今日私一人で来た理由にもなるんですが……」
ここまで言われれば、考えられる理由は一つしかない。
「上に犯人と内通している人間がいる可能性もあるということか」
「……えぇ、まあ。当時捜査していた刑事が六巳百華の目撃証言を上に報告したそうなのですが、上はそれを黙殺したようで」
「やはり、この事件はただの病気や事故ではなさそうだな」
「私もそう考えています。……今私がこの事件について調べているのを知っているのは、樹里ちゃんと岸部くんだけです」
私が事件を不審に思っているのは百華の存在だけが原因ではない。
宮森麗奈、私が先日会った女性だ。しかし彼女は既に死んでいる。そのことはまだ浦崎には伝えていない。
恐らくあの時の麗奈はハジメと同じような状態、つまりは偽物だったと考えるのが自然だ。だが、仮にそうだとしてもその理由が解らない。
あれから彼女にもう一度連絡しようとしたが、この番号はもう使われていないと機械音声が鳴るだけで、彼女と繋がることはなかった。
「ありがとう、助かった。……それに、悪かったな。面倒事に巻き込んでしまって」
私が素直にそう告げると、浦崎が意外そうな顔で私のことを見た。彼が失礼なことを考えているのは、脳を微塵も働かせることなく理解できた。
「……何が言いたい」
「あっ、いえ…すみません。樹里ちゃんに感謝される日が来るなんて思ってもなかったので」
「そういえば、今まで言ってなかったな」
なんて失礼な人間なのだろう。そう自身を罵倒する。
「一二三ちゃんのおかげですね」
「……あぁ、それは間違いない」
感情を表に出すことができるようになったのは、確実に一二三の功績だ。
私は彼女に謎解きも、謎を持ってくることも求めていない。それはただ彼女の存在を無いものとしてでも、ましてや邪魔なものとして扱っているわけではない。
……ただ一二三が隣にいて笑ってくれる。それだけで私の心は満たされていた。
謎がなくても、魂の腐食はとっくに治まっていたのだ。