16話 遺産と遺児②
「きっと億斗さんは、百華さん…母のことが好きだったんですよね?」
「……へ?」
那由多の言葉に、私は思わず間抜けな声を出してしまった。
「いや、流石にそれは……」
「いえ、ナユはあの家で見ましたから」
何故か自信たっぷりの様子で言う彼女の顔には今までの謎めいた少女はどこにもいなかった。まるで年相応の色恋沙汰に興味を持つ少女だ。
こんな状況でなければ微笑ましく思えるのだろうが、やはり今は場違い感があった。
「母の家には写真がありました。二人でいろんな場所に出かけている写真が」
「私が行った時はそんなものなかったな。……恐らく、既に処分したのか」
樹里がどうやって百華の家に入ったのかは気になったが、流石にここで横から口を挟むことはできなかった。
だから私は自然と昨日の昼のことを思い出していた。
億斗は百華に対してずっと親しげに話していたが百華はそれを無視し続けていた。きっと彼女からしたら既に終わった関係なのだろう。
だが、たとえ億斗が百華のことをまだ引きずっていたとしても、そのことと今回の事件に関係があるとは思えない。
それに、彼は百華のことを殺害したのだ。動機に彼女は関わっていないはずだ。
「だから、真っ先にナユの存在に気付いたんですね。二人には隠していたはずのナユに気づいた億斗さんは、手紙を送ったんです。母にはバレないように、当主の名前を使って」
「……なるほど、動機はそういうことか」
「どういうこと?」
那由多の存在が動機に関係しているのは私も考えた。しかし、それではやはり屋敷の人間を殺す理由にはならない。
……いや、一つだけ理由は考えられる。
だが本当にそうだとしたら、億斗はいつから事件の計画をしていたのだろうか。
「お前は那由多が虐待を受けていることに気づき、彼女のことを守ろうとしたんだな? だからこそ四条ハジメのフリをして、六巳百華の家から那由多を解放したんだ。……だが、その後トラブルが起きた。四条フミが亡くなったことだ。ハジメのように替え玉を使うこともできるがいつかはバレる、そうすれば同時に那由多の存在もバレてしまう」
ニセハジメは最初から処理する予定だった。つまり彼の存在はリスクではない。
しかし那由多は別だ。彼女にはそもそも戸籍すら存在していない可能性が高い。そう考えると彼女は本物のハジメの死以上に地雷とも言える存在だ。
「だからこそお前は今回の事件を計画した。恐らく千石晴彦も殺人自体には関わっていないが協力関係にあったんだろうな」
「……でも、ナユ以外の親族を殺すことで、ナユにどんなメリットがあるんですか?」
「一つは四条那由多の存在を知る人間がいなくなることだ。一二三が本当に屋敷へ来たことは予想外だっただろうが、那由多と話している姿を見て計画に加えることなく全てが終われば解放するつもりだった。……何か反論はあるか?」
「……ないよ。細かいことを言うなら、一二三ちゃんは昔から善人だったからね。勿論来たのは予想外だったけど、最初から殺すつもりなんてなかったよ」
億斗は那由多のために今回の殺人を起こした。だからこそ彼女以外の屋敷の人間は全員邪魔でしかなかったのだ。
恐らくハジメの容態が急変した時に病院へ連絡しなかったのも、那由多のことを気にしていたのが理由なのだろう。そして自身が吐いてしまった嘘がバレることも怖がっていたはずだ。
「それともう一つ、これは私の勝手な妄想だし証拠もない。……お前は那由多に遺産を渡して本当に消えるつもりだったんじゃないか?」
「……どうしてそう思ったのかな?」
「お前が計画を無事に終えた後のことを考えたら自然とそう思っただけだ。親族全員を殺せば遺産はお前の総取りになる。一度行方不明になるが犯人からなんとか逃げ出したフリをすればお前は表面上四条家唯一の生存者だ。だが那由多という存在の危険性が完全に解決したわけではない。それどころかお前はずっと那由多に疑われることになるだろうな」
私はあくまで部外者、そして那由多は存在しないことになっている。
ハジメの死も隠蔽することができ、晴れて億斗は四条家の次期当主になるだろう。どれほど残っているかはわからないが、遺産も彼の手に渡ることになる。
……いや、違う。ハジメの遺産は関係ない。そもそもハジメは遺産の存在を否定していた。それを数時間前に十矢が証言している。
つまり、屋敷で何かを探していたのは十矢と百華に遺産の存在を信じ込ませるためだ。
億斗にはFXで築いた財産がある。相続税も彼にとっては大した問題ではないはずだ。
「だが土地等の相続を終えれば、もうバレる心配はない。なら後は那由多に自身の財産を託して消える。……それがお前の本当の目的だと考えたんだ」
樹里が言い終えると、億斗が再び拍手した。
「概ね正解かな。いやぁ、一二三ちゃんだけならなんとかなると思ってたんだけどなぁ」
「姿を消して逃げ続けるつもりだったんですか?」
私の問いに億斗は首を横に振った。
「もう隠してもしょうがないし正直に言うけど……、実は俺もう長くないんだよね」
「長くない……、病気なんですか?」
億斗の手帳にはこまめに通院する予定が書かれていた。彼に持病があるのは確信していたが、まさかそれが死に至るものだとは欠片も想像していなかった。
「そうだね。だから死ぬ前に少しだけ那由多ちゃんのために何かできないかなって思って」
「ナユのため……? それでみんなを殺したんですか? 誰がいつそんなことを頼んだんですか⁉ ナユのことを騙して、母を人質にしたフリをして、ナユに母殺しの共犯者にしたんですか⁉」
那由多が涙を流しながら百華を殺した張本人に掴みかかる。
彼女は母親である百華から虐待を受けていた。きっと母のことを恨んでいただろう。しかし、抱いていた感情は怨嗟だけではないのかもしれない。
百華も娘のことを妬ましく思っていただけでなく、愛情を向けていたと信じたかった。だが、もうそれを知る術はない。死者は何も語らないのだから。
「俺がやらなくてもいつか事件は起きていた。きっと那由多ちゃんは百華か十矢に殺されただろうね。……だから、後悔はしてないよ」
そう言って椅子に座った。
「これで閉幕か。……退屈な謎だったな」
樹里はスマートフォンを取り出して、慣れた手付きで通報をした。
「スマホ、持ってきてたんだ……」
私は大きくため息を吐いた。
樹里が呼んだ警察が到着するまで那由多は泣き続け、私はそんな彼女に何もしてあげることができなかった。
……私は無力だ。今回の事件でそれを痛いほど感じてしまった。