16話 遺産と遺児①
扉が開き、行方不明になっていたはずの人物が姿を現す。その表情は笑っていて、犯人の下から逃げ出したというわけではないのがすぐに理解できた。
「……その通り、俺がみんなを殺した」
悪びれる素振りも見せず、八野億斗は笑いながら言った。
「お前はボイスレコーダー、そしてこれを使って密室から消える演出をしたんだ」
そう言って樹里がポケットから何かを取り出す。恐らく先程億斗の部屋を調べていた時に、机の引き出しから回収したものだ。
「まったく、芸がないな。次は少しくらい頭を捻らせるんだな」
樹里が持っていたのは接着剤。億斗は第一の事件で那由多がやったのと同じように、接着剤を塗って扉に鍵がかかっていると思い込ませたのだ。
私たちが誰もいない部屋で彼のことを呼んでいる間、彼自身は別の場所にいたということだ。
「第一の事件…は説明するまでもないな。六巳百華を別の場所で眠らせたお前は焼却炉に運び、そして火を点けた。後は事前に割った木の板と接着剤で偽りの密室を生み出したわけだ」
密室を作ったのは億斗ではなく那由多だ。しかし、二人は口を挟むことなく樹里の話を聞いていた。
当然私もそのことは樹里には言わなかった。もしかしたら、親を失った那由多と自身のことを重ねているのかもしれない。
「本来は第二の事件で八野億斗が消失し、今後の犯行をスムーズに行う予定だった。しかし、トラブルが起きた。……偽物の四条ハジメがお前が犯人であることに気づいてしまった。だからお前は本来もっと後で処理するはずだったハジメを先に殺したわけだ」
「……少し違うな」
億斗が残念そうに呟いた。
「あのジジイはただのバカだ。だから俺の犯行に気づいたんじゃなくて、ただ怖くなって逃げ出そうとしたんだ。俺との契約を破ってな」
「契約?」
「四条ハジメの代役として過ごしてもらう代わりに、あの人を屋敷で匿うってことですか?」
私の予想に、億斗が「正解」と返答した。
ニセハジメが何か後ろめたい過去を持つ人間であることは先程から考えていたが、どうやらそれも合っているようだ。
「あいつの本名は七戸令、指名手配中の詐欺師だ。正直一二三ちゃんや那由多ちゃんが逃げようとしたら放っておいたけど、あのジジイに逃げられたら警察に捕まるだろ? そんなことされたら代役のこともバレちまう」
「だから、殺したのか」
「そ、お嬢さんの予想通りあの橋から落としてね」
「お、俺が……」
十矢が呟く。
「俺が逃げようとしてたら、どうしてたんだ……?」
先程億斗は私と那由多が逃げようとしたら放置していたと言った。つまり私たちは彼の計画には入っていなかったのだ。
億斗はため息を吐き、怯える十矢のことをつまらなそうに見つめた。
「勿論殺してたよ。逆になんで自分は殺されないと思ってたわけ?」
「ど、どうして……」
「大人なんだから少しは自分で考えてよ。……ったく、あとはお前を殺してれば計画は終わってたのに。ある意味一二三ちゃんが今回のダークホースだったよ」
「最初から、屋敷の大人たちを殺すつもりで、私たちは関係なかったんですか?」
「そうだね、だって殺しても俺に得なんてないし」
つまり、大人たちは殺すことで億斗になんらかのメリットがあったということだ。
真っ先に思い浮かぶのは遺産だが、それでは第三の事件が説明できない。
「第三の事件、お前はハジメ……いや、既に死亡している七戸令を探すフリをして千石晴彦と合流した。そしてこのナイフで殺害したんだ」
「そう、そして解体した」
「ちょっと待って! そんなことしたら返り血が……」
あの時の億斗は濡れていたが、返り血なんて一切なかった。少なくとも七戸を探している時に犯行はできなかったはずだ。
「いや、いくらでも方法はある。着替えを事前に用意すれば返り血で服が汚れても問題ないし、そもそも全裸で行った可能性もある」
「なるほど、最初から何も着ないでやれば服を汚す心配もなかったんだね。返り血も雨で洗い流せるし。俺がやったのは前者、トンネル付近に前もって着替えを用意してたんだ」
……狂ってる。
何故平気でそんなことができるのか、私には理解できない。
今までも犯罪を犯してしまった人間を何人も見てきた。だが、一度たりとも犯人の心情を理解できた試しがない。
「そしてお前は胴体を適当な場所に捨て、タイミングを見計らって頭部を屋敷内に持ち込み第三の事件を一二三たちに見せつけたんだな」
「その通り。第四の事件のこともお嬢さんの言う通り、ボイスレコーダーと接着剤で演出した狂言だよ。本当は最後までジジイは抑止力として生かせとくつもりだったけど予定外のことが起きちゃったから、みんなが部屋を調べている間にスマートフォンの回収と電話線の切断をしたんだ」
「なんでそんなことを……」
自然と口から出ていた。
億斗は遺産問題から最も遠い人間だ。そして犯行の動機が遺産だとしても、千石を殺害した理由が説明できない。
「もしかして……」
那由多のことを見る。ハジメのフリをして彼女を屋敷に招いた人物は億斗だ。
億斗は私だけでなく那由多も殺すつもりはなかった。その言葉が正しいとしたら、やはり彼の動機は遺産ではない。
遺産ではないとすれば……。
「ナユちゃんのため?」
そう考えれば一番しっくりくる。
しかし、それでも腑に落ちない点があった。
「でも、どうしてナユちゃんのために屋敷の大人たちを殺す必要が?」
億斗は答えない。
「きっと……」
私の疑問に答えたのは、那由多だ。だが、彼女の答えは私が予想だにしていないものだった。
「きっと億斗さんは、百華さん…母のことが好きだったんですよね?」