12話 供物①
もうすぐ午後一時、私と那由多はハジメの部屋から自室に戻っていた。
しかし、いつまで経っても千石が来ない。本当ならもうとっくに昼食の準備をして私たちを呼びに来るはずなのだが……。
テレビから流れるワイドショーを那由多が退屈そうな目で見ていた。
「何かあったんでしょうか」
「……探しに行こうか」
大丈夫、犯人は千石を殺すはずがない。何故なら、犯人の動機が遺産ということは親族以外を殺すメリットがないからだ。だから、そんなことはあり得ない。
それなのに、この胸騒ぎは一体……。
私は那由多と一緒に広間へ向かった。しかし、そこに千石がいないどころか、昼食の用意も一切されていない。朝食を取った直後のままだ。
「いるとしたら厨房の方かもしれませんね」
「う、うん……」
広間を出て今度は厨房に走る。不安なせいか、心臓が爆音を鳴らし続けていた。
そして厨房に近づいた瞬間、異変を察知した。
「血ですね」
那由多が冷静に言う。
……厨房入口前の床に赤い液体が零れていた。
誰かが飲み物を零したわけではない。那由多の言葉通り、あれは誰かの血だ。
そして厨房の扉が半開きになっていた。まるで誰かに中の様子を見てもらいたいかのように。
私は恐る恐る室内を覗いた。
「な、なんで……」
あり得ない。
私はこの言葉の無意味さを理解した。
テーブルの上に、何かが置かれていた。それは目を大きく開き、そして表情は恐怖と苦痛で歪んでいた。
「ナユちゃん、みんなを呼んできて」
脳内で、またしてもあの予言が思い浮かんだ。
『一人は誰にも気づかれず、その肉体を失うでしょう』
たしかに予言通り、彼は私たちの知らない間に肉体を失ってしまった。だが、完全に消えたわけではなく……、まるで何かに捧げる供物のように、周りには飾りつけが施されていた。
「千石さん……」
私は扉を開け、一人で厨房に入った。
そしてテーブルの上に置かれた頭部だけになった遺体を見つめた。
千石晴彦、彼は何者かに殺され、そして首を切断されていた。
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ある意味、百華の時はまだマシだったのかもしれない。彼女の遺体は焼け焦げていて、人の形をした黒い塊となっていた。だからこそ、親族たちはそれと人の成れ果てが結びつかなかったのだろう。
しかし、今回は違う。胴体はないが……、いや、ないからこそ人の死というものを見せつけられている。
「あ、あぁ……」
「誰がこんなことを……」
億斗は取り乱しつつも、まだ冷静に思考を働かせている。だが、十矢はもう限界のようだ。情けない声を上げながら、その場に尻餅をついて頭を抱えた。
「みなさんが千石さんを最後に見たのはいつですか?」
那由多が今までと変わらない表情で訊く。
「私はおじいさまを探しに行った時かな」
「俺も同じく。十矢は?」
「嫌だ…助けて……」
「ダメだなこりゃ。まぁ、十矢も同じだと思うけど」
つまり、千石が殺されたのは私たちがハジメを探しに行った頃から昼までの数時間。また誰にでも犯行は可能だ。
手を合わせて死者の冥福を祈り、捜査を始める。
まず、今回の事件は第一の事件と違って現場の扉は閉ざされていなかった。これが昨晩私が密室のトリックを解き明かしたからなのか、ただ時間がなかったからなのか、それとも理由なんてないのか、それは犯人しか知らないだろう。
私は現場を眺めている那由多の顔を見た。
彼女は焼却炉の扉に接着剤を塗ったのは自分だと証言している。その証拠である接着剤も彼女の部屋にあった。
正直、千石殺しも彼女が怪しいと感じてしまう。しかしその証拠がない。
私は覚悟を決めて、千石の頭部を調べた。彼の薄い白髪は雨で濡れていた。
「ずっと外にいたんだし、そりゃずぶ濡れだよね」
ということは、やはり千石はハジメを探している最中に殺されたということになる。
その時私たちは分かれて行動していた。つまり全員にアリバイがない……。いや、一人だけ犯行が不可能な人間がいる。
「ナユちゃん、留守番している間に千石さんは帰ってきた?」
「いいえ、一二三さんたちが戻ってくるまでの間、誰も来ませんでしたよ」
那由多の服や身体は濡れていなかった。
仮に彼女のこの発言が嘘で、本当は屋敷に帰ってきた千石を彼女が殺したとしても、彼女の服や身体は雨と返り血で汚れるはずだ。それをシャワーで洗い流したとしても、やはり彼女の髪は濡れていただろう。
しかし、そんな痕跡は一切なかったのだ。つまり那由多に犯行は不可能ということになる。
……なら、犯人は十矢か億斗のどちらかだ。
二人のどちらかが、あの時ハジメを探すフリをして千石を殺害したのだ。
「これで首を切ったのか?」
億斗が床に落ちていたナイフを拾った。その刃は血で赤く染まっている。
「いや、流石にそんなナイフで首を切断なんてできませんよ。多分、切断はチェーンソーかノコギリみたいなものを使ったんだと思います」
「ならこれは?」
「……首を切る前に、千石さんの命をそれで奪ったんです」
千石の頭部は、切断された部分以外に外傷は見られない。恐らくナイフで胴体を刺して殺した後、犯人はわざわざ首を切断するという重労働をしたのだ。
億斗は「なるほど」と呟き、ナイフをテーブルの上に置いた。
「でもこんなことをしたら普通返り血とかが酷そうだよね」
「たしかに……」
捜索から帰ってきた時、誰も返り血なんて浴びていなかった。なら犯人はいつ、千石の殺害と切断を行ったのだろうか。
億斗が置いたナイフを見る。何の変哲もないただのナイフだ。しかし手に持って刃を見た瞬間、なんだか違和感を抱いた。その正体が解らないまま、モヤモヤとした気分でテーブルに戻した。
「うっ、うぅ……」
十矢からも話を聞きたいが、相変わらずうずくまって呻き声を上げている。こんな状況なのだから、こうなっても仕方がない。私や那由多が異常なのだ。
『最初に遺体を見た時の一二三さん、笑ってたじゃないですか』
再びその言葉を思い出し、自身の顔に触れた。
「大丈夫ですよ」
那由多がニヤリと笑いながら言った。……どうやら私の心は彼女に読まれていたようだ。
私は声に出さず、心の中でため息を吐いた。
……捜査を再開しよう。
すると、突然音楽が鳴り始めた。
陰鬱な曲調と共に、男女のコーラスが流れた。そしてその後、女性の悲しげな歌声が聞こえてきた。
「な、なんだよこれ⁉」
「……『暗い日曜日』ですね」