6話 強欲の罰①
目が覚める。
……覚めてしまった。
昨日起きたことは夢ではない。現実で本当に起きてしまったことだ。昨晩、殺人事件が起きた。そして私たちはこの島に閉じ込められている。
それを思い出すと、胃酸が逆流してくる。
必死に堪え、胃酸を飲み込む。喉が焼ける感覚がした。
「おはよう、一二三」
樹里は平然とした表情でまた本を読んでいた。
「……おはよう」
すると、ノック音がした。
「おはようございます、総一郎です。朝食の準備ができました」
「……行こ、樹里ちゃん」
何も考えずにドアノブに触れ、ゆっくりと扉を開ける。
「おはようございます」
「……失礼を承知ですが、迂闊すぎではないでしょうか?」
総一郎が困惑した表情で私のことを見る。
そういえば使用人である彼は犯人の第一候補なのだった。
だが、私は彼が犯人だとは思えない。勿論蔵之介もそうだ。……だが証拠なんてない。総一郎の言っていることが正しい。
「ま、いいいだろ。実際扉を開けて犯人に殺されなかったんだから」
「ですが……はぁ」
何か言いたそうにしていたが、ため息をついた後何も言わなかった。
……お腹は空いていないが、少しでも気分転換したい。
圏外で使えないが、いつもの癖でスマートフォンを持っていこうとした。……したのだが。
「あれっ? ない⁉」
「どうかしたのか?」
「スマホがどこにもない!」
スマートフォンが見当たらない。
昨日はずっとズボンのポケットに入れていた。しかし、昨晩寝る前に脱いだズボンにも入っていない。まさか、どこかで落としてしまったのだろうか。
「スマホ……あの画面がボロボロのやつか?」
「うっ……」
恥ずかしいからあまり見せないようにしていたのだが。どうやら樹里には船で見られていたらしい。
だが、どこに落としたのだろう。雨が降っているし、外で落としたとなると最悪だ。
……それよりも最悪な場所があった。しかも、そこに落とした可能性が高い気がする。私はあの場でかなり取り乱していた。そこでスマートフォンを落としたことに気づかなくてもおかしくない。
「もしかしたら、加奈子おばさんのところに……」
「そうか、なら朝食を食べたら現場にもう一度行くぞ。まだ調べたいこともあるしな」
「えぇ⁉」
もう一度あの部屋に……。そう思うと恐怖で震えが止まらなくなる。
「どうした。復讐してやるんじゃなかったのか?」
「そ、そうだけど……」
そうだ。だから止まるな。歩みを止めてはならない。
ここで止まったら、もう一歩も動けなくなる。動けなくなったら、真実にたどり着くことができない。
おばさんの仇を取りたいんだろ? なら逃げるな。
自身の心に喝をいれ、樹里の顔を見る。
会った時と変わらない彼女の表情。ただ、何も感じていないわけではない。悲しみを必死に隠しながら、犯人を見つけようとしている。今は昨晩の彼女の言葉を信じるしかなかった。
『ちっとも悲しくないんだ』
あの言葉が、ただ見栄を張っているだけだと願った。
●
食堂に入る。……やはり空気が重い。
「二人とも、無事だったんですね」
「まあ、カードキーは使えなくした上で桐子が持っているからね」
先に来ていた新太と桐子がこちらを見て言う。全員無事と言いたいところだが、栄一がいない。
「総一郎、栄一は?」
「栄一様は体調がすぐれないようで、ゲストハウスにて休まれております」
「……そうか」
「無事であることを確認していますので、ご安心ください」
「あぁ、わかっている」
無理もない。
妻を何者かに殺されたのだ。朝になったからといって、いつも通りに戻れるわけがない。
……多分、私と樹里が異常者なのだ。
席に座ると、総一郎が人数分のサンドイッチを運んできた。
「こんな状況でなければ、もっとしっかりしたものを作るのですが……。申し訳ありません」
「いや、ありがとう。こんな状況でも働いてくれる総一郎は私の誇りだよ」
そう言って新太は微笑む。しかし、その瞳は感情を少しも載せていなかった。
「美味しそう……」
「……ありがとうございます、一二三様」
普段コンビニのサンドイッチを食べている私からすると、目の前に置かれたサンドイッチは今まで食べてきたものとは比べものにならないほど、食欲をそそられる。
「いただきまぁ……え?」
私がサンドイッチを手に取ろうとすると、それを新太が制止した。
「な、なんですか……?」
「毒が入っているかもしれない」
そして私のサンドイッチが乗った皿を取り、総一郎に渡した。
「すまない、毒が入っていないことを証明してほしい」
「えぇ、勿論最初から毒味役はするつもりでした」
……誇りだって言っていたのに。結局疑っている。
いや、新太を責めることなんてできない。なぜなら、私だってここにいる全員を疑っているのだから。
使用人の二人は犯人ではないと思う。だが、それは彼らを信じているというわけではない。心のどこかで、もしかしたらと疑っているのだ。
それを無理矢理考えないようにする。せめて、朝食の間だけでも平穏に過ごしたい。
私はこっそりと総一郎の前に置かれた皿を自分の方へ運んだ。
「……そんなに食べたかったのか?」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
そんな私たちを横目に、総一郎がサンドイッチを口にした。そして無音で咀嚼し、飲みこんだ。
この場にいる全員が彼の様子を観察するが、特に何も起こらない。
「大丈夫…なんでしょうか……」
「……どうやら、そうみたいだね」
桐子が胸をなでおろす。
「皆様もどうぞお召し上がりください」
「その前にもう一つ」
今度こそ食べようとすると、新太が周りを見ながら言った。
「……ヤスはどこに?」
「それが、部屋からまったく出ようとしなくて……」
蔵之介もきっと昨晩のことでかなりまいっているのだろう。
「部屋には鍵がかかっていて返事もなく……。朝食には来ると思ったのですが」
「まさか、何かあったんじゃ……」
桐子が呟く。
部屋に鍵がかかっていて蔵之介が中にいるのなら、彼は確実に無事のはずだ。カードキーが使えなくなった以上、金庫に保管されたマスターキーは誰にも使うことができない。
しかし、もしそれが嘘でマスターキーかカードキーがもう一つあったとしたら……。
「い、行こう!」
私は自然と立ち上がり、樹里の手を握った。
「そうだな。私たちの目で安全を確かめたい」
食堂を出て、一階の端にある蔵之介の部屋を目指す。
その途中、シアタールームの扉が少しだけ開いていた。それが気になった中を見る。……そして見てしまった。
「えっ……?」
「どうかしたか?」
樹里が訊いてきたので、私は室内を指差した。
彼女は私の指が示す先を見て、あれの存在に気づいた。それでも顔色一つ変えない。
「……なるほどな」
そして新太と桐子もこちらへ来た。
立ち止まっている私たちを不審に思ったのか、二人もシアタールームの中を見た。そして……。
「きゃああああああああああぁぁぁ‼」
「そんな……」
「これで、二人目だな」
樹里が冷静に言う。……どうして彼女は平気なのだろうか。こんな狂った状況を目の前にして。
安井蔵之介。長年赤崎家に仕えていた使用人。それと同時に加奈子おばさんの同級生だった。頼りないところはあったが、それでもこんな目に会っていい人物ではないはずだ。
樹里が扉を全開にする。室内の惨状が露わになった。
壁に飛び散った血。犯人と争った際にぶつかったのか、横倒しになっている映写機。そして、そのすぐ隣で首を押さえながら倒れている蔵之介。その顔はk痛の表情で入口の方を見つめている。
目を大きく開いているが、ガラス玉のような眼球は一切動かない。そして彼の首からは……、大量の血が流れた跡があった。
二人目の犠牲者……。島にいるのはあと六人。いつまでこんなことが続くのだろう……。