1話 プロローグ:帰郷
バスを降りる。ここで降りるのは私一人だけだ。
駅に着いた時は小雨だった空も、今は本降りになっていた。私は駅前のコンビニで買った透明なビニール傘をさして、屋敷までの道を歩き始めた。
ここはI県の山に囲まれた田舎町。来るのは十数年ぶりだが、町の様子は幼い頃の記憶と何一つ変化していなかった。
いつもなら私の隣を歩く白色の少女の手を握っている私の右手も、私一人だけならその役目を果たすことができない。なんとなく手持ち無沙汰になった右手をパーカーのポケット内に入れた。
私の名前は四条一二三。普通の女子大生……だったのは数ヶ月前の話だ。今は探偵の助手をしている。
今日私が一人で行動しているのは、その探偵の仕事の手伝いというわけではない。
先週、身体の弱かった父に代わって幼い私を育てていた四条家の人間が亡くなった。四条フミ、現当主の四条一の妻だ。
フミと私はあまり仲が良かったとは言えない。そもそも私は彼女の孫娘ではないのだから、きっと彼女はほぼ他人である私を気味悪がっていたことだろう。
仲が悪かったとはいえ、祖母代わりをしてくれた大切な人間だ。彼女の死を弔うために、私は十数年ぶりに屋敷を訪ねようとしていた。
「……この道、こんなに長かったっけ?」
成長して自身の行動範囲が広まり、以前は長いと思っていた道も短く感じるようになることはよくある。しかし今回はその逆だ。
最後にこの道を歩いたのは十数年前、記憶から薄れていき実際よりも短い道だと錯覚していたのだろう。
結局、バス停から屋敷にたどり着くまで、数十分も歩くことになった。
●
「すみませーん!」
大きな門の前で大声を出す。インターホンなんてものは、この屋敷には存在しない。
勝手に入っていいものかと考えていると、門がゆっくりと開いた。
「……おひさしぶりです。一二三お嬢様」
「えぇと……、もしかして千石さん⁉」
燕尾服を着た白髪の老人が深々と頭を下げる。千石晴彦、四条家に長年仕えている使用人だ。勿論幼い私も彼の世話になったことがある。
「よかったぁ、勝手に入っていいか迷ってたところで……」
「お昼頃に到着するとおっしゃっていたので」
バスが到着する時間は限られている。私が到着するタイミングを予想するのは容易だっただろう。
「しかし、あんなに小さかったお嬢様が……」
「千石さんは老けちゃったなぁ」
年月の残酷さを痛感しながら、門を通る。門から屋敷までの道のりには美しい庭園が広がっていた……はずなのだが、私は言葉を失った。
色とりどりの花を咲かせていた場所には、無惨な姿になった家具やゴミ袋が捨てられていた。
「ハジメおじいさまは何も言わないの? これ……」
ハジメの趣味は植物をいじることだ。その腕前は専門の庭師を雇う必要がないほどで、彼が作る庭園を見るのが幼い私の楽しみの一つだった。
「えぇ、まぁ……」
気まずそうに千石が頭を掻いた。
彼もこの庭園のファンだったはずだ。それなのにこの惨状を見過ごしているのが、どうにも腑に落ちない。
「当主様ももうご老体で、身体を動かす余裕がないご様子で……」
「まあ、それもそうなのかな」
確かにそう考えると仕方ないと思うのだが、ならわざわざここに様々なものを捨てる理由がわからない。まるで屋敷で何かを探すために邪魔なものを処分しているように見えた。
玄関の扉を開け、屋敷に足を踏み入れる。廊下にも家具が所狭しと並べられていた。
これも千石に聞いたところで納得できる答えは返ってこないだろう。
ボロボロの家具を横目に、千石の案内で広間に向かう。
襖を開けると、既に私以外の親族が揃っていて視線が私に集まった。男性が二人に女性が一人、三人とも年月を感じさせる老け方をしていた。
「おぉ、久しぶりだな。一二三」
禿げ頭の男が紫煙を吐き出しながら微笑んだ。そして指に挟んでいたタバコを灰皿に押し付けた。
彼が、……四条一? 私は何故かそのことに疑問を持ってしまう。
「だ、誰……?」
思わず口に出してしまった。
それほどまでに、目の前にいる老人がハジメとは別人に思えた。
「あっ、すみません! おひさしぶりです、ハジメおじいさま」
ピリピリとした親族の雰囲気を感じ取った私は咄嗟に謝罪をした。しかし男の一人が声を荒げながら立ち上がった。
「当主様になんてことを言うんだッ‼ もっと深々と頭を下げろ!」
「えっ、えぇ⁉」
大の大人が癇癪を起したのかと思いきや、男の発言に周りの親族たちも「そうだそうだ」と大声で私のことを非難し始めた。
あまりにも異常な状況のせいで、どんな罵詈雑言を浴びせられても実感があまり湧かない。困惑している私をよそ目に親族たちは更にヒートアップしていく。
「これ、私が悪いのかな……?」
「一二三お嬢様、親族の皆様を落ち着かせるためにも……お願いします」
「は、はぁ……」
『×××××‼』
「……わかりました」
文字にすればどこかの人権団体に怒られてしまうような単語を躊躇なく叫び続ける親族たちを見て、私の心は逆に冷静になった。……ここは私が大人にならねば。
「……申し訳ありません。私が失礼な言動をしてしまい……。お許しください。と、当主様……」
深々と頭を下げるが、親族たちはそれでも罵倒をやめようとしない。その様子は狂気的としか言いようがない。
「まあまあ、十数年ぶりで私の顔を忘れていても仕方がないだろう。お前らも頭を冷やして落ち着きなさい」
ハジメの言葉によって、私を非難する騒ぎは一旦治まった。親族たちはそれでも不満そうな表情で、それぞれ座布団の上に座りなおした。
「当主様がそう言うのでしたら……」
「一二三、お前もそこに座りなさい。ひさしぶりに会ったんだ。私に東京にいた時の話を聞かせてくれ」
「わ、わかりました……」
正直、肉体的にも精神的にも疲れていて、早く今晩泊まる部屋に行きたかったのだが、ここでまた否定的なことを言えば今度はどんなことを言われるかわからない。私は渋々腰を下ろし、語り始めた。
父との生活が終わるまでの平凡な日常。思えば父が死んでからまだ一年も経っていない。勿論父との暮らしも十分幸せだったのだが、やはりあの夏の日から私の生活は一変した。
私が愛している小さな探偵、赤崎樹里のことは彼らに話さなかった。なんだか彼らに話せば彼女との生活を汚されるような気がして。
……樹里は今何をしているんだろう。
ふと窓から外を見ると、先程より雨が強まっていた。