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「あのね、今回のウイルスはパンデミックを起こしたけど、毒性が低いの」

「そんなの誰も言ってなかったけどね」

「私の大学の、感染症の先生はテレビに出演して、そのことを言ったけど、全部、編集でカットされたって言ってた。一回、生放送で言ったら、それ以降、出演依頼はなくなった」


 事実かどうかは別にして、まあ良くある話だと思った。情報は取捨選択される。報道の内容は片寄る。今の時代ほど、メディア・リテラシーが必要な時代はないって、昔、大学の先生が言ってたっけ。

 でも、なんでマスコミはそんな事するんだ?

 フィア・アピールか?

 人間は恐怖を感じた時に購買欲が上がる。視聴率も上がる。

 言ったの誰だっけ?

 ヒトラーか……、マイケル・ムーアか……、まあ、いい、忘れた。


「2002年のSARSの致死率は、9.6%くらい、2012年からのMERSは、34%、今回の新型コロナは、今のところ、5%くらい」

「低いんだね、比較すればの話だけど」

「一番重要なのは、そこじゃないわ」

「何なのさ」


 彼女は僕に指を向けて、「サイトカインストームよ」と言った。


「サイトカインストーム?」

「感染症の時に免疫系が暴走するの。SARSやMERSだとこれを引き起こすから、若者が多臓器不全を引き起こして重症化した。今回のコロナはそれが、ほとんどない。海外でも数える程度。だから、死者が高齢者に片寄っているの」

「そうなんだ」

「交叉耐性って知ってる?」


 一瞬、僕は目を泳がせた。


「え、えっと、たしか、薬を飲んでいると、だんだんその薬が効かなくなってくるだけじゃなくて、似たような薬を飲んでも効かなくなる事だっけ?」

「はい、よくできました」


 彼女は、まるで先生のように言った。


「それは感染症でも起きるの。ある感染症にかかって、その抗体を持つと、それと似た別の感染症にもかかりにくくなる」

「ははあ、分かって来たぞ」

「COVID-19は、少なくてもアジア人にとっては弱毒性だった。でも、次は分からない。もし、今回と同じ感染力を持っていて、サイトカインストームを引き起こす、強毒性の感染症が、いつ来るか分からない。10年後かもしれないし、半年後かもしれない。その時は、今回とは比べ物にならないくらい、悲惨な状況になるわ」

「今回、この弱いコロナに感染して抗体を持っておけば、次のリスクを減らせるんだね」


 彼女は「可能性があるって意味でね」と答えた。


「どう? あなたも感染したい?」

「え、いや、僕はワクチンが出来るのを待つよ。別に、今わざわざ無理して感染しなくてもいいよね」

「どうして?」

「嫌じゃないか、ウイルスが自分の身体に入るなんて」

「意外ね、あなたゾンビ好きだったでしょ、昔、狂犬病の考察までしちゃったりして」


 一昨年の黒歴史だ。

 あの時は、彼女に散々な目にあわされた。もっとも、彼女も被害を受けた。唇を僕に噛まれ、その痕は今でも、うっすらと残っている。*1


 狂犬病は毎年、5万人が亡くなっている。致死率は100%。発症したら、ほぼ必ず死ぬ。怖いのは致死率だけじゃない。ウイルスによって精神が変化させられるのだ。感染者は、水を怖がるようになり、凶暴性が増す。


 似たようなものにトキソプラズマがある。こいつは猫の腸内で繁殖する。糞として外部に出たトキソプラズマは、ネズミに食べられると、ネズミの神経系を犯し、恐怖心を無くしてしまう。結果、ネズミは猫に食べられやすくなり、再び、猫の体内で繁殖することで、子孫を増やす。


 ゾンビ系の知識なら、彼女にだって負けやしない。


「お断りだね。何があるか分からないし」

「善玉のウイルスだってあるんじゃない?」

「例えば?」


 彼女は「うーん」と考えてから、「そうね、セネカヴァレーウイルスはどう?」と可愛らしく言った。


 セネカヴァレーウイルス。

 内分泌系や神経のがん細胞を標的に攻撃する。がん細胞中で増殖し、破壊した後、別のがん細胞を探す。正常な細胞は傷つけない。

 こいつは、いいヤツだ。


「ひとりの人間の細胞って37兆個くらいよね。でも、それは全体の、たったの10%」


 知ってる。

 人間の身体は、人間の細胞からだけで出来ているのではない。ほとんどが細菌だ。300兆個を超える細菌が、僕たちの身体を構成している。病原性のあるものは、数える程度だ。


「遺伝情報を見ると、ひとりの人間に含まれる遺伝情報の中で、人間に属するものは、たった0.1%」


 昔は、ただ可愛かった彼女が、今は思い出したくない科学的事実を、ずけずけと言ってくる。


 僕たちは、自分が人間だと思い込んでいる、一つの生態系なのだ。


 数えきれないほど、たくさんの細菌やウイルスのバランスの上に、僕らの肉体は生存を許されている。


「お客さま、申し訳ありません」


 喫茶店の店長らしき人が、後ろから声をかけた。僕たちは、そろって振り返った。



*1:『ホラー嫌いの彼女に、ゾンビ映画のすばらしさを語ってみた……』

( https://ncode.syosetu.com/n1223ew/ )

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