6.お嬢様、煽られる
「ごきげんよう」
学校内で雪代が、にこやかな挨拶をし、通り過ぎる。
穏やかな微笑み、凛とした態度。
栗色の髪が優雅にたなびく後ろ姿。歩く姿は百合のなんとやら。
皆、その美しさを目で追っていく。俺も以前はそうだった。
だが、俺は知ってしまった。あれはかりそめの姿だと――
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雪代の部屋
今日も今日とて、雪代のゲームに付き合う。
もうほとんど教えることは無いのだが、本人曰く、俺は必要らしい。
――ババスバスバスッ
彼女の前に居た、敵ががっくりと膝を落とし、倒れた。
それを見て、雪代はにこやかに最後の挨拶をささげる。
「――ごきげんよう!ふははは!わたくしと正面切って撃ち合おうなど、お砂糖よりも甘くてよ!思慮に欠ける行動ですわよ!」
狂気に満ちた微笑み、傲慢な態度。
栗色の髪を優雅にかき上げるその姿。学校での慎み深い態度は見る影もない。
「可哀そうに……目の前に立ったのがこのわたくしでなければ……己の不幸を嘆くことですね」
画面を真っ赤にしながら、彼女は激闘の末に倒した相手へ、憐れみの目を向ける。
「ギリギリだったんだけどな……」
俺の言葉には耳を貸さず、高笑いをしながら死体から物資を漁る。
彼女が操作するキャラクターは体力がほとんどなくなっていた。正直、勝てたのは運の部分が大きい。
だが、彼女は――成長している。
画面の端には2KILLと表示されていた。
そう、彼女は今回2人倒すことに成功しているのだ。
本日3回目の挑戦。
戦闘狂のきらいがあるが、その甲斐もあって銃撃戦の経験を積み、立ち回りが上達してきている。
負けた悔しさをバネにして、めきめきと力をつけていたのだ。
「うまくなってきたなぁ」
「そうでしょう!そうでしょう!敗北すら己の糧へと変えてしまうのが、わたくしです!負け続けて強くなる、ある意味、無敗とも言えますわね」
「謎理論で偉そうにしてないで、回復、回復」
「そ、そうでしたわね!」
装備から今しがた、敵から奪った包帯を決定する。
キャラクターがグルグルと腕に包帯を巻くモーションを行い、体力が徐々に回復。
それに伴って画面の赤みを消えていく。
「さてさて、次の獲物はどこに隠れていらして?」
回復完了。
スクっと立ち上がった瞬間――彼女のキャラクターの顔面に何かが当たり、もんどり打って倒れる。
……回復で油断したところをヘッドショットされたようだ。
「――ふぎゅぎぎぎぎぎい」
調子に乗るから……
言葉にならない悲鳴を必死にかみ殺して、彼女は身体を上下に揺する。これまた、すごい顔。
またもや彼女の挑戦は終了してしまった。
「ま、まーた、こそこそと遠い所から……回復を待ってから、絶望に叩き落とすとは……人の心がない悪鬼共め……」
淀んだどすくろいオーラを漂わせつつも、挑戦は続く。
なんだか、ころころと変わる彼女の表情を見ているのが楽しくなってきた。
そして、本日4回目の挑戦で――事件が起こる。
市街地へと着地し、順調に装備を回収している彼女の前にそれは突然、現れた。
「……?なんですのあれ」
彼女が訝しげにに見つめる先。小さいマンションの屋上。
そこには一人のプレイヤーがこちらを見て、ピョンピョンと飛び跳ねているのが見えた。
「――無視した方がいい」
俺はそうアドバイスする。だが、彼女はその不思議な動きに引っかかるものを感じてしまった。
雪代の手にはアサルトライフルが握られており、十分狙える位置に相手はいるのだ。彼女には理解に苦しむ行動だろう。
左右に高速に動いて、相手はさらにアピールする。
「……このわたくしに撃たれたいのかしら……?」
その言葉には若干のいら立ちが見える。
まずいな。
相手のもくろみに引っかかっているぞ……
「雪代。相手にしても無駄だから放っておこう」
だが、術中にはまっている彼女に俺の声は届かない。
彼女は標準を――頭を振って踊る相手プレイヤーに合わせる――
「このわたくしから発せられるオーラに、戦わずして負けを認めた訳ですね。よろしくてよ。介錯して差し上げます!」
引き金を引き――銃声がこだまする。
だが、命中はしない。ちょうどよく相手が当たらない位置へと頭を隠したのだ。
そして、ひょっこりと顔を出すと――またダンスを開始。
「はあん?」
ビキビキという血管が蠢き立つ音が聞こえてきた――気がする。
この動きは間違いない。
――相手は彼女を煽っている。
彼女を馬鹿にする挑発行為。
勝利を目指す中でわざと攻撃を誘ったりするこの行為は、全くの無意味――むしろ不利益になる行動だが、
時として、それを楽しむユーザーも少なからず存在するのだ。
雪代を怒らせることだけに今、相手は全力を注いでいる。
彼女のコントローラーを持つ手が、ぷるぷると震えている。
初めて見る挑発行為。それは負けず嫌いな彼女にとって、驚くほど効果的だ。
「ふー……わたくしも……まだまだ……ふー……ですわね……一撃で……楽にして差し上げれないとは……」
もう一度、撃つ。
だが、当たらない。相手はさらにジャンプしながら左右に激しく動く。
その動きには明らかに『下手くそ』の意味が込められている。
「ふふ……」
その動きに、雪代は怒りが溢れて笑みをこぼす。いつものように、目が据わっていく。
「うふふ。うふふふ」
「落ち着こう。ね?雪代」
彼女はまっすぐと相手がいるマンションへと進んでいく。
直接、ヤリに行く気だ。
悲しいかな。それは相手の思うつぼ。
「少し、おいたが過ぎましたね……このわたくしが直々に、礼儀作法というものを、その脳みそに叩きこんであげましょう」
階段を駆け上る。すぐにでも引き金を引きたくてうずうずしている。
慎重という言葉はもう彼女の辞書から破り捨てられていた。
勢いよく屋上のドアを開けて――
「死ねよや!!」
お嬢様が口にしてはいけない言葉、上位ランクを叫びながらアサルトライフルを撃ちまくる。
しかし、襲撃を予測していた相手は匍匐態勢で待ち構えており、怒れる銃弾の雨をかいくぐった。
――雪代もただでは終わらない。
相手が伏せているのが分かると、引き金を引いたまま、フルオート連射で相手に標準を合わせていく。
その動きを読んだように、相手は横転を繰り返して位置をずらす。
上手い。
一瞬の判断では相手の方が上手だった。
そのまま雪代の頭に狙いを定めて、相手がアサルトライフルで反撃。
回避行動をすっかり忘れていた彼女はそれをもろに浴びて、倒れた。
相手に一太刀すら与えられぬまま。
「……」
雪代は口を開けたまま、硬直している。目が真っ白だ。
たぶん、その口から魂が抜け出ているっぽい。
死んだプレイヤーキャラを俯瞰で移す画面で、相手がまた高速でダンスを開始すると――。
トドメの一撃を放った。
「ざっこ笑笑。うわっざっこ笑笑。草生えるわ」
若い男の声。ゲラゲラと笑っている。
ボイスチャットでの勝ち煽り。さすがにこれはやり過ぎだ。
その憎たらしい男の声に雪代がピクリと反応する。
ここまでの煽りは、善良なプレイヤー誰でも不快に感じるだろう。ことさら、自尊心が東京タワーよりも高い彼女であれば、耐えられるはずがない。
――彼女の中で、決定的な『何か』が切れる音が聞こえた。
「山岡」
「ここに」
彼女が呼ぶと音もなく、執事の山岡さんが現れる。
突然の事に、俺は身体を跳ねらせてびっくりした。
どっから出てきたんだ。忍者か。
雪代がかしずく執事に向けて、指を鳴らし外を指さす。
「……このToshiki0417mutekiというIDを今すぐ調べて――」
「すとーーーっぷ!」
俺はすぐさま雪代を取り押さえる。
IDから住所でも特定しようというのだろうか。
彼女がやろうとしている事は、さすがに不味すぎる!
「憎しみに支配されてはダメだ!雪代!お嬢様でしょう!そこまで堕ちちゃダメだ!!」
「やだーーーーー!!こいつぜったいゆるさないーーーーーーー!!!」
半べそで暴れる彼女が怒りを収めるには相当の時間がかかった。
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「雪代はちょっと怒り過ぎ。冷静になれって何度も言ってるでしょう」
なんで俺が先生みたいにお説教してるんだろう。
しゅんとして、正座で反省している彼女を見て思った。
「で、ですが、あれはあやつが悪いのです。いじめてきたのはあやつの方です」
いまだ潤んだ瞳でタイトルに戻ったテレビモニターを指さし、子供のように抗議する。
「まあ、確かにさっきのは悪質プレイヤーだったけど。猪突猛進ガール過ぎるとこがあるんだよ。雪代には」
「それは、わたくしも……承知しております……」
また、肩を小さくしてしょげる。
「一人で突っ込んでも返り討ちにあうだけだからさ。もっとリスクマネジメントも考えて立ち回らないと」
「一人……」
彼女はその言葉に何かを感じたらしい。そして、妙案を思いついたと手をポンと叩く。
「でしたら、修吾がわたくしのサポートをしてくださいまし!そうです。一人でダメなら二人でやればいいのです!」
「え?」
「わたくしもはいぱーばとるぐらうんどには随分と慣れてきました。であれば、このデュオモードで直接サポートしてもらえば勝利も見えてくるのではないでしょうか!?」
その手があったと言わんばかりに顔を輝かせる。
たしかに、二人でプレイすれば片方が倒されても、助けに行けるというメリットがあるので生存率も上がるだろう。
猪突猛進な彼女のサポートは大変そうだが、逆に言えば囮になるとも言えなくもない。
俺としても見てるだけではなく、ゲームに参加できるのはありがたい話だ。
しかし。
「どうでしょう!?修也。わたくしと一緒にプレイしてくださいまし!」
満面の笑みを浮かべる彼女を見る。
――まさか、女の子と一緒にプレイする機会が来るなんてなぁ。
女子と一緒にワイワイキャッキャッと同じゲームをするのはゲーオタ男子の夢の一つだろう。
それが、突然叶う日がやってくるとは。
しかも、お相手は超絶可愛いお嬢様だ。――プレイ中は見せてはいけない顔を時々してしまうけど、それでもめちゃくちゃ可愛いあの雪代だ。
思わず、心臓の鼓動が速くなる。
「あ、ああ。い、いいよ」
緊張でどもりながら俺が答えると、雪代はあどけない少女のように飛び跳ねて喜ぶ。
「やった!修吾と二人でプレイなんて、わたくし夢でしたの!」
「夢……?」
「あ、いえ。直接サポートしていただけるなんて光栄ですわ……こほん」
咳払いして、彼女は冷静を装う。彼女も一緒にプレイしたかったようで……まあ、いいか。
とりあえず、二人でプレイするなら下準備が必要になる。
「じゃあ、ID教えるから、登録しといてよ」
「……?」
彼女は何を言っているのかという表情を見せる。
ゲームはだいぶ慣れたけど、オンラインで友達とやる方法はまだ知らないといったところか。
「えっと、家から雪代のゲームに参加するのに、IDを知っておく必要があるのね。俺のを教えるから登録しておいて欲しいんだ」
まだ、きょとんとしたままだ。
もっとわかりやすい説明がいるのかな。
要領を絞って説明しようとすると、彼女がきょとんとした表情のまま呟いた。
「ここで一緒にプレイすればいいのでは?」
「いや、プレイホーム125は一台しかないし……」
「それなら、もう一台用意しればいいだけでは?」
まじか。お嬢様。
「明日までにすべて、準備を整えておきますわ。ですから、明日、わたくしと一緒にゲームをしてくださいまし」
雪代は何の問題もないと、威張って見せる。
足りないなら買えばいい。さすがはお金持ちの発想だ。
スケールの違いへの驚きと、雪代と肩を並べてゲームをするというときめきを胸に秘めつつ――
俺は、わかりました。と、降参に似た返事を返した。