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最低な恋

作者: ゆきと

2018/10/25

悪夢で目が覚めた。

僕がありさに犯した罪の話だ。

僕らは若かった。それが罪だとは思っていなかった。ひと時の快楽に酔いしれた。

蜜の味は、本当は致死性の毒だった。僕らの関係は完全に破綻した。

でもそれだけ。僕ら二人の物語は途切れてしまったけれど、無情にも時は流れて、僕らそれぞれの物語の一章が終わっただけ。

けれど、読んだ小説の内容がフラッシュバックするように、いや、それ以上の鮮度をもって、その一章は頭に浮かんでくる。


そのたびもう僕は一生許されることはないんだと、気づかされる。


――それでも償うための行動なんか起こしてないし、反対に自分の物語を終わらせることもできないから、今日もダラダラと過ごす。


これから書くのは、そんな罪の話なんだ


2017/12/15

「――――嘘、だろ……?」


医師に告げられたその言葉は、まだ20歳の僕には衝撃的なものだった。

真っ先に出てきた感情はやってしまったという後悔。ありさへの懺悔ですらなかった。


「言ったら、そばにいてくれなくなると思って」


ありさの言葉はか細く、普段の勝気な態度は完全になりを潜めていた。

ごめん、それだけ言って僕は診察室を飛び出した。最低だ。


もうすっかり気温も下がって、17時には日が暮れる12月。外の風は僕には冷たく厳しかった。


そういえば、ありさに告白されたのはちょうど去年の今頃だった。昼に代々木公園のベンチで噴水や家族連れを見ながら弁当を食べたっけ。僕のために作ってくれた弁当というそれだけで三ツ星レストランにも勝っていた。弁当の後は原宿で服を見て回った。お互いに服を見るのは趣味だったから話は弾んだ。夜は渋谷でイルミネーション、青の洞窟を見た。


――――ああ、だめだ。今こんな幸せだった時を思い出してしまうのはだめ。

――――まるでもう僕らはおしまいみたいじゃないか。


いや、実際にはまさにその通りだった。完全におしまいだ。


――――まだ高校卒業すらしていないありさを妊娠させてしまったんだから。


しかもありさは妊娠に気づいていながら僕には内緒にしていた。そうこうしているうちに12週以上経過してしまった。お腹のふくらみこそ分からないものの、そこには確かに命があり、これから中絶する場合は死産という形で書類を作らないといけないとのことだった。


病院に面した並木通りを歩くと、青色のイルミネーションがかかっていた。

そうか、今年も青の洞窟やってるんだっけ。

するとありさの愛おしい顔が次々と頭をよぎっては消え、よぎっては消え、最後には診察室で泣きはらした目をしたありさの顔が、よぎって……消えなかった。貼りついたままだ。


――病院に戻らなきゃ。そしてせめて謝らないと。


赤十字病院に戻る足取りはとても重くなった。両足に赤ちゃんが乗っかってるんじゃないかって、本気でそう思った。




今日から数日入院するとのことで、病院の配慮もあってか、ありさには広い個室が与えられていた。ただスライドさせるだけなのに、このドアが開かなければなんて意味もないことを考えていた。どこまでも自分勝手な僕だ。

ほとほと嫌気がさす。


「そんなとこにいないで中入ってきてよ」


ありさには全てお見通しだったみたいだ。僕はドアを開けてありさのベッドへ向かった。ありさの顔は、もういつも通りだった。泣いたあとは消え、それどころかメイク直しまでしていた。


「私の心配、した?」


「あ、あたりまえだよ」

「うそ。わかりやすいよヒロ君。慰謝料とかさ、自分の大学生活とかさ、はたまた条例違反だとか、そういうことばっかり。そんな顔してる」

「そんなことない! ありさのこと考えて僕は……」

「考えてたなら、そもそもゴムつけるでしょ。」


ありさはぴしゃりと言い放った。


「私が何も言わなかったって言い訳するのはいいよ。正しいもんねそれは。私がなんで何も言わなかったか分かる?」


なにも言えなかった。というより答えが分からなかった。


「怖かったの。私がゴムつけてってお願いして、フラれたらって考えると怖かったの。私、ヒロ君に嫌われたくなかった。ヒロ君が裏で二股してることだって知ってた。私のこと一番じゃないって知ってた。だからこそ断れなかった。しかもね、同時に思ったの。妊娠したらヒロ君は私の事で頭を悩ませるって。少なくともその時は私のことだけ考えてくれる。そんな馬鹿な事思ったの。私がよ? 信じられない!」


何も言い返す言葉がなかった。ただうなだれるしかなった。全部ばれてて、ありさにこんなに思いつめさせてしまったんだと、自責の念でいっぱいになった。


「ねえ、責任取ってよ。私のことめちゃくちゃにしたのはヒロ君でしょ。なのに私を癒してくれるのもヒロ君しかいないんだよ……。私は……私、もうどうすればいいの? ねえ、なんとか言ってよ!」


めちゃくちゃだ。僕が自分を守ることしか考えていない、自分の快楽を追求する事しか考えていないクズだって分かったうえでこんなことを言いだすありさがもう理解不能で、僕は正直何も考えられない状態だった。


「――赤ちゃん、産むの?」


 口に出たのはそれだけ。結局はこれも保身のための質問だった。


「当たり前でしょ。だって私分かってるよ。ヒロ君、絶対私たちの責任取ってくれない。今でさえ自分のことばっかり。私の心配はほとんどしてない。中絶したらそのままバイバイでしょ。私、結局捨てられるの。――――だったら、私たち二人は確かに付き合ってたっていう証だけは残しておきたいの」


 それがありさの答えだった。僕はうなだれるしかなく、その後の会話はもう何一つ覚えていない。



2018/10/25

後から分かった確かなことは、僕はなぜかなんのお咎めもなく大学に通い続けることができたってことと、ありさは東京から引っ越して田舎でこどもを産んだってことだ。

 一人の人生をめちゃくちゃにしてしまった僕は毎日十字架を背負って生きていかなくちゃいけない。けれど、あんな大きな罪でさえ、今では夢にでも出ない限り意識せずに過ごせてしまう。新しい僕の物語の一章を綴っているうちに、前の章を思い返すことなんてほとんどないのだ。

 それに引き換え、ありさの物語はもう修復不可能だろう。取り返しのつかないことをしてしまった。それなのにもう僕にできることは何もない。いやそれどころか、何かして救われるのはたぶんありさじゃなくて僕自身だ。


 そんなことを取り留めもなく考えながら、結局パンを食べ、牛乳を飲み、歯を磨いて僕は大学へ向かう。


大学で二限のミクロ経済学の板書をせっせと書いている頃には、やっぱりありさのことなどとうに忘れていた。


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