序章九節:凪と竜
おしゃべりな少名毘古那神の話を聞き流しながら五分ほど走ったところで
{おっともう時間ですかな。今後とも高天原共々宜しくおねがいします。}
と笑いながら光の粒子となって消えていく。その程度でえこひいきはできんなと苦笑して分室へ向かう。少し開けたところで上から強い風を感じ避けるように立ち止まる。上空から高速で目の前に降りてくる銀色の巨体。体高5mほどの三ツ首の銀竜。その後ろには10mの金龍が二匹。
〔こちらでは久しぶりよなぁ。我が友よ。〕
威圧感を放ちつつもむしろ有効的に話しかけてくる銀竜。凪はその姿を見て逃げ腰に構える。
〔今の我としては会いたくない相手ではあったがな竜皇。〕
出来る逃走経路をいくつか考えたが姿を見られた時点で逃げるという選択肢は詰んでいること思い直して諦めて構えを解く。
〔そもそもお主が約定を守っておればこんな苦労もなかったろうに。〕
少し嫌味を込めて言葉を投げる。
〔むむ、それについてはいろいろ言い訳があったのだが・・・そちらに関しては上のお主にも謝罪済みであるし、そもそもここに来ているのはお主の許可を得ておる・・・と言えば察してくれるかの。〕
と右手で右の首をカリカリしながら申し訳無さそうに答える。それを聞いてどうしてそうなると言わんばかりの顔で竜皇をみる凪。
〔今のお主がどういう報告を受けて現状を理解しておるかはわからんが。先にここを見つけたのは枯れ木のババァだ。で、あれに掠め取らえるくらいならとわしは動いた。が、今となってはそれもあの枯れ木の手の内であったように思う。〕
中の首は訴えかけるように話しかけているが、左の首はしみじみと頷いている。右の首はなんとなく申し訳無さそうにしている。凪はそれを聞いて少し驚きあれこれ悩むが
〔その話が真実かは判断しようがないが、あの婆さんなら確かにやりかねん。昔の好で今は信用しよう。〕
自分の本体に会っているという言から嘘ではないと判断した。嘘がつけないわけではないが、嘘になりえないことが理解できたからである。右の首が目を輝かせて凪を見ている。
〔だがそんな伝言を伝えるためにわざわざ貴様がここまで来たわけではあるまい。目的はなんだ。〕
右の首は再び申し訳なさそうに中の首を見、中の首は偉そうに答える。
〔そうさの。上と話はしたが、目的はここに来たときから何一つ変わっておらん。この世界は征服させてもらう。たとえ踊らされたからと言って、我々の関係がそれほど変わるわけではあるまい。〕
お前はそういうやつだよねと凪は天を仰ぐ。少しの間そのまま固まった後、竜皇に向き直る。
〔ヴァルシス。ここは一旦引いてくれまいか。今の立場としてではなく友として頼みたい。〕
竜皇は納得いかないように返す。
〔そうだ。『今』の状況になっているのに貴様ならそう言うと思っていた。なぜだ。ここまで詰められたなら多少のことはあれどすべて消してしまえば良かっだろう。時期的にはまだ前半も前半だ。やり直してもそれほど無駄ではなかったはずだ。何を考えていると疑われても仕方のない状況になっておるのだぞ。〕
凪はまたため息をついてから、竜皇を見つめて答える。
〔我はお主ほど割り切って世界は考えておらんよ。少しでも可能性があるなら我は待つ。ぎりぎりを越えてでもな。まあ、面白いものを見たのも確かだ。お主が主犯で無いと理解っただけで、以前よりは余裕があると思っておるくらいだしな。〕
凪がからかうように竜皇を見上げて、見つめられた中の首はそっぽを向く。
〔改めて頼む。この宝玉に免じて世界から撤退してほしい。配下の手前何もなしではバツが悪かろう。〕
凪は懐から手のひらサイズの赤い宝玉を出し竜皇に投げ渡す。竜皇はそれを左手でつかみ左の首で見つめる。
〔良いのか敗者の宝玉なぞ。実質勝ったようなものではないか。そもそも了承もなく渡しおって、引かぬと言ったらどうするつもりだったのやら。〕
〔その時はそれと合わせて我で解決してたさ。そもそもお主は断らないであろう?〕
凪は何も疑わない笑顔を竜皇に向けている。
〔わかったわかった。ここは宝玉に免じてこれ以上何もせず撤退しよう。お互いこれ以上の要求はしない。これでよいな?〕
竜皇はめんどくさそうに右手を払う。右の首はキラキラした目で凪を見ている。凪も納得したように笑いかけている。見守る金龍の視界の端に小さなものが落ちてくるのが見える。とっさに主たる竜皇と落下物の間に防壁を張る。その行動に反応して金龍を見る凪と竜皇。小さな欠片が地面に落ちた瞬間に欠片を中心に鋭く根が周囲に伸び始める。根は防壁に阻まれるが防壁を埋めるように伸び壁の向こうへ侵食しようとする。
〔枯木のエルフ!〕
竜皇は上を見るがエルフの姿はない。即座に周辺探査を行うがそれらしき反応もない。目の前でうごめく植物以外に大きな存在は見当たらない。竜皇は諦めたように目の前の植物をみつめ、左の首が顎で金龍に指示をする。金龍はそろって咆哮し、上方から降り注ぐ光の束は目の前の植物を核ごと瞬時に焼失させる。
〔凪や。〕
竜皇は目の前で無数の根に串刺しにされている凪を見て問う。
〔最終防御手段はあったはずよな。そこまで無抵抗である必要はなかったはずだ。〕
凪はうなだれたままかすれた声で答える。
〔お主に上げたものまで使ってしまうからね。避けたかった。〕
〔わしにそこまで義理立てすることもなかろうに。今、この世界の調整はどうするつもりだ。もう駒がおるまい。むざむざ枯木にくれてやるつもりか?〕
〔我が約束にこだわっているのは知ってるだろうに。流石にアレにくれてやるものはないねぇ。一応もう一人お主には見えないものがいるよ。むしろ本命かな。見えないからこそ届く。そんな気がしていた。〕
凪は一息ついて力を抜く。
〔エルフを止めてやろうか?〕
〔いやいいよ。最初の約束通り何もせず撤退してくれればいい。さすがにお主らまで相手にする余裕はなくなったよ。〕
〔お主も律儀よな。理解った。改めて我が名において撤退すると確約しよう。〕
凪はそれを聞いて少しだけ微笑んだ。
〔後だいぶ前の約束だけど・・・この体はあげるよ。お主としては不本意かもしれんがね。〕
〔どれほど昔の話を持ち出すかと思えば。確かにあれは戦いの結果勝った方に体を譲り渡す約束であったな。しかし今は戦ってすらおらんだろう。〕
〔こうなってしまったら次に会う時は別の体だ。約束が果たせなくなるからね。〕
〔つまらん。本当につまらん。あがいて意思を残そうとは思わんのか。わしとしてはお主が維持されたほうがよっぽど面白いというのに。〕
竜皇はつまらなそうに憤慨し、左右の首も納得するように見つめる。
〔うまくいけばそれほどつまらなくはならないと思うがね。お主が気にいるかは別だけど。〕
凪は首を持ち上げ竜皇を見る。
『その剣は母を害した子を切り罪に濡れる』
その詠唱を聞きぎょっとして竜皇は凪を見る。
『太陽のたる姉の疑心は弟の誓いに変わり』
〔それがお前の最後の矜持か・・・ならば、その覚悟貰い受ける。〕
『誓いは力に敗れ力は法に敗れる』
最後の詠唱が唱えられる前に竜皇は凪の頭を右手で粉砕した。
〔弱いな。軽く払っただけだぞ。まぁ、なんの防御もなけれなこんなものか。だがそこから立ち上がるんだろう?その程度の傷なんざ直して立ち上がってこいよ。なあ、凪よ。〕
竜皇は凪だった体に向かって悲しく呼びかけたが、それに答えるものは誰もいなかった。
他次元界の関係は基本敵対かよくて中立になっていますが、凪と竜皇のように友と呼ぶ関係になっているのは稀です。両者の間には契約によった協定ではなく、口頭だけの約定がありました。守る義務はありませんでしたが、走り抜ける努力に注力せずにレースを降りてしまった凪は守れる約束だけは守ろうと交渉に臨んでいます。




