Ⅲ 白薔薇の騎士
白い壁の様な白煙に阻まれ、スコーピオは動きを止める。敵を見失い、適当に鞭をふるうが、白煙に視界が奪われ効果があるか分からない。
「クソッ、クソッ、何なんだよぉ!
つまんねぇ小細工しやがって!
獲物は素直に狩人に狩られればいいんだよぉ!」
叫びに合わせ、スコーピオは鞭をぶんぶんと振るが、手ごたえが無い。いや、手ごたえが無さすぎる。何かに当たり、流されている様なのだ。その不気味な感覚に気付いていながらも、グレンは高揚した精神の行先を、手にした凶器をふるう事しか知らず、闇雲に無意味な行動を繰り返した。
王国軍が西部から進軍している事もあり、時間稼ぎであると判断した帝国軍は、グレンに一度戻り、至急西部を進軍する王国軍砲車を排除するようにグレンに伝えた。王国軍の煙幕により、興が冷めていたグレンもそれに従い、西へと向こうとした瞬間、白煙から直剣の切っ先が出現し、スコーピオの胸部装甲に直撃した。
そのひと振りにスコーピオの胸を覆っていた鎧はバラバラに砕け、植物が絡んで構成された内部が露出した。そして、その威力に巨体がよろめき、尻もちをついた。
「何だ何だ何だナンダナンダナンダんだよぉっ!!」
突然の事にグレンは取り乱し、スコーピオの視界を左右させ、自分に何があったか確かめようとしたが、煙幕の白い煙により阻まれる。
そこで不意の二発目を警戒し、煙幕から距離を取ると、静かに白煙が消えるのを待った。後方より怒号の様な兵士の声が聞こえるが、それに応えるほどの余裕がグレンには無かった。彼は今、言い知れぬ恐怖を無意識ながら感じていたのだ。
煙幕が収束し、その体積が縮小するのを、グレンが獲物を狙う獣のような目で凝視していると、その白煙の奥から巨大な直剣が、突然彼を目掛け放たれた。
スコーピオはそれを咄嗟に回避しようと巨体を捻らせた。その甲斐あって致命的なダメージは避けたものの、剣によって切断された右腕がムチごと宙を舞った。
地に勢いよく落ちた右腕に、グレンは呆気にとられ、釘付けになると、視界外となった煙幕の方から、何か重く、巨大なものが右腕を失った巨人にぶつかる。そして巨人は己が右腕と同じように宙を舞うと、街の端に押し返された。
夜空に浮かぶ星々と月が視界に広がっているという、結果だけが残り、グレンはスコーピオが仰向けに倒れている事すら、最初理解できなかった。
状況把握のため、左腕を支えに体を起こし、辺りを見回す。湖より並んで進軍する王国の砲車。それから逃げるように南に向かう帝国残存兵と、何かに怯え、震える者達。そして、自分をこの状況に追い込んだ白煙から現れた巨体。ついに、グレンの目の前にヤツの姿が現れたのだ。
「ふぅーっ! ふぅーっ! はぁあああっ!」
「マスター……」
窮地に呼吸も安定しないグレンをポリネイトの少女オクトゥブレが気遣う。
白銀の鎧を装備したヤツは、自ら投げた直剣を引き抜き、スコーピオの元へと進む。左腕には巨大な盾が装備されており、スコーピオを突き飛ばしたのが、それによるものである事は万人に明らかであったが、薔薇の描かれたそれには、目立った外傷はなく、鏡の様に月光を返していた。
白薔薇の巨兵騎士カプリコーン。王国に限らず、大陸全土において最強と謳われ、帝国上層部からは意匠の薔薇と共に恐れられていた。
「くそぉーっ! 死ねぇっ」
スコーピオの体勢を整え、グレンが咆哮に似た叫びをあげながら、距離を詰め、左腕に装備された鞭をふるう。
しかし、それは羽根を撫でるように、直剣で流され、空しく地を擦る。
「は、ははははは、嘘だろ? 何だこのバケモノは……」
先に白煙に放ったムチがどうなっていたかを瞬時に理解し、グレンの顔は恐怖に引きつる。鼠を狩っていた猫は、今、自らを狩らんとする白狼に対峙している。
何事も無いようにこちらに向かうカプリコーンと距離を取りながら、スコーピオは後方へ下る。グレンの乗る工作艇にも歩みの振動が伝わってきた。
「マスター…… 撤退の命令……」
「撤退? どこに逃げろってんだ! 湖に飛び込めってのか!?」
スコーピオの踵は沿岸の縁に達し、ついに下る場所を失った。トーチカの残骸がパラパラと崩れ、二人が乗る工作艇の甲板に当たり、絶望の端にいる事を二人は理解せざるを得なかった。
「船後方、マスター…… 船は真後ろ。十秒後に閃光弾、最後の一発…… 最後の機会」
オクトゥブレが兵士からの指令をグレンに伝える。
ラストチャンス…… この機会を逃せば、湖に沈むか、敵に鹵獲されるか、将又その場でドライブシードを切り捨てられるか。仮に巨兵騎士が失われれば、二人を待つ未来は死ぬより悲惨なものになるだろう。彼らの存在は、戦争において価値があるから肯定されるのであって、それを失えば偏見強い帝国においていかなる扱いを受けるか想像もできない。
「やってやろうじゃねぇか!」
グレンは涙を拭うと左腕に力を込める。作戦に失敗し、湖に落ちて巨兵騎士を失うより、目の前の化け物と戦って死ぬ方がましと考え、一歩前に出て鞭をレイピアのように突き出し、敵の胸部を狙う。
しかし、それは闘牛士が暴れ牛をいなすように躱され、下からの直剣による斬撃がスコーピオの左腕を、彼が持つ最後の武器ごと切断した。
二人は終わりを確信した。確信せざるを得なかった。武器は腕ごと失い、ドライブシードを守る胸部装甲は四散し、街の瓦礫に交じっている。そして、眼前にいるカプリコーンは直剣を突き立てようと構えていた。
「くぅっ!」
恐怖でグレンが目を瞑ったその時、街の沿岸は突然光に包まれた。帝国工作艇から放たれた閃光弾である。
グレンが腕で目を覆い、光を遮断して後ろに下がろうとするが、視界が奪われていたはずのカプリコーンの直剣が稲妻の様に振られ、球根の中のグレンとオクトゥブレが見ていた景色が黒く塗りつぶされた。
その直後、船に何か大きいものが乗った様な激しい揺れが起こり、船のけたたましいエンジン音が鳴り響いた。
「俺は……生きているのか?」
グレンが息を荒くしてそう言うと、隣に座るオクトゥブレがコクコクと頷いた。
そして、彼らを覆っていた球根が蓮の花の様に展開し、工作艇に格納された軍用車の内部の殺風景な景色が広がった。
「名誉少尉。貴様分かっているのか!?」
不機嫌そうにガミガミ怒鳴っている兵士を無視し、グレンは車の外に出ると、ごった返した兵士と馬、苦しそうに叫ぶ怪我人、そして、両腕と頭部を失ったスコーピオがその目に入った。
「クソッ、負けたのか、俺たちは」
無残な愛機の姿に、吐き気を催すほどの悔しさがこみ上げてくる。
「お前たちは負けた。だが、俺たちは負けていない。破壊されたアシャリハ復興まで王国軍は大規模な戦術が取れなくなる。まぁ、目下の問題は俺たちが無事に帝国に変えれるかだがな」
うなだれるグレンに向かい、彼に指示を出していた兵士がそう言った。
彼らには西部のチュニシアト地方から逃れるという道はなく、南部から砂漠に入り西を目指すほかなかった。多くの怪我人を抱えた彼らにとってそれは死の逃避行であった。
帝国軍側は歩兵70中40人が戦死、14人がMIA、騎兵30中20人が戦死、2人がMIA、砲車3中3両大破。
対して王国軍側は歩兵200中130人が戦死、騎兵60中32人が戦死、砲車20両中18両大破。その殆どは、トーチカと沿岸崩落によるものであったが、少数の帝国軍部隊にその多くを失った事実は変わらない。そして、王国軍にはまだやるべき事があった。
「くっ、なんてことだ!」
グレイル大尉が砲車15両を伴いシュペルクに到着したころには既に戦闘は終了し、街の半分以上が廃墟となっていた。
街の西部では煙が上がり、生存者がうわ言の様に巨人という言葉を呟いたのを聞いて、上官の予測が当たったのだと確信し、悔しさに心を痛めた。
彼によって持ち込まれた砲車は、本来の目的ではなく、負傷者の運搬や、移送に従事する事となった。そして、残存する兵士や増援軍は行方不明者の捜索に従事し、生存者がまだいる事を信じながら懸命に声を出し、瓦礫を動かした。
「だれかー! 誰か生きている者はいないか!」
グレイルもその一人として声を張り上げながら生存者を探すが、消火活動はまだ終了しておらず、猛々しい炎と音にその声はかき消された。
それでも声を出すことを諦めず、胸のざわつきを感じながら瓦礫をどかし、西へと進む。そして、声を上げようとした時、瓦礫の傍で座る少女の姿が目に入った。
「どうしたんです? ここは危ないです。早く東へ避難してください。
……どこか怪我でもされたんですか?」
声をかけてもそこを動こうとしない少女をグレイルは不審に思い、近寄ると、彼女の傍に積み重なる瓦礫の下から人の右手が伸びているのが見えた。
体の殆どが瓦礫に埋もれ、もはや助かる道はない。グレイルはそう判断し、少女の腕を取って立たせようとする。
「待ってください。この人、私を助けてこんなことに…… 何とかなりませんか?
どうか助けて下さい! この人まだ生きているんです!」
目に涙を浮かべ、必死に訴える少女の言葉に、歯を噛みしめ、グレイルは首を横に振る。
「残念ですが、この方は助からない。この方の為にあなたは生きなくてはならない。さぁ、行きましょう」
グレイルのこの言葉に瓦礫からはみ出た右手がピクリと反応し、小さく、弱々しい声が瓦礫の間隙から漏れ出てきた。
その、覚えのある声にグレイルはハッとし、その右手を握ると、瓦礫の隙間の暗がりを覗き込んだ。
「中佐! ラント中佐! 私です。グレイル大尉です! あぁ、なんて事!」
上官の姿を目に移し、先程までの言葉とは裏腹に、必死に彼に覆いかぶさる瓦礫をグレイルは持ち上げようとするが、一人の力ではどうにもできない。少女もそれに加わるが、糠に釘であり、元は住宅の一部だったそれはその場を動こうとはしなかった。
「誰か! 誰かいないか! ここに生存者がいる! 助けてくれ!」
「大尉…… 私は助からん…… もう体の半身に何も感じないんだ…… だからその子を連れて逃げなさい。これは命令だ」
叫ぶグレイルの手を強く握り、ラントは訴えるが、グレイルは聴く耳を持たず叫び続ける。
だが、声は燃え盛る炎にかき消されて空しく消え去る。グレイルもその行為が無意味な事は理解していた。心にわだかまる不快感や絶望感を取り除こうと足掻いているのだ。
それを止めさせるように、ラントは握る手を強く引き寄せ、弱弱しく言葉を吐きだす。
「大尉…… 最後に私の頼みを聞いてくれ…… 王都ゼス、アフロディテ区、三番地、ローヤン通りに私の妻と娘がいる。どうか君の口から私の最期を伝えてくれ…… 二度は言わない。君の記憶力を信頼している…… だから……」
そして、言葉は途切れ、握る手から力が抜けた。ラントの最期を悟り、グレイルは彼の命を奪った瓦礫に拳をぶつけ、慟哭の叫びをあげた。
深い喪失感に襲われ、ただ涙を流す事しか出来ない男の腕を、少女が慰めるように抱擁する。
「この方のお名前を…… お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……レウス・ラント中佐。素晴らしい軍人でした」
「ラント様……」
少女が手を合わせ、鎮魂の祈りを捧げているのを目に止めると、グレイルは上官の亡骸に敬礼し、自分のすべきことを理解した。
「行きましょう。まだここは危険です」
少女の手を取り来た道を戻る。何度も振り返りそうになったが、それを堪え、東を目指す。ここで自分たちも死ねば、ラント中佐の顔に泥を塗ることになる。彼の名誉を汚す行為はグレイルには絶対に許す事の出来ない事だった。
「おーい! 大丈夫か!
生存者がいたぞ! 水を持ってこい!」
兵士の声が届き、二人はお互いを見合わせると、安心から自然と笑いが起こった。
笑顔の二人に合わせるように、兵士も笑顔で銀の水筒を手渡した。その瞬間、喉の渇きが突然沸いたように起こり、グレイルはそれを癒すために水筒の中身を勢いよく喉に流した。
「ありがとうございました。ラント中佐。どうかゆっくりお休みください」
水を得た男の面は、また涙が浮かんでいた。脳内にラントとの記憶が走馬灯のように流れ、悲しみが、決意へと変わった。
「南西部の瓦礫除去は完了しました。少しの休憩の後、北西部の除去作業を開始します」
薔薇の紋章が刻まれた軍用車から黒髪の青年と、金色の髪を揺らす白いワンピースに身を包んだ少女が現れた。
他の部隊と同様、第三特務遊撃部隊も瓦礫の撤去、人命救助、及び生存者捜索に従事していた。
巨兵騎士による作業効率は、兵士数十人に匹敵し、被害がひどい西部の瓦礫除去は既にその半分以上が終了していた。
「イグニス様。素晴らしいご活躍でした。どうかごゆっくりお休みください」
車の外で待機していた女性が男に駆け寄り、水筒を手渡そうとする。
「バランシュ大尉。私はそのような人物ではありません。もうそういう事はおやめください」
水筒を受けることなく、黒髪のインフェクテッド。イグニス・ラッシュフォードは女性に敬礼する。
「……ラッシュフォード特尉。指示があるまで車内で待機せよ」
「はっ、了解であります」
女性は唇を咬むと、イグニスに対して待機の命令を下した。その命令に声を上げ、答えると、イグニスはポリネイトの少女を連れ、先の車内に戻った。
「イグニス様? いいんですか? リナすごく悲しそうだったよ?」
車内の長椅子で横になるイグニスにポリネイトの少女が問いかける。
「これでいい。私はもう、昔の俺じゃない」
イグニスの冷たい言葉が少女を突き刺し、少女を泣かせた。
「私の所為ですよね…… 私がいなければ、みんな笑って一緒にいれたんですよね……」
「ジョウルク。君の所為じゃない。これは私が決めた事なんだ」
涙を流す少女の頭を撫でて、イグニスは呟いた。そして、彼は無言になり、車内は少女の泣き声だけが冷たく響いた。
今よりはるか昔、十二の王国が南北大陸を分けていた頃。
悍ましき人ならざる魔女と、人ならざる者に変えられた人間ども、そして、彼らが使役する心なき巨人の兵が暴虐の限りを尽くし、大陸に混乱の風を送った。
苦悩した十二の王は、己が体を巡る神聖なる血を巨人に与え、それを従属させると、魔女をも絶大な力と知恵によって屈服させた。
魔女に鉄槌が与えられ、封印された事で、大陸に平和が取り戻されたと誰もが思った。
しかし、大きすぎる力の弊害か、それとも魔女の呪いの産物か、王たちは手にした禁忌の剣をもって、大陸に新たなる争いの風を吹かせた。
王たちは使役する巨人に巨大な装備を施し、他国の街を焼き、無垢なる人々の骸の山を築いた。
クレストに伝わる古き文書によると、王に服従し、剣となり盾となる兵の事を『騎士』と呼ぶそうだ。
ならば、王に仕え、彼らの野望の剣となった巨人の兵士は正に騎士と呼ぶにふさわしいだろう。
大陸の覇権を巡る争いは百年もの歳月を経て、ついに終結した。勝利者などいない。全てが敗北者であった。巨人を介して、王たちは魔女に誑かされ、国を、街を荒廃させた。
生き残った王たちは、禁忌の巨人を厳重に封印し、ついに大陸には平和が戻った。
騎士と呼ばれた禁忌の巨人の兵。王たちはそれらの事を『巨兵騎士』と呼んだ。
「全くもって馬鹿馬鹿しい。へそで茶を沸かしそうだ。
兵器は兵器でそれ以上でもそれ以下でもない。その結果など用いた者の内面が現れただけの事だ。
とどのつまりは、野心の暴走を、呪いだの、禁忌だのといった形而上学的タームで覆い隠しているだけにすぎん」
帝国技術省兵器開発局長官アルフレート・ヴォイニッチはそう言うと、手にした古い本を乱暴に放った。
「だが、私は嫌いではない。馬鹿馬鹿しいが実に興味深い。
本当にここに来てよかった。私は未知なる知に触れようとしている」
多種多様な本に埋め尽くされた部屋の中で、男は不敵にほほ笑み、筆を執ると、知的好奇心を形にするように紙上を滑らせた。