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戦場のアウラウネ  作者: 耕眞智裕
序章 アシャリハ攻防戦
2/50

Ⅱ 蹂躙

「作戦開始は一七○○!! 全員自らの役目を果たし、帝国の威光を大陸に知らしめよ! 帝国万歳!! レグラントに栄光あれ!」



「帝国万歳! レグラントに栄光あれ!」


 百数十人の帝国兵士が声を上げ、手にした杯を掲げる。カルデナの仮設基地は帝国軍人の熱気にあふれていた。それに対し、戦力の要たる巨兵騎士の操り人であるアリアス・グレン名誉少尉は相棒の少女と共に静かにその声を聞いていた。彼らには式典に参加する許可が下りなかったのである。


「フフフッ、アハハハハハ! オクトゥブレぇ! こいつを見ろよ! これが俺たちの狩場だ! 楽しみだよなぁ」


 グレンは少女に街の地図を見せ高笑いした。彼は自身に対する境遇など気にしておらず、ただ、破壊の悦を心待ちにしていた。その様子にオクトゥブレという名の少女は無表情で頷く。


「……マスター。壊しましょう……全てを、お気の済むままに」


 オクトゥブレのか細い言葉が耳に届き、満足気にグレンは高笑いを部屋中にとどろかせた。

帝国の戦意は、平和惚けに惰眠を貪り、自然の障壁に胡坐を掻く王国とは比べようもないほど高揚していた。



 正午。アシャリハ駐留軍は湖の先で不審な動きをする帝国軍を監視しながらも、取り分けて行動はしなかった。現時点では、帝国軍の動きは彼らが敗北した前回のそれと変わりなく、先例に倣えば対処が可能であるとアシャリハ上層部が判断していたからだ。

 アシャリハ公国伝統の色である鮮烈な真紅に彩られた砲車が、湖の対岸からこちらに進入できる唯一つの回廊出口に配備される。この行動で帝国の打つ手がほぼ封じられると商人同盟は判断し、彼らは自分達の本来の職務に集中した。

 砲車は一般車両に射程数百メートル、100ミリ弾を打ち出す砲塔を装備させたものを言い、マズルブレーキなどが無いため安定せず、砲塔の回転不可、装弾数が少ないなど問題を抱えながらも、巨兵騎士を退けるだけの威力を持っているため王国、帝国双方において重要な意味を持っていた。

 街の権力者の行動と並行して、基地司令レウス・ラント中佐は昨晩送り出した部下の身を案じながら、帝国の行動を注視し、もしもの事態への対応を計画していた。しかし、現段階で彼ができるのは如何にして市民を避難させるかであり、巨兵騎士が上陸した場合の応戦策など考えても仕方のない事であった。

 午後一時。帝国軍が湖を挟んだ先に展開しているとは思えない程に、街中は平穏そのものであった。市民は湖を望むレストランで談笑し、儲けなどを語り合ういつも通りのランチタイムがこの日も今までと同じように流れる。


「知らぬが仏。まさにこの街の平和は砂上の楼閣という訳だ。それとも、眼前の水たまりに全てを預けるほどの信頼を寄せているのか」


 基地から望むアシャリハ沿岸に目を向け、ラントは眉をひそめて呟いた。街の現状を皮肉りながらも、この平和が続く事を彼は願い、自分の早とちりであればと思っていた。しかし、対岸の敵兵が明らかに異常な動きをしている事に彼は気付いており、駐在歴六年の勘が危険のシグナルを発していた。

 一方その頃、ラントより密命を受けたグレイル大尉の姿は、軍が管理する通信施設に向かう車中にあった。本来であれば鉄道で施設近くの町まで行き、そこから軍用車で向かう手筈であったが、鉄道の駆動機器にアクシデントが発生し、途中下車せざるを得なかったのである。そのため、車での移動距離が長くなり、予定より時間が掛かる形になった。


「ここで不運に見舞われたのだ。この先は幸運でいて然るべきだ」


 彼のその愚痴口の通り、車に乗り換えてからはアクシデントは無く、予定時刻から三時間遅れとなる午後四時過ぎに目的地であるアーデン通信基地に到着した。

 アシャリハと王国の観光都市ラグラブールの中間に位置するこの通信基地は、王国中枢部、アシャリハ間の通信を繋ぐ重要拠点であり、アシャリハより多くの部隊が駐留していた。

 午後四時。アシャリハ市街はいつもと変わらず。

 日が傾き、街中の街灯が灯り始め、幻想的な雰囲気が醸し出されている。湖の方ではトーチカから強い光が湖に当てられ、夜の監視が始まった。

 対岸でも帝国の拠点から光が漏れ始め、それをラント中佐は注視する。不用心に光を出すという彼らの行いは、自分達が発見される事を恐れていない事の表れであり、彼を不快にさせた。

 地理上、王国軍がチュニシアト側から攻撃すれば、カルデナの帝国軍は挟撃される形になるだけでなく、湖と北海に阻まれ、逃げる事すら叶わず殲滅される事になる。

 加えて、カルデナには、街の南に広がる砂漠から進軍している王国軍部隊が定期的に巡回しており、時間が当地の帝国軍を滅ぼす事となる。

 故に、ラントの心は穏やかではなかった。それを知らぬ帝国ではないと理解していたのだ。歴史上、相手を軽んじ、大が小に敗れ、優勢が敗北に転じる事は枚挙にいとまがない。とうとう帝国軍が自暴自棄になって無茶な軍事行動をしていると思う事が出来れば、どれほど楽だろうか。だが、彼にはそれができなかった。

 午後四時ニ十分。ラントは無駄だと分かっていたが、再度本国からの援軍要請をだすよう商人組合に連絡を取った。


「アルサ卿は既に決定を下しております。また、監視は厳であり、情報では敵戦力は我が方の半数に満たないそうです。わざわざ増援要請などする意味があるのか?」


 受話器の先は、アルサの腰巾着の一人であった。基地司令という立場であるにも関わらず、アルサと直接話をする事すら困難だという複雑な権力関係にラントは頭を痛くした。


「えぇ、ですが、今回の帝国軍の動きは妙です。新戦術、新兵器の存在も視野に本国に増援を要請すべきです。何かあってからでは遅い」


「全く、おかしな話ですな。我々商人ではなく軍人である貴方が臆病風に吹かれるとは。

……一つ忠告しておきましょう。貴方は自分の立場を弁えるべきです。この街は我々の街であり、貴方は街の警備のために派遣されて来たに過ぎない。我々には街を護る力も、加護も、手段も持ち合わせているのです。

 中佐。貴方は少しお疲れの様です。先日届いた上等なワインを基地に運ばせますので、どうぞお休みください。目が覚めたら全てが終わっているはずです。それでは失礼」


 言いたい事を言って商人組合の男は電話を切った。ラントの耳には空しく“ツーッ、ツーッ”と電話の電信音が聞こえる。


「クソッ! 惰眠は人間をここまで堕落させるのかっ!」


 怒りに任せてラントは受話器を放り投げた。怒りの捌け口にされた受話器は勢いよく電話台にぶつかると、ぶらりとぶら下がった。

 受話器のその様子に合わせたように、ラントの昂る精神も鎮静化し、先日の自分が行った事は間違えていなかったと確信した。


「頼んだぞグレイル大尉」


 祈りを込めてラントはそう呟いた。


 同時刻。アーデン通信基地に到着していたグレイル大尉は施設長マナ・レーン大佐と対面していた。レーン大佐は民間の通信会社出身であり、グレイルは彼女から軍人の堅苦しさとは違った柔らかな印象を受けた。


「砲車15両を当基地からアシャリハ向かわせます。鉄道局に貨物列車の手配をしておきましたので、現地には午後八時までには到着するはずです」


「ありがとうございます……」


 基地の決定に感謝の言葉を述べたが、グレイルの内心は複雑だった。ラント大佐が求めたのは巨兵騎士の派遣だったからである。


「巨兵騎士の件ですが。現在その多くがチュニシアトに投入されており、余剰がありません。どうかご理解ください」


 煮え切らないグレイルの心内を察し、レーンは事情を心苦しそうに話した。


「了解……しました……」


 彼女の様子からこれ以上は無意味だと判断し、グレイルはその言葉と共に敬礼すると、次に出来る事は何かを考えるために応接室を離れようとした。しかし、彼が扉を開けるより前に一人の男が十歳位の少女を伴って扉から現れ、グレイルは退出する機会を失った。


「失礼します大佐。誠に勝手ながらお話を外で聞かせて頂きました」


 四十代と思しきその男は軍服に身を包み、その声は大人の色気を醸し出していた。


「この基地の機密管理について考えた方が良さそうですね。それともあなたの聴力が非凡なのかしら? 特佐」


「それは勿論前者やな。ウチらはどこも特別とちゃうで。すこーし出来る事が多いだけや」


 あきれ顔でレーンが出した問いに、男に伴って入室した少女が軽快な口調で答えた。


「ところで兄ちゃん。さっき巨兵騎士の派遣がどうとか言とったやろ? うちらなら何とかなるかもしれへんで」


 少女はグレイルに向かってそう言うと、何かを探るように彼の目を見つめた。


「ダメです! あれは使わせません! 危険すぎますっ」


 少女の言葉にレーンは立ち上がって叫んだ。


「ちゃうちゃう。うちらのを使うんやなくて、戦場に散らばっとる奴らと連絡を取るだけや」

「でも、それは仕組みが分からなくて、傍受されたりとか」


「ないない。もしもあったらうちらに帝国の情報も筒抜けやろ? まぁ、まずはこの兄ちゃんからやな。で? どする? うちらにやらせてみるか?」


 レーンと少女の会話から、グレイルも二人の正体について察しがついた。


「君は『ポリネイト』なのか? それで、あなたは『インフェクテッド』……?」


 巨兵騎士を操る冒涜者『インフェクテッド』、人をインフェクテッドに変える植物の魔女『ポリネイト』。彼らは王国においても差別と侮蔑の対象とされていた。


「あんたさんもうちらに対して偏見を持ってるクチか? あーっ、あほくさ。帰ろ帰ろ」


 グレイルの言葉に不機嫌になったポリネイトの少女は、怒りを態度で表しながら開けられた部屋の扉へと向かった。


「待てモッカラコム。この人はただ聞いただけだ。

 すまない少年。君の言う通り私と彼女は禁忌の存在だ。だが、君の望みを叶えられるのは彼女だけだ。一つ彼女に任せてくれないか?」


 ポリネイトの少女を制止し、先程まで黙っていた男がグレイルに笑顔を見せ、問いかけた。呼び止められた少女がムスッとした顔で扉に寄っかかり、グレイルを睨みつけるので、彼は首を横に振り、その問いに対する答えを急いだ。


「感謝します。八方塞になって困っていたのです。本当にありがとうございます」


 グレイルに彼らに対する偏見が無いかと言えば、それは嘘になる。クレスト教の敬虔な信徒であり、幼少期から偏見を植え付けられるような教育を受けてきたのだ。だが、今の彼にとって目前の二人は、清浄を汚すものでは無く、一筋の光明を与えた恩人だったのである。


「よし、それでは始めようか。

 だが、他の連中が何処にいるか私も分からないので無駄骨となるかもしれませんが、いいですか?」


 男は少女を手招きし近くに寄せると、グレイルに問うた。

打つ手が他にない以上、この問いに対するグレイルの答えは既に決まっていた。これは濁流にのまれた中でつかんだ藁なのだ。


「もちろんです。よろしくお願いします。えっと、その……」


 頭を下げ、男を頼りたい旨を言葉にしようとしたが、突然言葉が詰まった。重要な事を聞きそびれていたのだ。


「お任せください。

 それと、申し遅れました。私は王国軍特戦部隊所属アルゴ・ブルート特佐です。こっちは私の相棒モッカラコム」


「よろしゅうな。兄ちゃん」


 青年士官の表情と、態度から彼が何を求めているか察し、男は所属と名前を彼に明かした。


「あっ、私は王国軍アシャリハ駐留部隊所属アレン・グレイル大尉であります。よろしくお願いします」


 グレイルはブルートと名乗る将校に敬礼し、返す様に自分の所属と名前を伝えた。


「では、気を取り直して……

 モッカラコム。通信を頼む。我が軍の者であれば誰でもいい。私よりかはグレイル大尉の要望に沿えるだろう」


「承知や旦那! ほないくで。うちらの妙技よーく見ててな」


 そう言ってモッカラコムは手を前に出し、雫を受けるような形にする。すると、皿の様にした手の上に水で出来た鏡が突然現れた。


「これは……」


「もうちょっと待ってな。今探してるとこ」


 目の前で起きている不可思議な現象にグレイルは驚きの表情を見せる。まるでマジシャンと観客の様で

あるが、この魔法マジックの本領はこれからである。


“ジジジ…… ジジジ……”


「見つけたで。これは、白薔薇の騎士。場所は」


 擦れ擦れの雑音が聞こえると、モッカラコムはこの妙技が成功した事を室内にいる三人に伝えた。


「はぁーっ!」


 モッカラコムが渾身のこもった掛け声を上げると、彼女は結んだ手を解放し、水鏡を放り投げた。すると、水鏡は水泡が四散する様に弾け、空中にテレビ画面のようなビジョンが残った。

 その光景に、少女は疲れたように座り、男は事の成功を頷いて確認し、女はやれやれと頭を抱えた。そして青年士官はただ、奇跡のような光景を瞬きなく見続けていた。


「くるで」


 モッカラコムの言葉に、グレイルは息を飲み、身構えた。


「……ら、イグニス・ラッシュフォード特尉。

 ……特佐。聞こえていますか? こちらからも接続を開始しています」


 何やら、ビジョンの中から若い男の声が聞こえてくる。グレイルはキョロキョロと辺りを見回すが、声の元は宙に浮かぶ不思議な何かで間違えないようだ。

 そして、彼女の妙技は最終段階を迎える。浮かぶビジョンの中心から光が広がり、それがビジョンの全体に広がると、その中心から人影が現れた。


「接続完了。特佐殿、新たな作戦でしょうか?」


 人影がクリアになり、声の主の姿が四人の前に現れる。この大陸では珍しい黒髪、黒い瞳が北海を隔てた北の大陸の出身であることを示していた。


「現在、アシャリハ西部、チュニシアト地方カルデナにて帝国軍の部隊が展開しているのが確認された。特尉、至急当地に赴き、王国の敵を排除せよ」


「と、特尉殿。私はアシャリハ駐留部隊所属アレン・グレイル大尉。当地に帝国の巨兵騎士が投入されている可能性があります。どうか、よろしくお願いします。

 ……それと、もしかして騎士術の巨匠カミュ・ラッシュフォード先生の関係者ですか?」


 インフェクテッド同士の会話に口を挿み、巨兵騎士が存在する可能性を告げた後、グレイルは個人的な質問をビジョンの先の青年に投げかけた。


「ご指摘の通り、カミュ・ラッシュフォードは私の師であり、父であります」


 騎士術とは、剣術の部門の一つであり、ラッシュフォード家の部門はその中でも長い歴史を持ち、強い権威を持っていた。


「コホンっ、では、よろしく頼むぞ特尉。准将閣下には私から報告しておく。当地では君の判断でやるがいい」


 ブルートは大げさに咳をついて注目を集めると、ビジョンとグレイルの顔を交互に見やった。


「失礼しました。今より、作戦行動を開始します」


 ハッとした表情でラッシュフォードは敬礼し、そう言うと、ビジョンは形を崩し、雲散霧消に消えていった。

 完全にそれが消えると、緊張から解れたようにグレイルは膝をついて大きく息を吐くと、彼のその様子にモッカラコムはブルートの顔を見て満足そうに微笑んだ。


「大尉。君は運がいい。我が軍、いや、全ての巨兵騎士の中でも最良の巨兵騎士を引き当てた。彼に任せておけば最悪の事態は回避されるだろう」


 グレイルの肩に手を当て、そう伝えると、マッカラコムを引き連れて部屋を出た。


「ありがとうございました!」


 二人が部屋を出ていく直前に、大きな声で感謝の言葉を叫ぶと、マッカラコムは彼に年相応の無邪気な笑顔を見せて扉を閉めた。

 二人の去った応接室は台風一過のように静まり返った。


「嵐の様な二人でしたね。全く身勝手なんだから」


 レーン大佐は頭を抱えてため息をつく。


「やはり、基地司令殿は彼らの事が好ましくないのでしょうか?」


 悲しそうな表情で、グレイルは彼女に問う。実際の所彼自身も二人に会うまでは偏見を持っていたため、それも分からぬ事ではなかった。


「いえ、私は彼らの事を嫌っているわけではありません。

ですが、怖いのです。彼らの人ならざる力が……巨兵騎士の禍々しさが……」


恐怖は嫌悪へと繋がる。彼女の言い草はそんなものを予感させた。


「ところで大佐殿。ここに巨兵騎士と操縦者がいるにもかかわらず、チュニシアトへ向かわせないのは、そのお考えによるものですか?」


 皮肉がこもった失礼な発言をグレイルは上官に対して投げかけた。

 しかし、レーンはその質問を受けると表情を変えずに卓上にある監視モニターの電源を入れ、グレイルに見せた。そこには整備を受ける巨大な壺の様なものを背負った巨兵騎士が映し出されていた。


靭葛うつぼかずらの巨兵騎士『アクエリアス』。ラッシュフォード特尉と彼の巨兵騎士が最良ならば、この巨兵騎士は最悪でしょう」


 映し出される巨体に対する評価を目を細めながらレーンは述べると、これ以上見たくないのかモニターの電源を落とした。


「性能に問題があるのですか? 戦闘に向かないと?」


 屈強な風貌の兵器に対するレーンの評価に対し、怪訝な顔でグレイルは彼女に迫った。


「そうではありません。殲滅戦においてはコレに勝るモノはないでしょう。ですが、今回のような案件には向かないのです。もし、コレを投入すれば街の住民を巻き込むことになります」


 そう言うと、再度モニターの電源を入れてレーンはグレイルに見せた。


「ここに巨大な壺の様なものが見えるでしょう? ここには内部で生成した毒液が満たされていて、それを気化させる事で毒霧を発生させるのです。この毒こそがアクエリアスの唯一の装備……もうお判りでしょう?」


 そして、レーンはモニターの電源を落として椅子に深く座った。


「すみません。私の不勉強でした。数々の御無礼お許しください」


「仕方ない事です。巨兵騎士の性能について知る機会など我々ですら少ないのですから。

 ……大尉。二人の姿を見てどう感じました? 忌み人とは思えないでしょう? あのような者たちが、この汚らわしい殺戮兵器の操者だなんて、世界とは、運命とは残酷ですね」


 言葉を紡ぐ彼女の表情は怒りと憐憫に満ちていた。これ以上出来る事は無いと判断したグレイルは上官に敬礼すると静かになった応接室から離れた。

 応接室に隣接する廊下の窓から、赤い空が目に入り、グレイルは手にした懐中時計で時刻を確認する。時計の針は午後五時前を指していた。



 午後四時五十分。カルデナの帝国軍は作戦開始の準備を整え、今まさに実行に移さんとしているところであった。

砲車と騎兵を湖の間隙にある回廊そばに配置し、作戦の要の一つたる巨兵騎士スコーピオは、その巨体がすっぽり収まる工作艇に車両一台と共に納められ、上から何枚もの布を縫い合わせた巨大な黒い布が被せられた。

 そして、この日に工作艇と共に帝国本土から届いた新兵器も船の先に装備されており、その時を待っていた。

 そして、その時が訪れる。野営地内をサイレンがこだまし、作戦開始の指示がなされた。

 午後五時。帝国軍がついに湖の回廊に進入した。王国軍もそれを察知し、回廊出口側に砲車を配備する。射程に入り次第砲撃し、悪い足場にいる帝国軍を蹴散らす算段だ。

 状況的に王国軍が圧勝する。この状況を見れば誰もがそう考えるが、それを外から破壊する秘策が帝国にはあった。


「帝国の艇を発見!」


「目標距離140メートルの地点で停止。射程圏内に入ってきません!」


 湖に浮かぶ不審な船がトーチカの王国軍に発見され、強い光が当てられる。しばし、王国兵に緊張が走り、砲塔のトリガーを握る手が強くなったが。不審船はその射程に入ってこない。


「こけおどしか。我々の注意を逸らすつもりのようだ。

厳に警戒しつつ、砲塔を侵攻するする帝国砲車に向けよ。

場合によっては回廊ごと破壊しても構わん。この湖が誰のものか思い知らせてやれ」


 トーチカ班長の命により、砲門は回廊へと向けられる。直線距離で約200メートル。帝国砲車の侵攻速度から、一分も待たずに射程に入るはずだった。

 しかし、回廊を侵攻する砲車も約140メートル地点で停車する。

 防衛線を敷いていた王国軍は奇怪な敵軍の動きに言い知れぬ不気味さを覚えながらも、どうする事も出来ず、銃口を構え彼らが射程に入るのを待つ他なかった。


「時は来た。

ショータイムだ。

狩りの時間だ。楽しもうぜぇ。オクトゥブレ!」


トーチカの基部付近から、突然の光が辺りを照らす。その直後、地響きが始まりトーチカと街の湖沿岸が傾いて沈み始める。そして、爆音とともに水しぶきが立ち、トーチカと沿岸に配備されていた王国軍部隊が湖に飲み込まれた。


「いったい何が…… 早く警報を、住民を避難させろ」


 衝撃波で窓が全て破壊され、暗くなった基地から、ラント大佐は赤服の兵士にそう命じると、状況の把握のため、自ら基地の外へ駆け出した。

 水が高熱で蒸発し、巻き上げられ、辺りは濃い霧が漂っていた。その所為で状況を掴む事ができない。咄嗟に手にした通信機で展開した部隊に連絡を取ろうとしたが、一切繋がらず、空しい電信音だけが耳に届いた。


「クソッ…… クソッ」


 どうしようも出来ない自分が情けなく、ラントは膝をつく。そして顔をあげ、霧を見ると不気味な巨影がその中に浮かんでいた。


「あ…… あぁ……」


 最悪の予測が現実となり、ラントは言葉を失う。足は勿論、体全体が動かない。恐怖、圧倒的恐怖が彼の身体を縛っているのだ。

 そして、彼のすぐ横を巨体の足が踏みつけ、禁忌の怪物は街の明かりへ向かっていった。

 輻射振動装置。帝国技術省兵器開発局長官アルフレート・ヴォイニッチが創り出した新兵器。異国出身の奇才と称される彼によって開発されたそれは、本来湖や河川の深度を図る目的で開発されていた。それを本作戦において、湖底に潜む振動機雷を破壊する兵器として転用したのである。

 だが、その運用は容易なものでは無かった。出力を本来の使い方以上に上げる必要があるため動力が安定せず、実証実験もされなかったので、トーチカの射程外から運用できるかは机上の事でしかなかったのだ。故に、射程外ギリギリの位置にこれを搭載した船が到着してから装置が起動するまで時間が掛かり、帝国軍の不審な動きに繋がっていたのだ。


「名誉少尉! 何をしている? 沿岸の王国残存部隊の壊滅が最優先事項だ。任務を果たせ」


 グレンとオクトゥブレの耳に、彼らを囲う球根の皮一枚隔てて帝国軍兵士の声が届く。

 ポリネイトが生み出すこの球根こそが、巨兵騎士を遠隔から操作するコクピットであり、巨兵騎士の二つある弱点の内の一つである。

 インフェクテッドが球根の内にて操作できる範囲は決まっており、そこを超えると巨兵騎士は行動を停止する。故に、巨兵騎士の運用には、この弱点を常に近くに侍らせておく必要があるのである。

 二つ目の弱点は、巨兵騎士胸部に内蔵された30センチほどの種『ドライブシード』である。

 ドライブシードが破壊された場合、本体の機能が停止するだけでなく、連結したインフェクテッドの命が失われ、ポリネイトは記憶と共に消滅する。そして彼女たちは時間を隔てゼロから新たなる感染者を求め始めるのである。


「今は霧が濃く、視界が良好ではないです。今行けば敵味方関係なく潰すことになりますよ」


 グレンはそう言って口うるさい兵士を黙らせると、舌なめずりをしてマンハントの部隊に向かった。

 市街地ではラントの命によって避難警報が鳴り響いていたが、時すでに遅く、多くの住民が避難できぬまま、20メートルの怪物が街の内部に侵入した。

 その一歩は人々の暮らしを廃墟に変え、鞭の一振りは十を超える人命を瞬時に奪った。


「はははははははっ! これだよ! 俺が欲しかったのはぁ」


 生殺与奪を手にし、恍惚の表情でグレンは笑う。禁忌の快楽が彼の中を巡り、炎が上がる度に絶頂した。


「マスター…… 楽しい…… 私も……楽しい」


 彼の傍に座る少女は、その狂人にシンパシーを感じ、魔女の笑みを浮かべる。

 200年以上の歴史と伝統を持つアシャリハの街は、この夜、二時間に満たない蹂躙によって煉獄へと変わった。人の亡骸を糧として…… 


 王国鉄道局の迅速な対応と、計らいによって、予定していた時刻より一時間以上早くグレイル大尉は砲車15両と共に向かっていた。

 午後五時半ごろ鉄道局を通して、彼の乗る車両にもアシャリハの現状が伝えられ、この車両は折り返す際に避難民を搭乗させる事になった。

 そして、グレイルが固く閉ざされた窓をこじ開け、目的地に目を向けると、火災による煙が不気味に広がっているのが見え、彼の心は締め付けられた。


「中佐。どうかご無事で」


 彼が望んだ通り、基地に着いて以降は、巨兵騎士の手配や鉄道局の計らい等、強運が続いていた。しかし、彼の胸中には、不安があの煙の様に広がっていた。


『何かを得ようとするとき、人々は何かを失う覚悟をしなければならない』


 グレイルが祖母より言われ続けた言葉だ。この幸運と引き換えに、基地に行くまでの安い不幸があった。しかし、それは釣り合いが取れているのか? 運命の女神はそんなに慈悲深くない。無慈悲な彼女は更なる犠牲を要求するのではないか? 彼は、せめて今宵だけは、彼女が慈悲深き神であることを祈る他なかった。






「名誉少尉! グレン名誉少尉! もういいだろう? 至急我が軍の部隊の援護に向かえ! これは遊びじゃないんだ。作戦に従え!」


 六の刻も半ばに過ぎたころ、街はたった一体の兵器によって七割が廃墟と化した。

 燃え盛る街や、逃げ惑う人々を巨兵騎士の視点から眺めることができるのは、それを操るインフェクテッドとポリネイトだけであり、一皮隔てた兵士にとって、街の湖沿岸における戦闘が全てであった。

 霧はだいぶ前に消え、王国軍部隊は町側に退けられながらも一定の戦力を維持していた。対して、巨兵騎士による敵兵力の排除を想定していた帝国軍は、もともとの戦力が少なく、上陸を果たしたものの、王国残存勢力の抵抗は激しく、街の内部への侵攻は未だ出来ずにいた。


「うっさいなぁ、そもそもこの作戦の目的は何? この街の機能を破壊する事でしょ? 俺は最大の優先事項を実行しているんだよ。それにさぁ、廃墟にした方が占領もしやすいだろ?」


 グレンはそう言ったが、実際の所、彼にとって、軍の作戦など微塵の価値も興味も無かった。ただ、心の渇きを充足させることが唯一の行動目的となっていた。


「これ以上命令に従わぬのなら、強硬手段を取らざるを得ないが良いのか?」


 怒りを声に乗せた兵士の言葉に、快楽に溺れていた二人が反応した。


「了解しました。破壊活動を中断し、友軍の援護に向かいます」


 嫌々ながら破壊を止め、食べきれなかったケーキに後ろ髪を引かれる子供の様に、廃墟を西に転進した。

 インフェクテッド、ポリネイトが戦闘中において最も恐れる事は、自分たちが直接狙われる事である。

球根の中からは外を確認できず、巨兵騎士の疑似眼球によってのみ外部を知ることができる。しかし、それを頼らなければ、そこは外部を知る事の出来ない密室であり、球根の皮は銃撃などで容易に破壊できるほど脆いのである。

 この弱点を克服する為、球根は軍用車に乗せられ、護衛の兵士がつけられる。だが、彼らはそれを護ると同時に、常に破壊する事もできるのである。兵士の言う強硬手段とは、それを意味していた。

戦場において命を弄ぶ怪物も、船上においては刃物を突き付けられた供物に過ぎない。だが、帝国兵にとっても、忌むべきものでありながら、巨兵騎士は戦況を左右する切り札であり、易々と処分するわけにもいかない。命令違反による軍役の損失と、巨兵騎士の運用による軍益を秤にかけ、慎重に判断する必要があるのだ。

 この場合、戦況は帝国軍にとって芳しいものでは無く、また、これ以上の巨兵騎士の進軍は、遠隔操作範囲の関係上、球根を乗せたこの軍用車も、船を離れ上陸する必要があり、それは同乗する帝国兵の生命も危険に晒す事となる。もし、グレンが命令に従わなかった場合、銃弾が球根内にいる彼の頭部を撃ち抜いていた可能性は極めて高かった。

 しかし、ここで帝国軍にとって最悪な事態が発生する。


「カルデナより王国軍部隊が侵入。我が軍の野営地を無視しこちらに直進してきます! 敵勢力は砲車6両! 一直線に向かってきます!」


 王国軍の増援を工作艇の兵士が発見し、無線での通信が可能な200メートル圏内の友軍に伝達する。

 その報は戦闘中の帝国軍を絶望させた。敵の砲車は3両健在であり、後方から迫る王国増援部隊に対応して反転しようものなら無防備な側面を狙われる事は必至だった。今まさに帝国軍は挟撃されようとしていたのだ。

 増援として到着した王国軍は、王国軍第三特務遊撃部隊。グレイル少尉が救援の依頼をしたイグニス・ラッシュフォード特尉が所属する部隊である。砲車18両と巨兵騎士のみのこの部隊は迅速に目標を殲滅する残忍さと、部隊の意匠である薔薇から『薔薇獄部隊』と呼ばれていた。

 窮地に陥った帝国軍であったが、逆転のチャンスは直ぐに訪れた。街の破壊を行っていた巨兵騎士スコーピオが戻ってきたのだ。

 その巨影を確認した王国増援軍は、行軍の足を止める。そして、挟撃の位置にあったアシャリハ駐留軍は戦闘を止め、南部へと逃走を開始した。


「あぁ、天上の神々よ。舞い降りたる聖母よ。神聖なる威光は帝国の、レグラントの御旗を照らして下さる」


 窮地を脱した帝国兵は、神に感謝し、西より迫る敵軍に砲を向けるため、前進しながら回頭を開始した。王国軍には、回頭している間に接近する時間的猶予はなく、こちらに砲が向けば、不安定な足場での戦闘を余儀なくされる。かつての帝国が敗北した戦闘が、立場を入れ替えて再現されようとしていた。

 眼前の敵軍を排除し、チュニシアト地方に入ることができれば、占領ならずとも作戦はほぼ成功であり、兵士は故郷の情景を思い浮かべながら、西に砲を向ける為に、ぐるっと円を描いて進む。

 その直後、帝国の砲車は側面からの攻撃によって炎上し、兵士の帰郷の夢は煙と消えた。


「いったい何が!」


 突然の攻撃に、炎上する砲車から抜け出した生き残りや、騎兵が周囲を確認する。街の方から攻撃されたのは明らかであり、双眼鏡を手に瓦礫の山となった市街を見渡した。

 そしてまた、街から砲車の弾丸が帝国軍に放たれる。辺りは炎と煙、鉄と死体が焼ける匂いに包まれたが、砲撃によって敵の潜伏している場所が明らかとなった。


「名誉少尉。命令だ。瓦礫に潜む卑劣な鼠を排除せよ。砲車を失った我が軍にはアレに対抗する手段がない」


 外の帝国兵の放った鼠という言葉に高揚し、グレンは歯を剥き出しにした。


「まだまだ狩りは終わらねぇ! あっはははははっ」


 破壊の獣は再度、街に放たれる。

血走る瞳が巨人の眼球を通し、獲物の鼠である王国砲車を発見すると、一目散に向かっていった。しかし、このような行動は薔薇獄部隊の予測の範疇であり、対応する行動を彼らは開始した。


「第3号車、煙幕砲弾放て」


 薔薇獄部隊隊長の女性の一声で、弧を描くように砲車から砲弾が放たれ、スコーピオの目前に着弾すると濃い白煙が辺りを覆った。


 白煙が戦場を覆う中、それは、王国軍起死回生の狼煙となるのか、それとも、帝国軍の蹂躙の炎にかき消されるのか、それを決するは、煙中にうごめく『何か』であった。

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