終着
ラヴィダルの牙が抜かれたオリビアの首筋に血が流れ出る。
ラヴィダルの赤い舌が、それを追うように舐めるのを、呆然とツェールは見ている。
オリビアの出血は止まり、首筋には穴の跡が僅かに残るだけとなった。
ラヴィダルの切り裂かれた胸の傷は塞がっている。衣服に大量の血が付着しているが、傷は跡さえない。
「魔物だったのだな。」
ツェールの言葉に、ラヴィダルが答えることはなく、意識のなくなったオリビアを大事そうに抱える。
「赤い満月の夜に生まれた娘、まさしく生け贄だ。
おぞましい化け物。」
ツェールが短剣を握りなおす。
「僕は、人間から見たら化け物だろうが、オリビアは生け贄ではない。」
「血を吸っていたではないか。
では、何だというのだ!」
「全てだ。」
「何百年も待って、やっと僕の元に来た赤い満月の夜に生まれた娘。
唯一の娘だ。
生け贄などではない、僕の全てだ。」
オリビアが己の運命の乙女と確信しながら、言葉を選ぶ。
オリビアの悲鳴が聞こえたであろう獣人達は、この部屋には来ない。
ラヴィダルの力を知っているからだ。
知らないとはいえ、オリビアは我が身を盾にラヴィダルを守ろうとした。ラヴィダルは嬉しい気持ちと愛しい気持ちで、腕の中で眠るオリビアを見る。
「どんな言葉を使おうと、生き血を吸う化け物の犠牲者だ。」
ツェールは、伝説でしかなかった吸血鬼の存在に畏怖を覚えざるを得なかった。
「昔、カルデアラ王国が出来た頃、僕は王に言ったのだ。
100年に1度の赤い満月の夜に大いなる力を持つ娘が生まれてくる。
僕は領地で、その娘が生まれるのを待っていよう。
王は、その娘を花嫁として送ると約束したのだ。」
人間に迫害されていた獣人達と共に、森の奥深く入った。
ラヴィダルの力の影響で、森は徐々に姿を変えていき、何百年もの間、ほとんど森を出ることはなかった。
寝ている期間が長かったが、起きている時は、年に数回、人間の血を必要とした。
身体中の血を吸い尽くし、森に捨てると蟻が処分した。
「僕にとって生け贄ではないが、人間から見るとそうかもしれないな。」
オリビアの血は甘い。唯一、オリビアの血だけに感じる味わい。
ラヴィダルは、丁寧にオリビアをカウチに寝かすと、ツェールの方に歩いて行った。
「君を帰そう。
捕虜を望んだのはオリビアだが、今はそんな気もなくなっているだろう。」
「ここで、見聞きした事は王に報告するぞ。」
驚いた顔でツェールが言う。
「かまわないよ。
賢い王なら、もう手をだしてはこないだろう。
僕は争いは嫌いだ。
剣は無駄だ、焼かれても死なない。」
しまってくれ、とラヴィダルの血がついた短剣を指差す。
ふー、と頭を横に振りながらツェールが短剣を鞘に戻す。
「賢い王なら、こんな進軍はしない。
だが、兄の代になれば、公爵夫人が言ったように、獣人が住める国に開放するように進言しよう。」
それから、とツェールは続けた。
「カルデアラ王は、王太子のお目付け役としてオリビア嬢を考えていたと思うぞ。
残念ながら、赤い満月の夜に生まれた娘は、どの国でもうとまれる。
大いなる力という、公爵の言葉の影響が残ってしまったのだろうな。
それを考慮しても王太子妃に欲しかったほど、オリビア嬢は素晴らしいのだろう。」
「ああ。」
オリビアはいろいろな者を変えていくんだ、とラヴィダルも納得する。
「僕は、ここを公国として独立する。
そして、君達の国が獣人を受け入れたら、獣人を通して鉱物資源を輸出しよう。」
ツェールが僅かに反応した。やはり、鉱山を狙っての侵攻だったようだ。
ラヴィダルはオリビアの寝ているカウチの横にあるソファーに座ると、ツェールも座った。
「オリビアの案は、いいかもしれないな。」
楽しそうにラヴィダルが言うのをツェールが止める。
「世界征服をか!?」
「それは、楽しくなさそうだな。
カルデアラ王国の件だよ。獣人の住居地は他にも欲しいからね。」
「あちらには、出来が悪くても王太子がいる。」
とんでもない、とツェールが首を横に振る。
「それは君達でやってくれ。
僕は争いは嫌いだ。
だが、ほんの少しばかり手を貸すよ。
昔、カルデアラ王国が出来た時のようにね。」
「悪魔の誘惑だな。」
頭に手をやり、ツェールがしばらく考えていたが、立ち上がり右手を出してきた。
ラヴィダルは一瞬躊躇したが、その手を右手で握った。
「成立だ。」




