四
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家の鶏はとても静かだ。鳴く事を忘れたかあるいは喉を潰したんじゃないかと思っている。しかしどう聞いても答えてくれない。こいつはそんな時さえ鳴いてくれない。さっきから縦横無尽に動いている。かといって素早い動きをするわけでもない。膝の上にちょこんと乗ってみたり、部屋の隅を少し小走りしてみたり、素早くはないが少なくとも落ち着きはない。
友達というものが極端に少ない私にとってこいつの存在は大きかった。特に名前も付けてはいないし、私も名乗るつもりはない。それでも仲が良いと思っている。私の部屋を無償で貸し食事も無償で与える代わりに、人様に話すに値しないような愚痴や悩みを聞いてもらっている。いわゆるウィンウィンの関係性である。卵を産むわけでもないこの鶏と一緒に住み始めたのは、ちょうど修業を始めて直ぐの頃だ。それからというもの文句も言わず話を聞いてくれるこいつに、私も文句を言えるはずがなかった。
何故、友達が少ないかというと、人間に興味が無いとか話すのが苦手とかそういう事ではなく、「友達」という関係性が私には少し難しいからだ。恋人であれば気持ちの確認が簡単であるが、友達への気持ちの確認とは一体どうやるのかが分からない。あまり大切に思い過ぎても世間はそれを「重たい」と言って嫌う。反対に相手を大切に思う事を休んでいる間に、仮にその友達が死んだ時になって亡骸や遺影に向かって「ありがとう」などと涙を流しながら言う。本人に聞こえるうちに伝えずに、聞こえなくなってからこれでもかと伝える。そしてそれが美しく正しいとされる。私には馬鹿だとしか思えない。私は私に良くしてくれる人を蔑ろには出来ない性分なので、その相手を思いやらずにはいられないのだ。ところがそれを否定されてしまうと、もう私はお手上げである。いっその事、「友達」というカテゴリーを無くしてしまった方がずっと楽である。それでも友達という関係から外す事が出来ない者の数は片手で済むくらいしかいない。Fはそのうちの貴重な一人だ。
私は鶏に一方的に自分の哲学を説きながらFの帰りを待った。一方的になってしまうのは何も言わないこいつが悪い。今晩はお前の大好きな海苔をやるから許してくれ。
外は夕方になっても明るいので、外を見ただけでははっきりした時間が分からない。時計を見ると夕方六時前だった。宴の準備でもしようかと腰を上げたのとほぼ同時くらいにFが帰ってきた。手には山ほどの酒がぶら下がっている。
私は至極簡単なつまみを作ってテーブルに置いた。海苔は床に置いた。彼は彼でどうやらつまみになりそうな物を買って来たらしくそれもテーブルの上に置いた。
板張りの床に各々敷物を敷いて、テーブルを挟んで向かい合いに座った。語学教師ともなれば言葉に関する情報を沢山持っているのだろう、Fはイタリア語で乾杯の音頭をとった。
今日は何処に行っていたかと聞くと、美術館に行っていたと答えた。大方そうだろうと思っていた私は特に驚きもしなかった。
「俺はやっぱりセザンヌとかあのあたりが好きだね。」
聞いてもいない話を彼はべらべらと話し出した。「アヌシー湖」という作品の筆運びがどうだの、「赤いチョッキの少年」のモデルはイタリア人だのといった蘊蓄が次から次へと口を突いて出てきた。私自身が知らない話でも喜んで話されると聞き入ってしまう所があるのでその話はわりと面白かった。
「ジドンやコロータスはどうだ?」と今度は私から聞いてみた。
ジドン、コロータスと言えば、クランナを代表する画家である。私は彼らの絵が好きで、画集も持っている。
「もちろん好きだ。今日はそれらを見に行ったんだから。」
だったらセザンヌは置いておいて、先にそっちの話をすればよかったんだと思いながら、画集を引っ張り出してきて二人で討論会を始めた。
「「白い服」はどうだ?」
「ジドンにしては珍しい作風だと思う。どちらかと言えば俺は「筆立てと左手」の方が好きだ。」
などと分かったような口ぶりで評論し合うのがとても楽しく、二人とも夢中になっていた。
酒も進んで増々白熱していく小さい評論会の最中に私は何となく違和感を覚えた。画集の中の一枚の絵。「ショペル」と市の名前を冠したその絵は雨降りのショペル市を切り取っている。ショペル市の何処かの橋の上に傘を差して向こうを向いている人間が描かれている。
私はシェッツヒェンを思い出した。そしてあの何とも言えない感情が甦った。私はFにその話をした。相変わらず考え過ぎだと馬鹿にして笑った。そして続いて「それは恋だ」と言った。
彼は何処まで私を馬鹿にしているのか。私だって恋という感情くらい知っている。人との関係性の難しさ故、私に好意を示してくれる人を私は好きになる。その時に私は恋をする。しかしそれとこれとは別なのだ。
どれだけ言葉を巧みに使って説明しても、彼には伝わらない。どころか、恋でないのならそれこそ真の考え過ぎだと言ってさらに馬鹿にし始めた。そうこうしているうちに私の中でも反論する気持ちが薄れていって、考え過ぎという結論に結局落ち着いてしまった。
確かに今私がその感情に答えを見出したとして、シェッツヒェンと私の何が変わるわけでもない。これからも私は先輩として時に厳しく教えていかなければならないし、彼女も後輩として私を頼り成長していかなければならない。そうだ。これはただの考え過ぎである。もはや何故それほどまでに考え込んでしまったのかの原因となったあの一件さえほとんど忘れていたではないか。Fに話して気が済んだ。人の悩みなどというのは所詮その程度のものだと確認した。
明日は休みであるという事をいい事に私たちは夜を更かした。普段なら働いている時間になっても酒盛りは続いた。
話は占術の話になった。
「しかしお前は家業も継がずに教師になったけど、占術の科も出ているんだから一度俺を占ってくれよ。」
そう私が頼むと彼は急に真剣な顔になり「よしわかった」と言って私の手を取った。手相を見るのかと思いきや、徐に私の右手の平に十ドップコインを握らせ、その拳をFの両手で包むように覆った。数分間そのままだった。
「俺は修了試験を二カ月後に控えてるんだ。上手くいきそうか?」
「それはお前の努力次第だ。」
そう言って笑いながら彼は手を離した。そしてビールを一口飲み、占いの結果を話し始めた。
「簡単に言うと、今年いっぱいお前はとても運が良い。」
とだけ言って彼はまたビールを飲んだ。拍子抜けするほどあっさりした結果に思わず言葉を失ってしまった。そしてもっと詳しく教えてくれと詳細をせがんだ。
公私とも順調であるが、その状況が突然変わってしまう出来事がある。内面的な変化かもしれないし、外部の環境の変化かもしれない。いずれにしてもきっと初めは戸惑う事になる。前代未聞の世界が始まるからだ。しかしそれは結果的に良い方向に向かっており、また私の性格上上手く進むことが出来る。注意しておくべき物がある。黄色い物だ。それが扉を開ける鍵にもなり、暗闇を照らす松明にもなる。数字では六。迷った時の道標となる。とにかく心配する事は何もない。心配しても準備の出来るような物ではなく突然それは起こるから。そしてきっと運命は良い方向に進んでいく。
彼は説明を終えると一息つき、最後にモートルに祈りを捧げた。
クランナでの占術の信頼は他国と比べ物にならないくらいに強いと、何かの雑誌で読んだ事があったが、私はこういった「誰にでも当てはまりそうな言い回し」があまり好きではなかった。
「良いなら良かった。」と簡単に感想を伝え小さく笑いながらビールを飲んだ私の頭の中には「黄色」と「六」というキーワードだけが残った。