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望遠鏡  作者: オノマトペ
1/10

 *


 一


 世界的に有名な音楽家と言えばモーツァルトやベートーヴェンなどがすぐに浮かんでくるが、有名でなくとも確かに音楽を生業にしていた人間はその他にも沢山いたはずだ。クランナ出身の音楽家ジャル・シモンスはいい例だ。彼の楽曲など、例えばここで名前を挙げてもピンと来る人などいないだろうし、そもそもカタカナの名前なんて適当に付けたってそれなりの見栄えがするから、実在した音楽家という枠さえ外されてしまう。現在クランナ全土においてもジャル・シモンスを聴いている人なんて私ぐらいだろう。もっとも、クランナ全土とは言え実際に確認したわけではなく、少なくとも私の身の回りには一人もいない。


 休日になると私は決まって彼の楽曲を部屋に流す。曲名こそ覚えていないが、CDをかけて一番最初に流れてくる曲の頭の一節を聴くと、新しい朝、新しい一日の始まりを感じる。別段音楽に詳しいわけではないが、スコットランドの民族音楽を彷彿とさせる。それを聴きながらコーヒーを飲むのが私の休日の始まり方であった。そしてそれは、どんな日であっても欠かさなかったため、漠然と、一生続くルーティーンなのだと考えていた。


 その年の五月、地元を離れセデルで暮らす友人から突然連絡が入った。久しぶりに地元に遊びに帰ってくるというだけの話だった。私は、駅まで迎えに行くからまた連絡をくれということだけ伝えた。

 彼の住むセデルはクランナでも割と栄えていて、ドイツで言うミュンヘン、日本で言う大阪のような所だ、と彼が移住してから気になった私は何かの雑誌で読んだ。ミュンヘンも大阪も知らない私からしたら「栄えている町だ」という認識にしか至らなかった。とは言え私の住むトックのような小さい町に比べたらずっと大都会なのだろう。「街」ではなく「町」などと表記しては罰が当たるかもしれない。


 一週間が過ぎ約束の日になった。私はシモンスの音楽とコーヒーを嗜んだ後すぐに駅に向かった。もう五月だというのに少し肌寒かったので上着を羽織って行った。


 成りは小さく寂れている駅舎に似付かわしくない大きな時計のちょうど真下くらいに彼を見付けた。何やら大袈裟な荷物に囲まれている。

「久しぶり、元気か?」

「ああ、元気だ。荷物を持とう。」

「頼むよ。さぁ、どこへ行こうか。」

私には何の当てもなかったので、取り合えず駅を出てすぐの道を並んで歩き始めた。そうしてるうちに喫茶店の一つもあるだろうと思った。小さな町とは言え少し賑やかな地区もある。しかし私はほとんどそこに寄り付く用事を持たなかったのであまり詳しくなかった。

 「仕事の方はどうだ?」

 何とはなく彼に当り障りのない質問をした。

彼は「順調だ。」と言った。続いて私にも同じ質問をしてきたので私も「順調だ。」とだけ返した。実際私は仕事に関して言えば順調だった。もう働いて三年も経っていたので慣れないはずが無かった。そして慣れさえしてしまえば順調でないはずもなかった。


 五分程歩いてようやく小さい喫茶店を見つけたので入ることにした。彼はコーヒーを頼んだ。私はコーラを頼んだ。

「何かあったの?珍しい。」

ようやく落ち着いて会話が出来ると思い少し込み入った話を仕掛けた。彼は二年前にセデルに移って以降、こうして地元に帰ってくるのは初めての事だった。そこで私はこう聞いた。

「いや、久しぶりに地元に帰りたくなったっていうだけ。それ以上も以下も無い。」

そう言って彼は少し笑っている。笑い方は二年前のままだった。注文したものが運ばれてきた。

「コーヒー一杯五リップは少し高いな。」

彼は笑いながら小言を言った。都会の相場やいいコーヒーの条件を知らない、そもそも喫茶店に滅多に行かない私からしたらそういう物だと思っていたが、都会の空気を吸って生きている人間からしたら少し高いらしい。コーラが三リップである事も同様らしい。そこで私はセデルの事について尋ねてみた。


 彼の言う事にはとにかく「いい所」らしい。それは話を聞いていくうちに「住むのにいい所」という事だと分かった。当然、中心街の賑わいはトックとは比べ物にならないし、欲しい物がすぐに手に入る。なにより彼が喜んだのはトックと違い雨があまり降らないという事だった。ここでは一年の半分以上か或いは七割くらい雨が降るのに対しセデルでは全くの反対らしい。今日が晴れているところを見ると、彼が晴れ男である事はやはり間違いなかった。


 次に彼は仕事について話し始めた。セデルには沢山の外国人が住んでいるらしく、語学教師の需要は物凄く多いのだそうだ。世界的にも珍しい日本語を母国語とする、クランナを初めとしたグリー・トランテの四カ国には移民よりも、日本に住むための足掛かりとして語学を学びに来る人が多いらしい。確かに文化の進歩や娯楽の種類で言えば日本よりクランナの方が劣っているだろうが、まるで踏み台にされているような気になって私はあまり日本が好きではなかった。所謂、嫉妬に過ぎないが。

「それなら最初から日本に住めばいいのにね。」と、私は皮肉っぽく言ってからコーラを啜った。

「それでは困る。俺の仕事が無くなる。」

彼も笑いながらそう言ってコーヒーを啜った。


 彼の実家は先祖代々占いを生業といている。当然彼も一度は占術科の職業学校まで出ている。にも拘らず彼は専門学校卒業後に、今度は語学科の専門学校に進んだ。期間は二年半に短縮されるものの、まともな選択ではないと非難された。特に彼の両親は猛反対したらしい。そのため彼は専門学校卒業後セデルに移った。トックでの専門学校在学中に働いていた語学学校は、今はもうほとんど活動していない。

「今日帰ってきた事、親には連絡してあるのか?」

「もちろん。そうしないと野宿しないといけなくなっちまう。」彼の表情はあまりいいものではなかった。

「うち泊まるか?」

私は聞いた。なぜかどちらかと言えば彼の両親が気まずいような気がした。

「それは助かる。じゃあ今日は大いに飲み明かそう。」

「明日は仕事だからそうはいかない。明後日の夜まで我慢してくれ。」


 私たちは二時間その店に居座った後、チップも含めて七,五リップ支払って出た。

 そこから私のアパートまでは電車に乗って二十分程の所にある。彼は切符の値段にまでケチをつけていた。

 「余分な布団が無いから俺の布団で寝ていいぞ。俺はソファーでいい。」

彼は遠慮なく私の布団に寝転がった。彼のそういう所は自分にないので羨ましい。私も鶏に餌をやった後、ソファーに寝転がった。まだ外は明るいが私の仕事は深夜に始まるのでもう寝なければいけなかった。無理やり暗くした部屋で、彼は小さい灯りを点して本を読み始めた。


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