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迷彩狂騒曲  作者: 三箱
2/4

 静まり返った世界。

 鳥のさえずりも、人の声も風の音も何一つ聞こえない。

 灯りが一つもない世界。

 街の電気も街灯も車のライトも何一つない。

 あるのは空に輝く満天の星空の光だけ。

 綺麗なはずだが、その光すら今の僕には恐怖でしかない。


 逃げた。


 あの場から逃げた。足の痛みなど関係なかった。紫の建物から逃げた。

 外に出てひたすら走った。


 走り続けた。


 そして紫の建物が肉眼で見えない位置になると真っ暗になっていた。

 目についた白い建物に逃げ込んだ。

 外への吹き抜けがない、真っ暗な一室の角に背を向けて身を縮こめて隠れる。

 心臓の鼓動が酷くうるさい。

 呼吸が切羽詰まったように激しく吸うと吐くを繰り返し、全く収まる気配がない。


 何度も脳裏に蘇る。

 血をばら撒きながら降ってきた光景。

 ズタボロに血まみれの服。変な角度にひしゃげた腕に脚、死んでいるかと思うが、相反する表情。

 ニヤッと微笑んだ口に、憐れむように愛でる様な優しい瞳が見つめる。 

 生きていると錯覚した。だから戦慄した。

 だが落ちた衝撃音は間違いなく聞いた。

 鼻がもげるほどの臭いもした。

 だが、振りかえったら何もいない。


 あれほどの物を目にしたのに、綺麗さっぱり初めから何も無かったように、消えていた。


 けど記憶が消えるはずもなかった。

 後ろに存在がいるのでは無いか。妙な気配が残る。

 何度も何度も振り返る。


 けどいない。


 いないことに安堵するが、すぐに現れる背中を襲う気配。

 消えることなどなかった。

 あの笑った顔が何度も何度も蘇り、心臓を鷲掴みにされるように苦しくなる。

 誰もいない。誰も助けてくれない。

 コンクリートの冷酷な押し返ししかない。

 僕は恐怖に怯え続けるしかなかった。


「ウッ」


 視界がグラつき頭に電気が走ったような痛みが走る。

 体の力が抜ける。

 疲労かそれとも病気か外的要因か、そんなことわからなかった。

 抗う力を失った僕は、ただ意識が遠くなるのを待つだけだった。



 目を覚ました。


 最初の印象は「明るい」だった。

 体育座りで床を見ていたが、ほんのりと蜜柑色に染まっていた。

 この部屋に外への吹き抜けなどない。

 外部から光は入らない。


 何故だ。


 恐る恐ると顔を上げた。

 テーブルの上に柔らかな光源となる物が存在した。


「ランプ……?」


 灯りのない世界、人がいない世界に存在した人工的な科学的物体。

 抜き足差し足忍び足の要領で一歩ずつ近づく。


 テーブルの上にあったのは、埃を被ってはいるが、典型的なキャンドルランタンだった。


 中の蠟燭についた火がユラユラと儚く燃えていた。

 手をかざすとほんわかとした温かさが伝わった。


「ん?」


 死角に入っていてさっきまで気が付かなかったが、ランタンの後ろに赤い物体があった。

 赤くて比較的に丸く、上部の真ん中は窪んでいてその中心から蔕が生えている。

 まるでそれは……。


「リンゴ?」


 その赤い物体の形状は「リンゴ」と酷似していた。

 何故そのようなものが存在しているのだ。

 誰かがこの部屋に入ったのか……。

 ゆっくりと一周回って確認するが、コンクリートの壁と床の天井と木製の扉だけだ。

 だが、背中に残る寒気は一向に消えない。

 何度も振り返ってしまう。

 けどいない。

 この拭えない恐怖にずっと憑りつかれていくのか。


「ぎゅるる」


 この空気感を全く無視したお腹の音。

 意識がお腹に向けられた途端、急激な空腹感が襲ってきた。

 お腹を捻じるような感覚に、一瞬眩暈がした。

 疲労感と力が抜けるような感覚。

 強く求める様に、目の前にあるリンゴによく似た果実に自然と手が伸びていき、指先に触れる。

 つるつるとした表面に少し硬めの質感。

 本当に似ている。

 赤い果実に触れてから今一度周囲を確認する。

 人影はない。足音も聞こえない。


 再度赤い果実と向かい合った。

 この空腹感による食欲の衝動を抑えることが出来ない。

 僕は果実を掴むとそのまま噛り付いた。

 貪る様に何度も何度も噛り付いた。汁は飛び散るが気にすることなどない。

 たただひたすらに目の前の食べ物を貪り続けた。

 芯まで全て食べきった。

 口回りに付着した果汁を舌で一舐めする。

 残った甘い香りを鼻に吸い込む。

 お腹の嘆きは収まっていないが、胃が捻じれる様な感覚は収まっていた。

 優しくお腹をさすり、深く息を吐いた。

 果実の甘い香りと臭いを噛みしめる。


 さて、これからどうするか。

  

 未だに脳裏にその光景がフラッシュバックされる。

 今も足の震えが止まらない。 

 正直ここでジッとしておきたいのだが……。

 誰かが入ってきた形跡がある以上、移動せざるおえない。


 それに。


 今冷静なってみれば、他人の食べ物を勝手に食べてしまった。

 言葉にならない罪悪感が、じわじわと体を這うように襲ってくる。

 ほんの少しの安堵の隙を逃すことなく感情が湧く。

 この世界に来てから一日しか経っていないのに、恐怖と後悔と疲労で精神的苦痛が尋常じゃないスピードで上塗りされていく。

 悪い方向にしか働かない。

 ユラユラと揺らめく火をぼんやりと眺めながら、溜息が一つ出てくる。


 まだ外は夜だろうか。


 街灯は外にはない。灯りが必要だ。

 テーブルの上のランタンに手をかけようとする。だが何故かランタンに触れる直前に、持っていくことを指が躊躇った。

 ランタンに触れるのを指が拒絶する。やはりリンゴを食べた罪悪感から、あと数ミリの隙間を埋めることが出来なかった。


 断念するしかなかった。


 その右手はビリッと痺れていた。


 灯りだけが揺らめく部屋から、僕は立ち去った。


 真っ暗な階段、ほとんど肉眼では見えない。

 入って来た時の感覚を頼りに壁に手を当てて感触を確かめながら歩いていく。

 無機質な世界、だけどありとあらゆる負の感情だけはとめどなく溢れてくる。

 前向きに考えようにも、暗色の心から出てくるはずもない。


 理由としては、あの得体の知れないものが降ってきたせいだが。

 その時点で無機質の世界から、奇想天外の世界に見え方が変わってきている。

 となると最初と思っていることが変わってきている。


 思考がぐちゃぐちゃになってきた。


 疲れているせいだろうか。

 丁度外に出るから、空気でも吸って頭をすっきりさせよう。

 排気ガス、人の熱気、呼吸、タバコの煙、そんな害になるようなものは何一つないのだから。

 階段を降り切りコンクリートと違う感触を確認し、出口のドアと確信する。

 何もためらいなくドアを開けた。


 燃えていた。


 道を挟んで向かいの建物が火を噴いていた。いや横の建物もその横も、向こう側の建物すべてが真っ赤に染まっていた。

 轟轟と激しい音にパチパチと焼け落ちる音が、鳴りやまない。

 肌を焼くような熱気が吹きつける。

 呼吸する空気すら喉が焼けそうに熱い。

 気分転換どころではない。

 俺が寝ている間に何があった。

 今は理由を考えている暇などない、逃げないと。

 幸いにもまだこちら側まで火の手は回っていない。

 火の壁を右に見ながら、道沿いを走り抜ける。

 すぐに丁字路を左に曲がっていく、これで火に背を向けて走れる前方は安全だ。


「え」


 前方の道路が火の海と化していた。

 コンクリート燃やす程の炎、真っ黒な煙が立ち込める。

 凄まじい勢いだった。煙を吸い込み、激しくせき込む。胸がむせ返す。

 このままだと他の建物に火が移るのもあまり時間がない。

 早く逃げ道を探さなければ、焼け死ぬか、煙による窒息死か、マシな死に方はしないな。

 さっきの道に戻って次の交差点を曲がるが、同じ光景だった。

 後二つの交差点を曲がるが結果は同じだった。


 火はどんどん迫ってくる。


 建物も道も飲み込みながら侵食していく。もう引き返すしかなかった。

 気が付いたら、さっきの建物まで戻っていた。

 不思議にもその建物はまだ燃えていない。

 最初に入った異質な紫のビルと違って、そこら辺と変わりのない只の白い建物なのに燃えていない。

 おかしい。

 偶然にしては出来過ぎている。


「アツ」


 服の左袖が燃えていた。

 正常なコンクリートの壁に必死に擦り付けて何とか消した。黒の袖は茶色にくすんでいた。

 大通りの半分までも火が侵食していた。

 逃げ場が後ろの建物しかない。


 何だよ。一体。こんなのただ執行猶予つきの死刑宣告者じゃないか。


 後ろにある建物を何度も確認する。

 入るしかないのか。

 一縷の希望を託して建物に逃げ込んだ。

 入って最初に感じたのが涼しいだ。

 この建物だけが別空間でできているみたいだ。


 もしかしたらここだけ安全地帯かなと微かに希望を抱く。


 けど後ろの木の扉がすぐに火を噴いたのを見て、瞬時にその可能性を捨てた。


 被害を受けない場所を探す。

 とはいえ具体的にどういった場所が安全か分からない。そんな都合よくあるのかすら疑わしい。

 一階の各々の部屋をくまなく探す。

 だがどこも殺風景な部屋しかなく、一か所だけテーブルの上にランタンの置かれた部屋があっただけで特に逃げ込めそうな場所がない。

 上の階も探す。だが全体的に暗くて、思ったより時間がかかった。壁に当てて手さぐりで探した。だが手に返ってきた感触はコンクリートだけで、異質な感触や床に何か置かれているものなどはなかった。

 屋上にも行こうとしたが、火の手が階段の回っておりもう手遅れだった。

 一階に戻ると入り口のホールの八割以上が燃えていた。内部が白く煙ってきた。充満してきている。もう時間がない。


 つうか何もなさすぎだろ。


 家具もない。椅子もない。水もない。生活習慣の欠片もない。

 こんなわけも分からない世界に放り込まれて、こんな惨い死に方するのか。

 バチバチと無常に燃える火を見つめる。


 それは嫌だ。


 死ぬなら、もっと穏やかに死にたい。


 何か無いのか。


 少しでも光明になる手がかりはなかったのか。

 考えても思いつかない。だったら体を動かすしかない。

 もう一度、一階から部屋を回る。


 何もない部屋。何もない部屋。何もない部屋。テーブルの上にランタンがある部屋。何もない部屋。何もないへ……。


「ん?」


 再度引き返して確認する。

 一つだけランタンがある部屋。テーブルがありその上にただ置かれたランタン。最初に出ていった時と配置も部屋の形に変化はない。


 一階に存在することを除いてだ。


 さっきまで焦っていて気が付かなかった。

 そういえば目を覚ました時も急に目の前に存在していた。

 移動しているということは、自分以外の誰かがいるのは確か。

 いるならいるであまり喜ばしいことではない。誰かにつけられている感覚が精神だけれはなく現実味を帯びてきていることになる。


 でも行動が謎だ。


 街全焼という状況でわざわざ上の階から一階に移動する必要性がどこにあるのだ。普通に持って逃げるか、置き去りにするかの二択だ。

 それにもう一つ。


 テーブルごと移動している。


 上の階に引きこもった時は、ほぼ真っ暗でテーブルに気が付かなかったから、起きたときにテーブルに意識はいかなかった。

 けどさっき上の階の部屋を見たときは、手さぐりではあるが部屋をくまなく探した。

 テーブルに気が付かないはずがない。

 最悪でも足にぶつけるか手をぶつけそうだが、手ごたえは全くなかった。

 間違いなくテーブルごと移動している。


 ますます意味が分からない。こんな騒然としている状況下でわざわざテーブルを下まで運ぶ意味がない。


ただならぬ理由があるなら別だが、そんなの思いつくはずがない。

 ボウッという激しい音が後ろから忍び寄ってきた。

 気が付くと廊下も炎に包まれていた。

 万事休すか。


「クソッ」


 左手で思いっきりテーブルを叩いた。

 ジーンと左小指が痛む。

 ギュッと唇を噛みしめる。

 もう、何も策もない。足掻くこともできない。何もかも終わりか。思考が真っ白に染まっていく。


 ガクッと左手からバランスを崩し床に倒れた。

 頬をビタッと床に引っ付いた。冷酷に冷たかった床が熱くなっている。

 地獄の窯が近づいているのか。

 視界がぼやけてきて、目の前が明るくなってきた。

 火が近づいてきたのか。それとも黄泉への国が近づいてきたか。


 本当に笑えてきた。


 コツン。


 鈍い音と同時に、微かな鉄臭さと油のにおいが鼻を刺す。顔がジーンと痛みだし、視界がはっきりとしてきた。

 目の前には横に倒れたランタンが、ゆっくりと前に転がって止まった。


 何故ここに……。


 もしかしたらテーブルを叩いた時に倒れたのか。

 でも、それがどうしたというんだ。

 もうじき死ぬのにそんなこと……。

 無意識だった。無意識にテーブルの方に視線を動かした。


 テーブルが消えていた。


 ぼんやりとしていた思考が急激に覚醒し、勢いよく飛び上がった。

 目を凝らして確認する。見間違いではなく確かにテーブルは消えていた。

 数秒前までの机の位置に手を伸ばすが、空を掴むだけであった。


 何故?


 もう一歩踏み出すと、つま先をひっかけ、派手に顔から壁に激突した。

 さっきと比べ物にならない位の痛みが走るが、そんなことで苦しんでいる暇はない。

 必死に耐えながら体を起こし、躓いた箇所を確認する。

 そこにあるのは床から十センチほど上に伸び、上辺が斜め曲線に切れている形をした木片があった。


 木片? 


 いや待て、確かその場所にはテーブルの脚があったはず。

 まさかその脚の欠片だけを残して消えるような、不完全さがあり得るのだろうか。

 僕はさっきテーブルを叩いただけだ。

 常識的に考えれば叩いた衝撃でランタンが倒れて転がり床に落ちる。それはあくまでテーブルの上を転がって落ちるだけでテーブルは存在する。


 だがテーブルは柱の一部を残して跡形もなく消えるなんて……。


 いやそもそもこの世界に僕の知っている常識なんて通じないか。

 でも原因は何だ。

 何か引き金があるはず。

 僕は倒れているランタンに目が行く。

 二階から一階に移動したランタン。

 形は知っていてもほんの一時間以内に起こした現象は常識の範疇を超えている。

 二度も目の前に現れた。

 もしや何かを訴えているのか、何かあるのか……。


「フッ」


 今の気持ちに笑えてくる。

 いや無機物にそこまでの期待をするのは、そろそろ頭がいかれてきた気がする。

 けど今は藁にも縋りたい。

 僕は希望を求めて、ランタンを握った。

 そしてスッと上に持ち上げた。


「なっ?」


 声を漏らさずにはいられなかった。持ち上げるだけの行動で起きた結果は二つの驚きをもたらした。

 目を疑うしかなかった。

 一つ目は先程消えたテーブルがスーッと下から幕をめくり上げる様に、姿を現したのだ。


 そしてもう一つの驚きは、そのテーブルの下に床とは色が違う取っ手が付いた正方形の鉄の板のようなものが現れたのだ。


 一瞬あっけにとられたが、火が部屋に侵入してきたのに気づき慌ててその扉らしい鉄板に向かった。

 目の前のテーブルをどけて、鉄板の取っ手を掴み上に引き上げた。

 ギーッという錆びた音を鳴らしながら、ゆっくりと開いた。

 奥の暗闇に向かって、鉄梯子が下に伸びていた。


 迷うことなく、穴の中に入った。


 ランタンを片手に持ちながら、ゆっくりと梯子を下りていく。

 穴はかなり深くまで伸びていた。

 どこまで続いているんだろう。


 いやそれよりも何故あそこに扉が、それにこのランタンは見えない物を移す道具か何かか、でもとりあえず助かった。


 疑問、疑問、安堵。

 複雑に心境が絡み合いながら、深く深く穴を下に進んでいった。


 そしてやっと底が見えた。

 静かに着地し辺りを確認する。

 アーチ状の屋根に、真ん中を川の様に流れる水。


 地下水路か。


 かなり天井が高い。軽く四メートルくらいある。

 こんなに大きいものなのか、実際地下水路に入ったこと無いから正確な地下水路の構造を理解はしていないから、大小の判別などつくはずもないが。

 まあでもここまでは火が襲ってくることはないだろう。

 一応命の危機を脱したことにより、ほっと息を吐いた。

 安心したと同時に猛烈な疲労感が体を襲う。


 体は正直だ。


 火事のせいで身体的にも精神的にもかなりのダメージは受けている。

 このランタンに関して数々の疑問は絶えないが、とにかく今は体を休めよう。

 生きられたし。

 警戒心を解きランタンを下に置いた。

 

「うッ」


 突然僕の右肩に耐えがたい激痛が走った。

 みるみる右肩が赤く染まり広がっていく。

 何が起きたか分からないまま、今度は左肩の後ろからヌッと白い手が伸びて来た。

 


「み・つ・け・た」


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