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オムライス

 正午頃の『清水美海店』は、行列ができるほどの人気となっている。


 最近話題となっている店で昼飯を食おうと考えていた二本差しの侍二人は、苦笑してそこに並ぶことを諦め、近くの茶屋でしばらく時間を潰すことにした。


 一時(ひととき)(約二時間)の後、二人がもう一度その店を訪れてみると、客席は八割方埋まってはいたが、並ぶほどではなかったので安堵して入店、給仕のユミに案内されて座敷に上がった。


「ようこそ、いらっしゃいませ。ご注文は何に致しましょうか?」


 そう言ってお品書きを渡されたのだが、見たことも聞いたこともないような料理名が並んでおり、二人は互いに顔を見合わせた。


「育三郎、お前は何が食べたい?」


 中年の、威厳がありそうな顔つきの侍が、二十代後半と思われる、幾分若手の侍にそう声をかけた。


「いえ、私にも分からない料理名が沢山あるので……」


 そんなやりとりを聞いていた店員のユミは、


「お客様、当店は初めてですか? でしたら、ある程度私が料理のご説明を致しますよ?」


 ニッコリと微笑みながら元気にそう話しかけてくる、十代中頃ぐらいの可愛らしい店員に、二人とも思わず笑顔になった。


「……いや、今の時間帯でも、まだ忙しそうだ、手間をかけさせたくない……ならばいっそ、『お任せ』で料理を持ってきてはもらえぬか?」


「え……おまかせ、ですか?」


「ああ、そうだ……まあ、あえて言うならば、我々二人は腹を空かせているから、腹に溜まる料理がいい。それと、どうせならこの店でしか食えないような、めずらしいもの」


 中年の侍がそう言うと、


「もちろん、味の方も期待している」


 と、比較的若い、育三郎と呼ばれた侍が付け加えた。


「お腹いっぱいになって、珍しくて、美味しくて……あ、でしたら『おむらいす』の大盛りはいかがでしょうか? この料理は……」


 そこまでユミが説明したところで、


「待った! それこそ、料理が来てからのお楽しみ、という事にしたい。先に正体が分かっていては興ざめではないか。それで構わぬから、よろしく頼む」


「……お客様、『(つう)』ですね。かしこまりました、では『おむらいす』の大盛り二つ、お持ちしますね!」


 ユミは相変わらずニコニコしたまま、厨房へと向かっていった。


「……楽しそうに働いておるな……」


 威厳のある侍が、感心するようにそう口にした。


「ええ……それにこの活気に満ちあふれた店内……噂通りの店のようですね……」


 育三郎は、客席を見渡しながらそう付け加えた。


「うむ……この分だと、料理も期待できるな……」


 そして二人が待つことしばし。


「お待たせしました、『おむらいす』の大盛り二つです」


 先程とは異なる、十代後半ぐらいの娘が料理を運んできた。

 膳に出されたその料理を見て、二人の侍は目を見開いて驚いた。


 まさしく、今まで見たこともない料理。

 黄色く、大きく膨らんだ何かの上に、真っ赤な煮汁のようなものが少しだけかけられている。

 それだけだ。

 本当に単純で、しかしながら食欲をそそるようなほのかな香りと、独特の『てかり』を伴っている。


「なんだ、この料理は……」


「あ、お客さん、初めてなんですね……この料理は……えっ!?」


 今度は、その客の顔を間近で見た娘が驚きの声を上げる番だった。


「……父上……それに、育三郎殿……」


 お盆を持ったまま固まってしまった娘……名は亮、正体を隠してこの店で働いているが、実は現在の南向藩主、郷元(ごうもと)康家(やすいえ)の実の娘だった。


 彼女が『父上』と口にするということは、つまり、その中年の、威厳のある侍こそが、藩主・康家ということになる。


 康家は、亮姫に対して、自分の右手人差し指を唇に当て、大きな声を出さぬよう指示を出す。

 亮もそれを理解し、小さく頷いた。


「……それで、この料理だが……この匙で食べれば良い、ということだな……この黄色いのは、ひょっとして玉子を焼いたものか?」


 この時代、鶏卵は高価であったので、これほどふんだんに使われていることは珍しい。しかしそこは藩主、見事に当てて見せた。


「はい、その通りです。それを突き崩すようにして匙を入れてみてください」


「ふむ……」


 康家は、その中身がどのようになっているのか想像しながら、亮の言うとおりに匙を入れた。

 そしてそこに出てきた、想像と全く異なる赤い飯に、また驚きの声を上げた。


「味付けの行程で、そのような色になるのです。ちょっと変わった赤飯、ぐらいに考えて、お召し上がりください」


 亮も、父親がこの場にいるという事態を受け入れたのか、笑顔でそう説明した。

 彼女にとっては、父がもともと『お忍び』で藩内をこっそり見て回るのが好きな藩主であると知っていたので、納得するのも早かったのだ。


 康家は玉子焼きで出来た皮と赤い飯を匙ですくい、口へと運んだ。

 少し咀嚼し、想像をはるかに超えるその味に、しばし言葉を失った。


 赤い飯は、通常の赤飯とは比べものにならないほどコクがあり、わずかな酸味、甘みがともなっている。


 具材として使用されている油揚げから、ほどよい旨みがあふれ出る。

 小さく刻んだ玉葱からは、独特の甘みが口の中に広がった。

 それらが焼かれた玉子のまろやかな風味と渾然一体となり、最初の見た目の単純さからは想像できないほど、複雑で、且つまとまった味わいをもたらしていたのだ。


「これは……美味い……」


 呻くように漏れ出た父の言葉に、亮は「してやったり」とばかりに笑みを深めた。


「本当だ……本当に美味いです、こんな料理初めて食べました!」


 育三郎も大絶賛だ。


「その赤い煮汁……『とまと』という食材が原料なのですが、それをつけると、また違った味わいが楽しめますよ」


 我が娘の勧めに、康家は素直に従い、玉子焼きの一部分にかかっていたその煮汁を少しだけつけて食してみた。


「……おお、これは……」


「……なるほど、これはいいですね……」


 濃厚さが前面に出ている『おむらいす』に対して、その赤い煮汁はほどよい酸味が効いており、またそれ自体も独特の甘みがあって、口の中を峻烈な爽やかさが駆け巡る。


 そしてまた、今度は煮汁なしで口の中に運ぼう、という欲望が出てきてしまう。

 そのとき、厨房から亮を呼ぶ女料理長の声が聞こえた。


「……お気に召していただけましたようですね。私は戻らなければなりませんので……では、ごゆっくり」


 二人の食べっぷりを見届けた亮は、一礼してその場を離れた。

 それに対して育三郎は頭を下げ、そしてお忍びの藩主は軽く手を上げただけで、すぐにまた『おむらいす』を味わい始めたのだった。


 しばらくの後、二人共、オムライスの大盛りを完食していた。


「……もの珍しく、腹一杯になり、しかも美味い……注文通りの逸品だな……」


 藩主・康家は、満足げにつぶやいた。


「本当にその通りですね……まさに評判通り……いや、それ以上です……」


 彼の従者である育三郎は、感服しきった様子だった。


「しかし、これだけ玉子を使って、手間暇をかけて味付けをしているのです、値段もさぞかし……」


 育三郎がそう言ってお品書きから『おむらいす』の項目を見て、その値段に再び驚きの声をあげた。


「十六文……いや、大盛りだから二十文……そば一杯と変わらぬ値段です!」


 その一言に、藩主も目を見開き、確認して、「信じられぬ」とつぶやいた。

 そして彼は、店内を見渡して、大きく頷いた。


「……我が娘も、普通に店員として、庶民とよく馴染んでいるようだ……いや、あやつは自分が特別な身分だなどとは感じておらぬだろう。一町民として、普通に働いている。それも、あれほど明るく、朗らかに……いや、あやつだけではない。最初に注文を取りに来た女子(おなご)も、そのほかの店員も、なんと楽しげであろうか……」


「それだけではありません、客も皆、笑顔で、美味そうに飯を食べております……ほんの数年前までの南向藩で、これだけの光景が見ることができたでしょうか」


「うむ……藩自体が豊かになっておる……そういう事だろう。これも『仙人』清水一哉のおかげ、か」


「そうですね……しかもあの方は、それを自分の手柄とは考えず、まるで何かの義務のようにこなしている……町娘達からの信頼も厚く、慕われているようです。ただ、本人にその自覚がないところが、もったいないところですが」


「それもまた人柄、だろう。俺はそれを気に入っているがな」


「……では、やはり亮姫様を……」


「ああ、清水一哉の嫁に、と思っている。あやつらが夫婦になったならば、我が南向藩にとっても大きな利益をもたらすであろう。ただ、その前に……」


 名君と名高い康家の目が、ぎらりと鈍く光る。

 その眼光に、何を言われるのかと、育三郎は身構えた。


「この『おむらいす』の調理法、なんとしても聞き出さねばなるまいな……」


 そのあまりに個人的で、かつ微笑ましい希望に、育三郎は拍子抜けしたのだった。


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