シーフードカレー
この日、若い漁師の茂吉は『清水美海店』を訪れていた。
最初にこの店を訪れて『アジフライ』を食べた時、そして『えびちり』と言う名の仙界料理を食べたときの衝撃が忘れられない。
それ以来、十日に一度はこの店に来ており、魚介類の斬新な料理方法、さらにその旨さに唸らされてはいるものの、先の二品を超える衝撃にはまだ至ったことがなかった。
その事を、雇われ店員である『お里』に冗談っぽく話したのだが、それが料理長のユリの耳に入ったようで、負けん気の強い彼女は
「びっくりするような料理を食べさせてあげるから、三日後の午後の時間帯においで」
と、直々に誘われていたのだ。
歩くと半日近くかかる距離であり、三日後というのは本当であれば少々きついのだが、うまい物を、しかもタダで試食させてくれるというのであれば話は別だ。
もう一つ、この店をもっと頻繁に通いたい理由はあったのだが、それは彼の照れもあって、実現できていなかったのだが……。
ともかく、その魅力的な提案に、茂吉は迷わず乗っていたのだった。
この時間帯、店は『準備中』の札を掲げており、客は茂吉ただ一人だ。
店内では、数人の女性達が『夜の部』に備えて、料理の仕込みや皿洗いに専念していた。
みんな本当によく働くと、彼は感心していた。
しばらくして、馴染みの店員であるお里が、
「おまたせしました」
と、その料理を持ってきた。
それを見た瞬間、彼は言葉を失った。
やや深めの皿に、白飯が乗っている……そこまではいい。
その半分が隠れるように、茶色の煮汁がかけられているではないか。
「これは……赤味噌の汁……いや……この匂い……」
かなり熱そうで、白い湯気が立っている。
その香りは、今まで嗅いだことのない刺激的なもので、にもかかわらず、食欲をそそる、何とも不思議かつ魅力的なものだった。
具材として、芝海老と、輪切りにしたイカ、そしてアサリが入っている。これらは漁師の茂吉にはおなじみのものだ。
「……これは、なんという料理なんだ?」
少し考えたが、今まで経験した中で該当、もしくは類似する料理が浮かばなかった彼は、素直にお里に尋ねてみた。
「これは、えっと……『しーふーどかれー』っていう名の、仙界の料理です」
お里は、少しおどおどしながらも、覚えたばかりのその料理名を間違えずに言うことができた。
「しーふー? ……まあいいや、さっそく食べてみよう……」
彼は、お里が不安そうに見守る中、一緒に出された金属製の匙を使って、まずその煮汁だけを口に運んだ。
「……おうっ……熱っ……辛っ……」
勢いよく口に放り込んだものだから、思わぬ刺激に不覚を取った。
「あ、だ、大丈夫ですか!?」
お里があわてて湯飲みに入った冷水を差し出す。
彼はそれを一気に飲んで、なんとかむせずに済んだ。
「……ふう、ちょっと驚いたが……うん、変わっているけど、味は良さそうだな……」
「あ、は、はい、でも、ごはんと煮汁を混ぜて、少しずつ食べると、もっと美味しくなりますよ」
「……なるほど、そういう食べ方なのか……」
先程ちょっと失敗してしまったので、彼女の言うとおり、少しずつ白飯と混ぜて食べてみる。
途端に、口の中に、先程同様に刺激的な、しかし旨みとコクのある華やかな香りが広がる。
咀嚼すると、白米の控えめな甘さと煮汁の辛さがちょうど良い感じに混ざり合い、複雑かつ濃厚な旨みが幾重にも押し寄せてくる。
飲み込むと、喉の奥にも適度な辛さと旨みが刻み込まれる。
何口か食べた後、冷水を飲むとそれらが一旦洗い流され、次の一口ではまた最初の鮮烈な刺激が蘇る。
「……美味い……」
その一言に、お里の顔が緩む。
それらを何回か繰り返した後、具材の芝海老を食べてみる。
茹でた海老の心地よい歯ごたえはそのままに、淡泊な身の味に煮汁の辛味、旨みが絡み合い、そして海老本来の甘みがにじみ出てくる。
これまでにないその味に、海老という食材の新たな魅力を発見する。
そしてそれは、輪切りにされたイカにもそのまま当てはまった。
くにゅ、とやや堅めの歯ごたえが、いいアクセントとなって伝わってくる。
アサリも同様、コリコリの食感が楽しめる上に、ほんのりとした磯の香りが感じられ、煮汁の旨みをさらに引き立ててくれた。
「……これは……本当に美味い……」
彼はもう、夢中になって次々とシーフードカレーを口の中に放り込んでいた。
それをお里は、安堵の表情で見守っていた。
気がつくと、見事に一皿、完食していた。
「……ふう、こりゃあ、美味かった……」
「そ、そう言って頂けると嬉しいです……あの、『あじふらい』とかと比べて、どうでしたか?」
「……ああ、食べた時の驚きといったら、こちらの方が断然上だな……その上、美味い……俺が今まで食ってきた物の中で、一番かもしれない」
「……本当ですか!? 良かった……」
お里は、大きな目を輝かせて喜んでいた。
「……うん、喜んでもらえたなら良かった。美味いとも言ってもらえたしな……正直、あんまり馴染みのない料理だと思っていたので、はたしてどうかと思っていたが……」
そう言葉にしたのは、いつの間にか側に来ていた料理長のユリだった。
「やあ、おユリさん、これは本当に美味いよ。最初はびっくりしたけどな……この煮汁、大分凝った作りみたいだな」
「ああ、下ごしらえをしてからじっくり煮込んで、さらに一晩寝かせて、また煮込んでいるんだ。量を作っておけば、後は飯にかけるだけだから、そこは楽なんだけど」
「いやいや、具材にも手間暇かけてるみたいじゃないか。芝エビの背わたもきちんと取ってあるし、アサリの砂抜きも、ちゃんと時間をかけてしているみたいだ」
「……さすが漁師だね。まあ、ウチじゃそれが普通だけど……ちなみに、その準備、全部お里がしたんだ。あんたが試食に来るって言うことで、張り切って自分でやるって名乗り出て、遅くまで残って頑張ったんだよ」
「なっ……ちょ、ちょっと、ユリさん……」
お里は真っ赤になって慌てていた。
その様子を見た茂吉は、ドキリと鼓動が高まるのを感じて……そして、これは好機だと思い、
「そ、そうなのか……それなら、今よりもっとこの店に通うかな……」
と、半分冗談めかして言ったのだが、
「えっ……は、はい、よろしくお願いしますっ!」
と、お里が嬉しそうにお辞儀するものだから……元々、この店に通う理由の半分は彼女に合うことが目的だった茂吉は、自分の顔も赤くなるのを感じた。
ただ、一つ難点は、しがない漁師の自分にとって、外食を頻繁にするほど裕福でないことだったのだが……。
「あんたは、舌がいいね……特に、魚介類については私達よりも舌が肥えていて、物知りだ。漁師だから当然かもしれないけど、今まで食べた事のない料理もきちんと評価してくれる。どうだろう、これからも試食に来てもらえないか? もちろん、タダで食べてもらう……いや、料理に合いそうな食材を教えてくれたら、少ないけどお礼もするよ」
そのユリの提案は、彼にとって願ってもない依頼だった。
美味い飯をタダで食べられる上に、場合によってはお礼までもらえる。
そして、自分が好意を寄せている女の子にも会える……。
茂吉は、即答でその提案に乗ったのだった。




