ホットケーキ
ある日の夕刻、『清水美海店』が夜の部の営業準備を進めている時間帯。
ひどく汚れた格好の男の子、女の子が店の前に立っているのを、野暮用があって訪れたこの店の経営者、清水一哉が見つけた。
物欲しげな、悲しそうな顔で、店の入り口を眺めている。
そばに行くと、店の中からとても甘く、良い香りが漂ってくる。
これは、お腹を空かせているであろうこの二人の子供にとってはたまらないだろう。
今の時間帯は営業していないので、たとえお金を持っていたとしても、残念ながら二人に食べさせてあげることはできない。
一哉が男の子にその事を告げると、
「夜になれば食べることが出来るのか」
と聞かれたが、夜はお酒を提供する居酒屋になるので、誰か大人の人と一緒でないと駄目だと話した。
すると、悲しそうな顔をして、
「両親は死んでしまった……付き添いの者もいなくなった」
と、いきなり重い話をされた。
さらに、畳みかけるように、
「身分は明かせないが、自分はとても偉い侍の息子で、訳あってこんな格好をしているが、元の家に戻れば必ずお礼ができるので、何か食べさせて欲しい」
と言ってきたのだ。
一哉は、
(ああ、この子はこうやって、おそらく嘘を言って、食べ物を恵んでもらっているんだろうな……)
と思ってしまった。
しかし、どうしたものか。
親が近くにいるのならば、お金を払ってもらえれば、営業時間帯ではないが何か料理を提供することもやぶさかではない。
お金がなかったとしても、これだけお腹を空かせているようならば、何か余り物でも食べさせてあげてもいいかもしれない。
しかし、親が近くにいないのに子供に食べ物を与えたら、後で面倒なトラブルになるかもしれない。
すると、入り口付近での俺達の会話を聞いていたのか、料理長のユリが出て来た。
しかし彼女も、見ず知らずの男の子、女の子に食べ物をあげるのは躊躇している。
しかし、男の子の
「妹にだけでも、ほんのちょっとでも何か食べさせてもらえないか……何ができるか分からないが、自分がお礼に何でもするから……」
との懇願するような言葉に、二人とも胸を打たれた。
ちょうどその時、ユキとハルの双子が、新しい料理の試作品を作っていた。
その名前は、『ほっとけーき』。
もちろん、仙界の料理だ。
さっきから店先に漂っていた良い匂いの正体は、これだったのだ。
試作品だったので、ユミ、ユズ、ユリと一哉の分、一枚ずつ用意していたのだが、これをすべて半分に切って、お腹を空かせている二人に一人分ずつ食べてもらえるようにした。
二人は、目の前に出されたその奇妙な料理に困惑した。
今までに見たこともない色、形。
キツネ色の饅頭のような生地で、茶色の蜜がかかっている。
白っぽい固まりがその上に載っけられて、少し溶けている。
その食欲をそそる香りといったら、なんと表現すればいいのだろうか……。
すぐにでも食べたいが、どうやって口に運べば良いのかわからない。
初めて見る純白の平たい皿に載せられたそれは、黄金色に光っているようにすら見えた。
すると、料理ユリユリが包丁で一口サイズに切り、そばに置いていた、先の割れた金属の棒……フォークで刺して口元へ運べば良いことを教えた。
二人は、初めての体験の連続に戸惑いつつも、それを教えられた通りにして口に運んだ。
始めにさくっとした歯触り、その後はふんわり、柔らかい。
次に口の中に広がる蜜の甘み、しっとりとした生地から溢れる香ばしさ、まろやかな旨み。
生地自体にも甘みがあり、その上に白い固まりから溶け出た煮汁のようなものをつけると、さらに深いコクが合わさって、全てが渾然一体となったその味は、二人にとって最大級の衝撃だった。
夢中になってほおばるその様子を、一哉も、従業員の三人も、笑顔で見つめていた。
食べ終わった後、何度も何度もお礼を言ってきた二人に対して、
「美味しかったんだったらそれでいいんだ。元々試作品で、その食べっぷりを見たら成功って思ったからね」
と、一哉は優しく答えた。
落ちついたところで、詳しく話を聞くと、彼等は実の兄と妹で、隣の藩から二人だけでやってきたのだという。
数え年で十三歳と十一歳……ということは、満年齢で十一才と九歳だ。
こんな子供だけでよくたどり着けたと思ったが、やはり大変だったようだ。
なんでも、途中までは付き添いの人が一緒だったが、いつの間にか二人だけになっていたという。
だが、たぶんそれは、はぐれたのではなく、わざとそうされたらしい。
そして涙を浮かべて言った。自分達は、捨てられたのだと。
一哉は、その口調と、子供ながら伝わってくる覚悟というか、悲壮感のようなものを感じて、ひょっとしたら本当に『偉い侍の息子』なのかもしれないと思った。
と、そこに一人の、立派な体格の若侍が入ってきた。
「失礼する、なにやら良い匂いが漂っているな……」
「……西本殿、いらっしゃいませっ!」
ハルが大きな声を出した。
彼こそは松鶴藩筆頭家老の長男、西本安親だった。
隣藩である南向藩との親睦を深めるため、査察団団長として訪れていたのだが、この『清水美海店』は個人的に気に入っており、公務の合間にちょくちょく来店していたのだ。
「残念ながら、今日は亮はいないですよ」
ユリユリが言うと、
「むっ……そうか、それは残念だが……先程も言ったようになにやら良い匂いがしていたのでな……なにか、取りこんでおったか……なっ!?」
彼は目を見開いた。
「宗冬殿に、露姫……なぜこんなところに……」
そこに居合わせた従業員一同、彼がこの子供二人を見て驚いていることに、逆に驚いた。
西本安親は、二人についての事情を話した。
この二人は、元『岸成藩』藩主の甥と姪で、『松鶴藩』に吸収合併される際、それに強烈に異を唱え、そのことが原因で死に追いやられた父親の息子と娘なのだという。
何の罪もない二人だが、岸成藩の元側近達からは厄介者扱いされ、今で言う国外追放となった身なのだという。
だから、藩を出るまでは付き添いがいたのだが、それからは二人だけで旅をしてきたらしい。
途中、路銀が足りなくなって、刀や着物を売って、代わりに食料や古着を買い、ここまで辿り着いたところで遂に一文無しになり、どうしようもなくなったのだという。
従業員の娘達は涙した。
政争に敗れたお家の運命とは言え、あまりにも可哀想だと……。
なんとかここに置いてあげないか、という話も出たが、一哉としても、おそらくすぐには仕事ができないこの二人を雇い、育てることは難しそうだった。
と、そこに初老の侍が現れた。
『秋華雷光流剣術道場 井元支部』の師範にして一哉達の用心棒、井元源ノ信だ。
「話は、戸口で全て聞いておりました……いや、実は、ちょうど道場の方で、小間使いがおらぬか探しておったところです。道場の掃除や、飯炊きと言った雑用ですが、道場生も増えて手が回らぬようになっておったのです。下級の侍や町人にまでこき使われることもあるやもしれませんが、二人でやってみるつもりはありませんかな? 今なら住み込みにまかない、それに剣の修行や簡単な読み書きも、タダでお教えできますぞ」
突然現れた侍の、思わぬ誘いに、二人の子供はめをぱちくりさせていたが、兄の方が立ち上がり、
「是非とも、妹共々、お願い致します!」
と深々と頭を下げたのだ。
それにつられて、妹も立ち上がって、同じような姿勢を取る。
二人にとって、かなり厳しい道になりそうだが、とにかく生きては行けそうだ。
その事に、全員安堵を覚え、源ノ助の粋な計らいに感謝し、笑顔になったのだった。
「……ところで、先程からいい匂いがしていたのだが……何か新しい料理でも試していたのかな?」
という安親の声に、三姉妹は、
「ちょっと待ってくださいね……新しいお品書きに追加されることになった『ほっとけーき』、試作品、もっと作りますから……仕事が決まった二人の分も、お祝いに、ね」
と、急いで追加作成の支度に入ったのだった。




