かまたまうどん
一人の小男が、久しぶりに清水美海店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませー。あっ……吾朗さん、お久しぶりっ!」
「おお、おユミちゃん、俺の名前を覚えててくれたんだな、こいつは嬉しいぜ!」
「もちろん! 吾朗さんがこの店を紹介してくれたおかげで、遠くから来るお客さんが増えたんだよ!」
満面の笑みで出迎えてくれる少女に、彼も顔がほころんだ。
『蕎麦食い吾朗』、江戸で有名な麺類の評論家で、以前『煮込みラーメン』を食べてその味に感心し、江戸で『清水美海店』の名を広めた人物だ。
「あいかわらず繁盛しているなあ。ちょっと時間をずらして来たつもりだったが……おっ、向こうの席が空いたか」
「はい、ありがとうございますっ! どうぞ、こちらに……で、今日は何にします? 煮込みらーめん?」
「いや、なんかまた変わった麺料理、お品書きに追加したっていう話をきいたからな、そいつにしようと思うんだ。なんとかうどん、って話だが……」
「……あ、『かまたまうどん』ね! ちょっと時間がかかるけど、いいですか?」
「おう! うまい麺料理食えるならいくらでも待つぜっ!」
あいかわらず元気なユミと、威勢のいい吾朗の会話は店にさらなる活気を呼び込んだ。
しばらくの後。
「はーい、お待たせしましたっ!」
「おっ、きたきた……うん? 茹でたうどんと、隣の器はショウガにネギか……これも普通の薬味に見えるが……その白いのは、ゆで卵?」
「ううん、生卵だよ。これに秘密があるんですっ!」
と、彼女はお膳にうどんの入った丼と薬味の器を置いた。
次に卵を、茹でたて、熱々のうどんの上に割り入れた。
「おっ……生卵を、うどんにかけるのか?」
「はいっ、それでこうやってかき混ぜると……」
ユミは持っていた調理用の箸で生卵をほぐし、丁寧にうどんと混ぜ込んでいく。
すると、茹でたてのうどんの熱で黄身も白身も半熟になり、シンプルながら見た目にも食欲をそそる色合いに変化していった。
「……なるほど、こいつは考えもしなかった調理法だな。単純だが、試したことねえな。そういやこの店、玉子料理が多いんだったな」
「うん、専用の養鶏場がありますから!」
自分達の料理の為に、そんな専用の施設まで備えている。
この店のこだわりに感心しながら、彼はユミの指示に従い、醤油を少々かけて、そのうどんを食べてみた。
「……こりゃあ、うめえ……うん、こいつはいいや! 卵の濃い旨みと、うどんのあっさりした淡泊な甘みがうまく絡まり合ってる。それに、このうどんのコシ。本物の手打ちだ!」
吾朗は素直に称賛した。
「でしょう、でしょう!」
煮込みラーメンの時と同様、ユミも大喜びだ。
「……うん、ショウガを入れると一層味が引き締まるな。それにこのネギも、ぱらぱらっとかけられたのが口の中で弾けて……うん、飽きのこねえ旨さだ。こいつは本物だ、新しいうどんの食い方、新発見だ。ありがとよっ!」
吾朗は上機嫌でそう絶賛した。
「はいっ、ありがとうございますっ!」
「……しかし、確かに玉子を絡めるって言う料理方法が斬新なのは分かるけど、それだけじゃねえ……やっぱり、この『うどん』のできの良さがあってこそ、だな……これ、この店で打ってるうどんなのかい? 一年やそこらの修行じゃこれだけの麺、打てないだろう?」
「……さすが『蕎麦食い吾朗』さんですね。その通り、この麺は茂平さんが打ってくれたんですよ」
と、いつの間にか料理長のユリが彼の側に立っていた。
先程からのユミと彼のやりとりを気にしていて、思わず厨房から出て来たのだ。
「やあ、おユリちゃん、久しぶり。なるほど、あの蕎麦屋のおっちゃんが打ったのか。それなら話はわかる。さっきもあそこの蕎麦食ってきたけど、あいかわらず美味かったからな」
茂平は清水美海店と同じ、通称『食い物通り』でうどん、蕎麦専門店を営んでいるベテラン料理人だった。
「……でも、それならあの店でもこの『かまたまうどん』、出せばいいんじゃねえか? 人気出ると思うけどな……」
「ええ、私達もそれを勧めたんですが、茂平さん、『物珍しさで客集めはしたくない』って……あくまで普通のうどんや蕎麦の味で勝負していくって言っているんです」
「……なるほど、そいつはさすがだ。あのおっちゃん、気に入ったぜ。で、この店では逆に珍しい料理を出していくって訳か」
「はい、私達はそれでお客様に喜んでもらえれば、と。私が茂平さんほど経験を積んだ腕の良い料理人でもないっていうのも理由ですが」
ユリは真面目な顔でそう話した。
「……ふむ、いや、若えのに大したもんだな。これだけ店が繁盛しているのに、おごり高ぶることなくまじめに料理に取り組んでいるとはな。恐れ入ったぜ……うん、この『かまたまうどん』も……いや、他の料理も、江戸で紹介させてもらうよ。『変わった料理も多いが、それらは全部心のこもった、若い料理人の苦労の末の『作品』だってな!」
と、彼は最大級の賛辞を送ってくれた。
「はい、ありがとうございます!」
ユリは、まだ未熟ながら自分の料理に対する意気込みを汲み取ってくれた彼に対して、心から感謝の気持ちを伝えたのだった。




